あの頃の夢と理想、憧れた魔法は何処に

 はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。どーも、クセの強いタイプのオタクです。
 最近書くことがありそうでなさそうな日々でして。コロっちゃん以降、映画館に足を運ぶ機会が減り、お得意の映画ネタが使えずに困っていたわけですが。テネットはやはり流石のノーラン、映像美もさながら設定の難解さ。インセプションばりの疑問は残さず、インター・ステラー程度の、「ん?それって本当なの?」ぐらいの遺恨は残りますが、ぶっちゃけ私も一回見ただけでは把握しきれないので、この話は円盤発売後にしましょうか。今回は「魔女見習いをさがして」について。お察しの通り、オッサンは泣きましたよ。

初めに

 小生はおジャ魔女世代でありまして、ですが、ほとんどリアタイ視聴をしていなければ、オタクになってから見返したわけでもありません。小学生男子が大見栄をきって女児向けアニメを見るわけもなく、歳の離れた姉は既に中学生で、アニメを見るような歳でもありませんでした。ですので、当時おジャ魔女を見た記憶といえば、デジモンテイマーズの映画と一緒にやってたやつとか、なぜか記憶に残ってるハナちゃんが風邪を引く回くらいで、キャラの名前とか「あ〜そんな子いたなぁ」って程度の浅学も浅学です。
 そんなオッサンが何故今更、そう、単なる懐古厨だからです。懐古厨としては当時の作品は何となくは見ずにはいられなくって、最近だとダイの大冒険とかひぐらしとか、それこそデジアドなんかやったりして、リメイク作品が闊歩するので、これは見ねばって気持ちになりますよね。それに大人になってからプリキュアとか見る人間になったので、当時の作品を懐かしもうって腹もありますが、そんな気軽な気持ちで見に行った結果、見事なカウンターを喰らいました。と言うわけで、オタクのオッサンにどこが刺さったのか、詳しく紹介させて戴きます。それでは、はじまりはじまり〜

同年代で同じ現代を生きるキャラクター

 本作の中心となる登場人物は3人の女性。商社勤めで夢を追って上司に具申したら左遷食らった、27歳帰国子女のバリキャリウーマン(はづきちゃん推し)。親の勧めのまま教師の道を進み、教育実習を経てやりたいことがわからなくなった22歳女子大生(どれみちゃん推し)。離婚で別れた父の面影を求めた結果、ダメンズに捕まり地元を離れられない19歳(作中で20歳を迎える)美大志望のフリーター(あいちゃん推し)。3人ともおジャ魔女と魔法に憧れた少女であって、聖地巡礼の折に偶然出会ったわけですが。夢を持って会社に勤めるも現実との乖離を喰らう27歳………わかる!! 3人の中で彼女がリアタイ視聴勢なわけですが、はい、同年代です。社会に出て、やりたいことと現実の乖離に直面する。帰国子女という利点で戦力として求められ、現場に足を運び、地道に取引相手との交友を深め、成果を積み上げるも、最終的な決定権と成果は全部上司のもの。挙句、今まで育ててきたプロジェクトから外され、左遷。海外生活が長い故、日本人ながらも感性の異なる彼女は会社でもあまり居場所がなく、四面楚歌も楚歌。
 多くの同年代が思うでしょう。わかる。社会ではたらくって大変だ。かつての夢とか、いろんな希望とかもって社会に飛び込んで、むしろ昨今はそういうやりがいの部分とか採用の時に主張してくるくせに、入った後はがんじがらめがんじがらめ。お前たちは何のために私を雇ったんじゃい、と文句をつけたくなる仕打ち。そんな辛い気持ちを、好きな作品に触れるとで勇気を分けてもらうことでまた頑張ろうというメンタルケア。オタクの生活そのものじゃん。というか、世の現代社会人ってそういうもんじゃね?って気持ち。
 子供の頃の憧れと、現実の乖離とか「プーと大人になった僕」なんかで触れられた事もありますが、妻子持ちの環境で愛着も薄い黄色いクマよりも、同年代境遇めっちゃわかるキャラで世代ドンピシャの作品テーマの方が胸に刺さる。男だろうが女だろうが、彼女に関しては入り込みようがえげつなかったですね。

 加えて、オタク的な観点になりますが、よくね、バリキャリだけど私生活ゆるゆる女史。見てくれはパーフェクトウーマン、クールビューティー、口元の黒子がセクシーなお姉さま。蓋を開ければワイングラスに並々と酒を注ぎ、一息に飲み干す酒癖悪女。会社帰りのホームでロング缶片手に電車待ちしたり、自宅のキッチンには酒瓶がずらりと並び、かつ部屋はゴミと脱ぎ捨てた衣服で散乱してる。ゆるキャンの鳥羽先生とかていぼう日誌の小谷先生とか、とかく酒を飲む女性は刺さりますよね。
 属性的な刺さりあれば、また性格が可愛いんだ。帰国子女あるあるで「思ったことを口にしてしまう」ってのがあるんですが、それのせいで会社に馴染めなかったり、ちょっとしたトラブルを起こしてしまったりするんです。そういう風習の違いを前に推しながらも、本当に大切な言いたいことは躊躇う奥ゆかしさ。あ〜ギャップ萌え〜っていうか私の好み直撃じゃね〜


 というわけで、一つ目は完全にキャラクターの話でした。他の御二方についても進路に悩む姿は若い世代の方なら感情移入できるだろうし、上の世代になれば親の気持ちになるんですかね。とかく、年上の存在ってなかなかキャラクターがわからず、歳食ってからそのキャラクターの良さがわかるってもんです。それこそ、クリストファー・ロビンはちょっと歳が上がりすぎて、かろうじて20代の私にはわからなかったわけですが、主要人物が同年代な以上、同じようなテーマでもここまで刺さり具合が違うんだな、という所感です。あと彼氏候補がCV石田彰とか、羨ましいですね…

夢を叶える魔法のちから

 はい、キャラ愛の次は物語の話です。メインテーマは夢を追うこと、になるんですかね。子供の頃に憧れた夢と魔法と、大人になった現実と。魔法みたいな不思議な力に頼りたくなることは子供の時より増えたのに、無力であることを思い知ってしまう。これからどうしようか、どうしていこうか煮詰まったところで3人は出会い、一緒におジャ魔女にまつわる土地を巡る、聖地巡礼の旅行をするような関係になります。その中で、お互いの悩みや問題を共有し、互いに寄り添う友人として関係を深めていきます。大人になってからの友人の作りづらさとか、距離感とかひしひしと伝わってきますが、その中に感じるのは、彼女たちはおジャ魔女に、魔法という存在に何を求めたのか。
 魔法といえば、空を飛んだり、天気を変えたり。不思議な力で願いが叶っちゃうみたいな感覚です。おジャ魔女どれみにおける魔法の扱いがどうであったのか、作中の願い玉なるアイテムが如何様な機能なのか、当方全くわかりません。ですが、魔法に託す願いが、一種の希望であることは理解できます。そして希望というのは、往々にして実現不可能な難題であることが多いわけです。
 三人の女性たちは、それぞれがそれぞれの悩みを抱えており、踏ん切りがつかないこと、何をしたらいいのかわからないこと、それこそ魔法でもなければ叶わないようなこと。でも魔法には頼りません。少女から女性になった彼女たちは、それがないことを、それには頼れないことを知ってしまったから。だけど、だからこそ、かつて憧れた魔法という存在は心の片隅で静かに燻り続けるわけです。そして、その火種に息を吹き込むのがこの三人の出会い。あるいみそれこそがMAHO堂が起こした奇跡かもしれませんが、まぁことの成り行きは本編でってことで。

 さて、そんな物語、魔法にまつわる物語。例えば、じゃあ、自分が魔法でもないと叶わないと思っていること、偶然に偶然が重なって、運命の女神の気まぐれで、叶っちゃったらどうなると思いますか。自分を取り巻く事態は、本当に好転すると思いますか。ちょっと話はそれますが、何者かが願いをどのような形で叶えるかは誰にもわかりません。自分はよくよくFateで学びましたが、例えば「世界から争いをなくす事」を望んだ衛宮切嗣の願いを、汚染された聖杯は「衛宮切嗣とその妻子、3人以外のすべての人類を滅ぼす」ことで叶えようとします。「正義の味方」を望む衛宮士郎には相応の悪の出現が必要であり、自身の記憶を求めた岸波白野を待ち受けていたのは、帰るべき肉体が冷凍睡眠状態である現実。夢を叶える道理も、叶えた結果も、それで本当に正しいのか。それが求めていた答えなのか。とかく現実とは残酷であり、それは「魔女見習い」の本編でも、現実でもきっと同じでしょう。
 そういった願いの悲惨な面を見せながらも、三人は三人で、お互いを補い合って未来へと足を進めていきます。かつて憧れた夢の先で、また新しい夢に憧れて。どうにもならないことをどうにかできる、そんな力に再び出会えた時、彼女たちは魔女見習いたちとの再会を果たします。

 子供のころは、色んなものに憧れました。自分が当時何に憧れていたかはさっぱりと思い出せませんが、漠然とした「何にでもなれる」という思いがあったのは間違いないでしょう。だって、あの頃の僕には魔法があったから。不思議な力を信じていたから、僕は何にでもなれた。でも、今は違う。現実も、自分の能力も、知ってしまったから、自分の手の届く範囲の事しか考えない。考えられない。だから埒外の望みを、魔法なんて言葉に頼って棚上げするんです。
 それは違う。世界に魔法はある。それを証明する旅こそが、魔女見習いを探す旅。秒速5センチメートルの主題歌として有名な山崎まさよし氏の名曲「one more time, one more chance」別れた君の姿を、この街のどこかにいるのかと、不意に探してしまう。魔法も同じ。この世界のどこかにあるものだと、心の片隅で信じている。魔女見習いたちはいる。魔女見習いがいるならば、不思議の力は存在するのが真ならば、その逆もまた真。彼女たちが、もう一度なんにでもなれると、夢と向き合えた時、力の存在を確かめたからこその再開。自分はそう解釈しています。

 魔法のステッキや願い玉なんてものはないのかもしれない。でも、夢を叶える、夢を追いかけるための力、そういうものは確かに存在する。彼女たちの新しい夢は、かつてと同じように、魔女見習いたちのもとでまた羽ばたいていきます。現実味溢れる願いと悩み、それを細かに描いたからこそ、自分もまた魔法と向かい合おうと思えたのかもしれません。まぁホグワーツからの手紙はそのうちくるかもしれませんがね...

じゃあわたしはどうなのさ

 はい、というわけで、「魔女見習い」の登場人物たちは悩みを乗り越え、新たな路へと歩みを進めるわけです。じゃあさ、あれだけ「私も同じ、その気持ちめっちゃわかるよ」と口語した自分はどうなのさ。彼女たちは変わった、変わろうとしている。現実でぐちぐちと言ってる自分はさ、そのままなの?
 物語の軸となる夢の話。自分がなりたかったもの。自分がやりたかったこと。自分がやりたいこと。お前はどうなのさ。自己紹介の度に「しがない」なんて言って逃げ道つくって。映画の帰り道にさ、頭を駆け巡るはそんなこと。自分、このままでいいのか。お前のやりたいことは、今のままでできるのか。
 社会ってのは残酷でしてね、小生、まぁそれなりに名の通った企業に勤めてはいるのですが、万人が万人それで幸福というわけではありません。もちろん、現状に境遇に満足している人もいるでしょう。それこそ、同期でも先輩でも、結婚したり家買ったりして身を固めて、このままここで生きていくのだろうなって人はまぁまぁいます。反して、入社数年で辞めていくやつもいます。同期には一年目で辞めたやつもいます。自分はどちらなのか。直近で辞めた先輩は「若く選択肢のあるうちに」と残して去りました。少なくとも、今のままでは自分の理想には届かない。そう思った方々はことごとく辞めていったと思います。
 自分はどっちだ。どっち側の人間だ。やるのか、やれるのか、それともダメなのか。そもそも、自分のやりたいことってなんなのさ。

 結論言いますとね、いや、辞めるわけないっしょ。推しが辞めるまではこっちは追っかけないといけねぇんだ。気力あるうちは稼いで走るんだよ。
 まぁそれでも芝居という存在が脳裏から抜けることはないですけど。高校演劇、知り合いの勧誘で始めたのはそうですけど、それから大学で続けたのは自分の意思だし、役者に飽き足らず脚本かいて演出したりしたのは、やっぱ何かしらのやりたいことがあるからでして、それが今もなお残っているから今こうしてここに居るわけでして。
 じゃあさ、脚本書いてまで表現したかった事、まだまだやりきれてないこと。どうするん?ここで諦める、なんて言ったら作品に失礼ですよね。劇場で流した涙はそういうことなんすよ。自分は何のために、こうして文字を書くようになったのか。どこを目指していたのか。そういったことを思い起こさせてくれました。自分も、自分にとっての魔女見習いたちに再開するために、少しでもいいから近づこうと思います。地に這って泥水すすってでも、魔法ってものは忘れない。ネバーランドには行けなくても、きっと空は飛べる。そんな大人になりたいです。

おわりに

 でた~自分語りが好きなオタクくん~!!うっせ、何もしゃべれないよりかはましじゃろがい。最近会社の同期と飯食ったんですけど、興味ない話でも聞き上手聞き上手。そりゃあ結婚もスルリですわ。
 ま、僕は他人へのリソースを推しと自分に全振りでしばらく生きるんじゃないかと思うのでね。いい加減自転車操業はやめたいですが、お金を使うのって気持ちいいんだ。

 そんな俗世に使った私も、かつての夢追いかける少年に戻った気分になれる「魔女見習いをさがして」客層は若干女性が多かったような気がしますが、プリキュアの映画よりかはハードル低いでしょう。タイトル通り、少しでもおジャ魔女どれみ、との接点があれば十分に楽しめるし、別に知ってなくても社会に廃れた者心に涼風を吹かすことはできるでしょう。
 この手のアニメ映画って、気づくと朝9:00からの一本のみなってたりするんで、人気作にレイトショー枠取られる前に足を運ばれた方がよいかと思います。あとこれはネタバレなんですけど、OPのおジャ魔女カーニバルのアコギアレンジ、クッソ良かった......

 というわけで今回はこの辺で。次回は本文中でもちょっと触れましたが、SFについてふれますかね。なんせ、それこそ私のやりたいこと、の原典たるかもしれませんからね。
 ではではまた次回。駄文・長文にお付き合いいただきありがとうございました。それでは。

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