夜が明けるまでに

 夜が明けるまでに数値を読み込んで資料を作らないといけないのだけど、まったく踏み出せないでいる。メンタルは夏休みの宿題をやらなかった小学生の頃のままだ。

 見栄を張って嘘をついたことを謝罪する。思い出したのだけれど、僕は高校生の頃も夏休みの宿題をやってなかった。僕の通った高校では、一年生の頃に勉強合宿みたいなのが夏休み中の8月にあったのだけれど、夏休みの宿題はそこで提出する決まりだった。

 宿題をする真面目さも予定表も読む注意深さもなく、気楽に相談できる友達もいなかった僕はほぼ白紙のまま合宿に行った。合宿は授業をするというものではなく、宿題とは別に新しく配られた課題を元に自習するというものだったのだけれど、元来集中力の欠けた僕はぼけえとしていた。

 ようやくつまらない自習時間を終わり、風呂に入って、さあ自室に戻って寝ようとしたとき、現代文の女性の先生に呼び止められた。曰く、「宿題をやってこなかったやつは今回もたくさんいたが、お前が一番やってきてないぞ」とのこと。浴場の出口まで皆が聞こえそうな声で言われたのはさすがに恥ずかしかった。ただなんで夏休みの宿題を夏休み中に提出しなかったことを怒られる必要があるのだとぽかあんともしていた。

 今思えば、僕のような勉強習慣のできていない生徒を取り締まるのも勉強合宿の目的のひとつだったのだろう。僕は湯上りでそのまま呼び出され、他の宿題をやってない子らと一緒に追加の自習をさせられた。集められた生徒の数を見て、よかったこんなに宿題が終わらなかったやつがいるんだと思うのと同時にこの中で僕が一番だったのかと不思議な心地だった。ただそんな短い自習時間で終わる宿題ではなかったので、呼び出された現代文の先生からこの日までに宿題を終わらせて来るように合宿の終わりに伝えられた。

 現代文の先生は怖く厳しい先生であったし、二学期以降も授業で顔をあわせることを考えると、さすがの僕でもせっせと宿題を終わらせて、夏休み中にわざわざ登校し、職員室へ提出しに行った。忙しかったのか先生は「後で見て置く」と薄いコメントだったのだが、とにもかくにも怒られなかったので僕は安心してこそこそと職員室を出ようとしていた。そんな僕を囲う影が三つ。英語の先生、古文の先生、理科の先生。全員女性の先生だったのだけれど、「何で現代文の宿題だけしてるの?私たちの科目は?」とのことだった。僕としては現代文を終わらせるので精一杯だったのだから「してません」としか言うことがない。それぞれの先生から飽きれを交えた説教をたっぷり食らった。

 とにかく真面目な校風の高校で、やりたくないことにヤル気を見いだせない僕はひたすらに怒られてばかりの三年間だった。そんなに偏差値の高いところではないが、不良と言われる生徒ですら僕より予習復習をしているような学校だった。そんな高校を選び、自分を変えることのできない僕が悪かったのだけれど、いい思い出が全くない高校生活だった。

 時は過ぎ、大学で、まさか自分の発表のターンが回ってくるとは思わず、何も準備していなかった講義が一年生のころにあった。たしか欠席者が多かったためだったと思う。おじいちゃん先生に「とにもかくにもみんなの前で何か話しなさい」と言われ、自分の住んでいるアパートが6階建てでエレベーターのないことや橋の建設のために立ち退きの説明会があったこと、小さな弟との文通の話などを苦し紛れにひたすら話して時間をつぶした。講義のテーマに沿っていないどうでもいい僕の話で30分ほどが過ぎ、講義が終わってしまったため、めちゃくちゃに気まずく、講義室からさっさと逃げようと荷物をまとめていたところ、おじいちゃん先生に声をかけられた。「君の話を一番みんなよく聞いていたし、みんな質問してくれたね」恥ずかしくて死にそうな僕を気遣っての言葉だったのかもしれないが、僕は月並みな表現だが救われた気持ちになった。僕はこの言葉で自分のやり方で自分ができることをすれば評価してくれる人もいるのだなと思えたのだった。

 さて過去を振り返り、現実逃避しながら文を書いていたら一時間も経ってしまった。いつだって自分のやり方で自分ができることをしなければいけない。やりたくないことはいつまでたっても渋々しかできないでいるよ。

 頼むから夜よ明けんな、面倒くせえから。月曜日なんだから、名前通りずっと月を空に浮かべとけよ。夏休みの宿題なんだから夏休み終わりが提出期限でいいじゃねえかと思ってた頃と何も変わってないな、僕。

#コラム #夏休みの宿題 #月曜日の憂鬱

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