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エヴァの設定をおさらいする独り言

 でましたね、シン・エヴァンゲリオンのPV。CGでぬるぬる格闘するエヴァの姿をなんだが迫力ないなと感じてしまいましたが。フレームレート下げた方が躍動感が出てアクション映えするとはトム・クルーズも申しておりますが、そんなの差し置いてもまぁ楽しみですね。
 エヴァシリーズの中でも「新劇場版」と言われたシリーズも完結(で、あってますよね。ロゴの後ろのⅠっぽいのは邪推ですよね)であり、TVシリーズとも、旧劇場版とも異なる物語は何処へ向かうのか。ということで、物語のおさらいがてら、kindleセールで買ったコミック版を読み返したんですよね。いやぁ、やっぱ面白いけどよくわかんないけど面白れぇな。
 何がわからんって、そもそも使徒とかエヴァとか補完計画って何ぞ。ロンギヌスって何ぞ。とかその辺の設定だと思うんです。エヴァはその辺ガチガチのロボットアニメ系の設定に、14歳の等身大の姿とか、大人のようわからん愛憎劇を交えたところが評価されてると思うのですが。後半の愛憎はわからんでもない。14歳の肩に世界の命運を背負わさせる大人は鬼畜。自分の子供に睡眠学習で戦い方を仕込ませる神ファミリーとかエヴィン夫妻並みには鬼畜。でも、前半の部分がまったく入ってこない。エヴァかっけーで終わらせてくれない後味の悪さをなんとかしてほしい。っていうかさらっと言ったけど、厳密にはエヴァンゲリオンはロボットじゃねぇから(知識マウント取りがちなオタク特有のガチギレ)。

 ということで、今回は私がエヴァを読み返して、この設定ってこういうことですよね、ってあたりを独り言として残そうかと思います。

エヴァンゲリオンはロボットじゃねぇから

 ロボットアニメの話になって、エヴァを挙げると必ず言われる一言。そうです、汎用ヒト型決戦兵器はロボットではありません。人造人間なのです。なんでオタクはこんなことでガチギレするのかというと、実はこの呼称、設定上とても重要なことなんです。だから一言にロボットと呼称するのはどうかと私も思うのです。ということで、まずはオタク君にマウント取られないために、今一度ロボットとはなんぞやというところから。

 まぁ原義や定義はいろいろとあるとは思いますが、私の解釈は「指示内容を自動で遂行する機械の類」です。重要なのは自発的には動けないことと、指示に向けて自動で動くことです。例えば炊飯器。炊飯器は勝手に動きません。我々が何かしらのボタン操作をしなければ彼らは何もしませんね。それに、ボタン一つで勝手にご飯が炊きあがります。古来、炊飯ははじめちょろちょろなかぱっぱと言われるように逐次火加減を調整しなければ美味しく炊けません。それを基本的に炊飯器は勝手にやってくれますね。他の例を挙げれば、車の組み立てラインなんてのはロボットアームが決められた動きを勝手にやってくれますよね。あれは大概ロボットアームの手先がどの時間でどの位置にあればいいのか人間が入力して、あとは指示通りに手先が動くように各関節のモータが回っているわけなのです。極論言えば、ボタン一つ押せば目的の事をやってくれる、それがロボットです。裏を返せば、ボタン一つで済まないような目的はロボットには実行できないのです。よく自動化、なんて話は上がりますが、自動化できるのはだいたい簡素で単純な内容です。最近は機械学習なんか使ってルンバみたいな高度な動きもできますが、基本は単純な動き、単一の機能しか持ち合わせません。"汎用"なんて言葉が付いている時点でロボットとは程遠い。操縦する必要があるものなんてロボットに非ず、というのが工業界の主張です。だって、これを言い出すと大概のロボットアニメはロボットじゃないですもん。
 原初のロボットアニメといえば「鉄腕アトム」ですね。彼は完全に自律していて、誰の命令も操縦も受けることなく動いているのでまごうことなくロボットというか、指示を受けず人型のあたりアンドロイドと言った方が正しい気がしますね。それ以降、マジンガーとかゲッターとか、バリバリに人乗ってますね。自律するか操縦するか、どっちにしろロボットじゃねぇな。というわけでロボットアニメに出てくるロボットは実はロボットじゃないものが多く、そう考えるとエヴァンゲリオンはロボットではないが正しくロボットアニメではあるみたいですね。
 とはいえ、それでもエヴァンゲリオンが非ロボットであることの重要な点は別にあります。エヴァンゲリオンは人工物であれど、人間であるのです。この設定こそが物語の根幹につながる。このあたりの設定をもって「エヴァはロボットではない」という主張が存在するわけです。

オタクがキリスト教に詳しいのは

 で、肝心のその設定ってなんぞ?エヴァをなんとなぁく知ってる人は、同時に「使徒」と呼ばれるモノと戦ってることも知ってますよね。この使徒という言葉、宗教用語的にはイエス・キリストの弟子にあたります。他にも有名なのはロンギヌスの槍、ゴルゴタの丘にて貼り付けにされたキリストの脇腹を突いた槍の事ですね。はい、つまりは聖書です。エヴァのややこしい設定の大概は聖書の話です。といっても、今あげた名前は新約聖書の言葉であり、設定自体は旧約聖書の中身がフィーチャーされてますけどね。宗教や神話の設定を題材にお話を作るのはありがちであり、それらを理解するためにオタクたちは余計な雑学に詳しくなっていくのです。ではでは、聖書の内容をかいつまみながら、エヴァの設定に照らし合わせましょう。

・使徒とは
 まず、旧約聖書の世界では創世記にて神様が世界を作り、生命を生み出しました。その生命たちが暮らす楽園こそが「エデンの園」、神を模して泥からつくった人間がアダムとイヴ。と見せかけて、アダムの一人目の妻はリリスと呼ばれる女性です。なんでも交尾の際に上になったらアダムに解釈違いと言われて別れたそうな。はい、ここから既にエヴァンゲリオンの話は始まってます。カヲル君と綾波の事ですね。彼らの魂はもともと第一使徒アダム、第二使徒リリスのものという設定です。エヴァに出てくる使徒と呼ばれる存在はアダムから生まれた生命であり、地球の原種はこちらだそうで。一方、リリスはファーストインパクト、地球史における月の形成の時に衝突した天体から飛来した生命。現存の生命の起源はこちらのリリス側が生み出したものとされてます。所謂パンスヘルミア説、地球の生命の起源は宇宙にあるというアレですね。この使徒というのは地球の生命としての後継者を主張する存在であり、そういう意味で人間もまたリリスが遣わした使徒ってわけですね。地球という領土があって、原種のアダムと外様だけど滅茶苦茶発展に貢献したリリス、どちらが領土の所有権を主張するのか、みたいな構図ですね。アダムとリリスの争いって書くとただの夫婦喧嘩っぽいですけど、そういうことです。ということで、使徒の正体は地球というエデンの園に現れた二つの生命、アダムとリリスの血を継ぐ者たち。重要なのはアダムとリリス、二人の子供たちではなく、お互いが勝手に作った生命ってことです。聖書でもアダムとリリスは子を成してないですしね。

・エヴァの正体
 さて、聖書のお話にもどります。関白主義男尊女卑ジェンダーかっこ悪いのアダム君は晴れてバツイチとなりました。不憫に思った神様は、アダムの肋骨からイブを生み出し、お嫁さんにしてあげました。ちなみにこのイブ、英語表記はEVE。所によってはエバと呼ばれたりも。そうEVA、ですね。人造人間エヴァンゲリオン、これらは第一使徒アダムを模して造られた生命。神を模して造られた人間がつくりし人工生命がエヴァンゲリオンです。この設定こそが、エヴァはロボットに非ずに繋がっているかと。物語のクライマックスでカヲル君がエヴァ二号機を操りますが、エヴァはアダムの肉体を模したもの、カヲル君はアダムの魂そのものなので、自分の体を動かすかのごとくエヴァを操れたわけなんですね。神の教え的には、人間は魂、肉体、精神の三位一体で構成されます。肉体に魂が宿ることで精神が発露するわけで、この肉体と魂の結びつき、DNAとか染色体なんかに例えられるような個を形成する結びつきがあり、故に魂たるカヲル君と肉体たるエヴァ二号機はたやすくつながるのです。ちなみに、綾波が初号機に乗れるのは初号機がリリスを模してつくったものらしいからです。

・人類補完計画とは
 そろそろ登場人物がそろってきましたね。聖書では、イブは蛇にそそのかされ禁じられた知恵の実に手を出し、罰としてエデンを追放されます。失楽園、これが原罪と呼ばれる奴ですね。なんで知恵の実を食べちゃダメかって、頭良くなったら反逆されるからなんですよ。エデンには生命の木、なるものがあって、そこの生命の実も合わせたらそれはもう神と同格だと。自分の立場が危うくなるから、人間は追放されましたと。
 神の教えの一つとしては、原罪への贖罪、そしてエデンへの帰還こそが目的だとする考えがあります。どこの宗教にもこういった回帰願望というものがありまして。要はやり直しです。フェチズムの中に幼児退行ってありますよね。甘やかされていたあの頃に戻りたいという思考ですが、戻りたいのは現状が嫌だからやり直したいって発想に繋がりますね。回帰の考えだと、キリスト教にはグノーシス派というものがありまして、偽りの世界からの正しき世界に戻る、という考えですね。廻っているのは世界じゃなくて自分だったり、惑星の公転軌道が楕円だったり、人間同士の争いが絶えなかったり。お前たちの世界って、醜くないか?全知全能の存在が作った割には、バグ多くね?ってことでこの世界の創造主がそもそも全知全能なんかではないのではないか。偽りの創造主が正しき創造主の世界を模して作ったのがこの世界ではないのか。だったら、正しき世界がどこかにあるはずであり、そっちの世界に戻りたいな。みたいな考えです。正しき創造主と偽りの創造主、原種のアダムと外様のリリス。外様に作られた人類。人類曰く、俺ら偽物じゃん!!ミュウツーに言わせれば本物も偽物もないのでしょうが、そうは問屋が卸さない。自分たちが偽りだけどさ、だったらモノホン消して、俺らが本物になろうや。って考えたのがゼーレと呼ばれる組織。すべてをやり直し、本物になり代わる。リリスから分かれた生命をリリスに還し、自分たちが用意したアダム、すなわちエヴァンゲリオンと交配することで正しき生命へと至る。これが人類補完計画。アダムの生命の実とリリスの知恵の実を重ねることで神へと至り、新たな創世記が始まるビックバン。すなわち、サードインパクトってわけです。

 TVシリーズはカヲル君を倒した後、すべてのチルドレンにありがとうENDでしたね。で、旧劇ではアダム側の使者を駆逐したのちに、エヴァになり代わりアダムとして神に至ろうとしたゲンドウが綾波に拒否られ、初号機に乗ったシンジ君がアダム候補としてリリス、すなわち綾波とおせっせするわけですが、これもシンジ君が拒絶。残されたシンジとアスカから世界は再び始まります。漫画版だと二週目の地球が始まって、子供たちは再開します。
 新劇場版では破でゼルエルを食らった初号機が神様になりかけてニアサードを起こします。先走りビックバン、食人フェチがあるのは知ってますが、それでおせっせ判定は尖ってる。で、Qの怒涛の展開で、その辺は自分にはもうわからんちんちんなんで語りませんが、どんな結末を迎えるのか、楽しみですね。

逆切れシンジくん、流行ったね

 これは単なる感想なんですけど、シンジ君かわいそすぎん?Qの公開後、眠りから覚めたシンジくんが悉く忌み嫌われて、邪険に扱われるのがあまりにも。ということで流行りましたね、「説明しろよ!」って叫ぶシンジ君。ほんそれ。ロボットアニメの定番では主人公の少年少女が世界の運命を駆けて、ロボットで戦う。少年兵とかただの狂気やん。無力な大人を呪ってくれとかいうでもなく、逆切れするとかこれだからBBAは...(漫画版でミサトさんが29ってしたときのワイ)ザンボット3の神勝平くんは、友人たちに石を投げつけられながらも、それでも友人たちを守るんだと奮起します。戦うことが怖くなったアムロ少年は、それでも同じ故郷のみんなを思いもう一度戦います。
 で、シンジ君は?親戚に自分を預け、まったく気にかけてくれない父親に呼び出され、お前が命を張らねば死にかけの可愛い子ちゃんを使うぞと脅される。で、戦ったところで父親は何も言ってくれない。14歳ぞ?人生で初めてできた友達と呼ばれる人を、自分の手で殺しかける(漫画版だと死にました)。人間関係が薄いし、正義感とか高ぶらせるような子でもなく、まして戦時下でも何でもない。命を張ってるのはこっちなのに、痛い思いをしてるのはこっちなのに、周りの大人は何にも優しくない。私からすれば14~18当たりの間って、学校で友達とバカやって、青春真っただ中だったのに、いくらセカンドインパクト後で、複雑な家庭環境といえど、こんな目に合わなきゃならんのか。悲しい。火垂るの墓の兄妹にはあんなにも戦えと念じたけど、シンジ君は不憫すぎる。ロボットアニメにそぐわないほど主人公が可哀そうだ。ぼくらのとか、ファフナーとか、悲しき運命のもとに戦うことは多けれど、なんでだろうな。味方の多さかな。
 ロボットアニメって世界の運命賭けるくらいなんで、結構大きな組織が絡んだり、登場人物が多かったり。ガンダムなんて敵味方含めて様々なドラマが盛り込まれて、リード中尉みたいなクソもいればウッディ大尉みたいな人格者もいたり。何より仲間みんなで支えあう姿よ。サイド7を離れて以降、ホワイトベースでともに戦った仲間たち。ソロシップしかり、竜宮島しかり、困難には組織が一丸となって向かうものですが、シンジ君の味方の少なさよ。あの世界で14歳の少年は誰を信じて、誰を頼って生きていけばいいのか。というのも、大人たちも大人たちで迷いながら、拠り所を求めて生きるさまを描いているので。その辺のリアルさがさらにシンジ君を苦しめる。アニメってもっと楽しいもんじゃん、っていう定石を見事にぶちこわした作品。どうか、シンジ君には幸せになって欲しい。漫画版が好きなのはそういうこと。

終わりに

 はい、今回はおおよそ私が自分の頭を整理するために書きました。使徒食らってシン化ってそういうことかと書いていて納得しましたね。と言ってもwikiの内容を書き下しただけなんですけどね。といってもロンギヌスの槍の概念とか全く触れておらず、というのも私自身がさっぱりわかってないんでね。物語の軸は旧約的なのに、ワードチョイスが新約なんですよね。ロンギヌスは神の子たるイエスに対して効果があるんで、同じ神の子たるアダムとリリス、その系譜に特攻的に効果があるのは察するんですけど、そもそも誰がどんな概念と技術の元つくったのか。新劇だともう一本槍が出てきますし。まったくわからんのですよね。今回は漫画版読み返したんでこんな内容ですが、たぶん新劇も見直すので、そのとき改めて考察したいですね。
 エヴァ初見からもう十年以上は立っていますが、まだまだよくわかっていない作品であることには間違いありません。見るたびに新しい発見ができるのは良いことです。そのせいで懐古厨まっしぐらで、新しいものを取り込めてないのですけどね。

 では、今日はこの辺で。新劇見返して、首をながーくして完結編を待ちましょう。それではみなさまごきげんよう。

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