推しとの距離は何マイル?
おはようございます。朝です。Good Morningです。Guten Morgenです。プリキュアより早く目覚め、聖地で買った珈琲豆で淹れる朝の一杯。至福の時間......
なのにぃっ!
どうしてっ!
俺のTwitterの通知欄で!
あの娘は!
悲しそうにしてるんだぁっ!
ああああああああああああ!
失礼、取り乱してしまいました。ですが、我が子があんな顔をしていたら取り乱すのが親心だと妻夫木も申しております。伝わらない方は「来る」を観てください。
今回は、前々から書こうと思ってはいたのですが、コメント問題についての持論を語りたいと思います。はい、Vの話です。私は基本ROM勢なのでチャット欄にもコメント欄にもリプ欄にも現れないので、イツメンには敬服するのですが、個人的に「いやいやいや」と思うことも多々あるので、その点とかしたためたいかと。
一リスナーのお気持ち表明に需要はあるかはわかりませんが、うるせぇ!溜まってんだ語らせろ!ではでは、少しばかりのお付き合いをば。
推しとの距離は∞
シンクロ率的には0は無限大に最も近いらしいですね。何言ってるか正直意味わかりませんけど。観測不能な概念としては確かにそうですけど。
というエヴァの話は置いといて、まずは私の価値観の話を。基本的に、私は推しとの距離は限りなく遠いものだという価値観があります。だってそうでしょう?私が恋したキャラクターに思いを告げることなんて叶わないし、憧れのクリエイター、俳優にしろ映画監督にしろイラストレーターにしろ漫画家にしろ、ファンレターとかそういったものを送り付けることはできても、現状のSNSの様に、一言二言を即興の感情を送り付けることなんてできないのですから。
故にライブで送る声援や、公演後の拍手にありったけの感謝を込めて私は飛ばしているのです。演者が舞台から姿を消すまで、決して拍手を止めない。なんなら消えてからもちょっと続ける。それが私のポリシーなのです。引っ込み思案な私にできる精一杯の自己表現がそれだから。というか、個人的には演じた側としてそれが嬉しいから。
だから、パフォーマンスに対する感想とか意見はガンガンに発信してますね。ハッシュタグつけて、今回の作品の感想はつらつらと垂れ流します。ここのカットはよかった、あそこはこういう風に感じて微妙だった。
ですが、本人に声を送ることは、まぁ滅多にしませんね。そんな発想ないのだから。基本作者には声は遅れないが、ありったけ作品を褒める。それが私の推し活ってやつでしたかね。
Vへのコメント事情
ところが一転、Vの業界はそれが違うのです。よく聞く単語「コメントありがとう」この発想は私になかった。演者と観客の双方向的な関係は希薄であったから。パフォーマンスとリアクションはキャッチボールではなく、相手の投げた球を打ち返すか見送るかの駆け引きなのだから。
このキャッチボール感覚が私にはわからない。私がボールを返すのが苦手ってのもあるんですけど、偉大なる作者様々にリアルタイムで作品にレスポンスするなんて、普通にありえない。漫画書いてるのを横から見て意見言うようなもんですよ。
剣持さんや黛さんの配信を見ていると、チャットも配信の一部、という感覚をひしひしと感じますね。僕はそこまでの才はないので画面の前でガイル立ちを決め込んでいるのですが、人様のパフォーマンスで即興で合いの手を入れる技量は私にはないのです。だって我が強いから。誰かを立てることよりも、脇役でももっと俺に注目しろ、という精神が勝るから。
元々双方向的な関係性に理解がないこと、そもそもキャッチボールが苦手な事。僕がROMを決め込むのはこういうわけです。
それってあなたの感想ですよね?
これは私の感想ですけど
じゃあ本題。ほぼほぼROMの私が、時たま憤る理由。つらつらと挙げて行きますね。
・お邪魔します、○○がお世話になります、等
いや、何様やねん。お前は演者の何様やねん。身内気取りか?
よくコラボ配信なんかで見るコメント。相手側のチャンネルに出演する際の、呼ばれた側のリスナーのコメント。
え?基本オープンな環境なのに、「お邪魔」とは何事か?気軽に暖簾くぐったらあかんのか?
なんか、よくも悪くも内輪を感じるのです。普段現れないユーザー名がチャット欄に現れることがそんなに「お邪魔」な事ですか。それと、その言葉って、いずれ立ち去る人間の言葉ですよね。お前のチャンネルには興味ないけど、推しがいるんで仕方がなく来たんですか?
完璧に邪推なんで、こんなん気に留める人は稀有だと思うのです。が、まぁマイノリティもいるということで。
・○○しろ、○○するな等の指示語
うるせぇ、うちの子がまだ配信してるでしょうが!
TPOによっては良い感じの煽りになって盛り上がることもあるんですけどね。好きなものくらい好きにやらせてあげな。
そらFPSみたいな技量の差が明暗を分けるゲームでは、指南してやってるつもりでしょうがね。でもね、よくよく考えてみてください。最近よくあるコーチングってやつ。あれ、オンタイムで指示は飛ばしませんよね。一戦終わってから、立ち回りを振り返り、改善点と改善策を提示する。
オンタイムで言わないのは、まぁ普通にプレイングのノイズになるからでしょうね。あとは、その時の行動が是か否かの結果がまだ見えないから。評価は時期尚早ってことも一理かと考えています。なにより、是正を求められたプレイヤーが思考する時間がない。
教えるという言葉。Teachingの他に最近現れたのがCoachingだと聞きました。前者は答えを教えること、後者は答えを考えさせること。近年は後者の方が重視されています。前者ばっかだと思考しない指示待ちのテンプレ人間になるから。現代教育もそっちの風潮になってますよね。知識を詰め込むだけのスタイルから、なぜそうなるかの思考方法を教える方に。
お互いがなぜそうなるかを知っていれば。答えを教えるだけで済むのですが。基本リスナーとプレイヤー間に、そんな一言二言だけで共通認識が得られるとは考えられないので。その指示コメ、教育効果は非常に薄いのに気分を害するという。誰得?
・○○してください、○○しないでください等の請求
前者はわからんでもない。私もある。この人のこういう配役を観てみたい。この人があれをテーマに描いたらどうなるのか。あの絵師の画くあのキャラがみてみたい。非常にわかる。
でも、それが嬉しい時もうるさい時もあると思うの。ネタ不足とか、依頼を受け付けてるときは良いと思うけど、今こっちの方針で頑張ってるんだなって時とか、何も言ってないときは雑音じゃないかな。宿題やったの?って聞かれるとイラってするでしょ。あんた○○したの?って聞かれると、今コレやってんでしょうがって気分になりませんか。
先にも挙げましたが、僕は一個人の願望がクリエイターの作品に反映されるなんておこがましいとの考えがあるので、作品づくりに茶々は言いません。出来上がってきた作品にめっちゃ言いたいことは言いますけど。
で、今朝の本題。○○しないでください。じゃあ観るなよ。お前は好きでもない番組に時間を費やすほど暇なのか。それとも一生そのチャンネルの配信しかみれない呪いにでもかかってんのか?
まぁわからなくはない。好きな子のそばに少しでも長くいたいもんね。少しでも自分が楽しい時間を過ごしたいもんね…………はぁ?
自分はこの配信文化の根底には、好きなもの同士のコミュニティがあったからだと思っていたのですが。ゲームチャンネルにはゲーム好きが集まり、モトブロガーには車好きバイク好きが集まり、料理番組には料理好きが、キャンプ動画にはキャンプ好きが。で、君は何が好きなのかな?
同好の志で徒党を組むことに定評のある我々ですが、君は配信者の事が嫌いなのかい?君の推しは「全配信見てください」とでも言ったのかい?君が配信を観るのは義務かな、権利かな?
基本我々は、全部が全部好きでやってることです。彼らは配信するのが好き。私は配信みるのが好き。好きでやってんだから、好きで辞めても良い。なんで自分から春先の石をひっくり返しにいってるのか、地雷原に土足で立ち入っているのかがわからんのです。
見たくなければ見なければいい。私、忙しいとかそういうの無しに、その時見る気分じゃないからという理由でメン限いきませんもの。まぁこれは私が金銭的な余裕があるので、金払ってんだからという考えがない所為なんですけど。
FPSばっかになった方とか居ますけど、故に全然配信見に言ってませんけど、嫌いかと言われたらいえいえ普通に好きですけど?よっぽどのことがなければ、好きになったものってそう簡単に嫌いになりませんよ。例えどれだけの時間が経とうとも。私も当時熱狂したコンテンツがいくつかありますが、今はまったく追ってなくても嫌いになったわけではありません。リソースの優先度が変わっただけで、今でも好きですよ。他により大きい好きが生まれただけで。
こう書くと浮気性の人間に見えますが、人間そんなもんですよ。あれも好き、これも好き。だいたい広いこの世の中、好きを一つに絞るなんてもったいないじゃないですか。もちろん、その過程で情熱を捧ぐ、たった一人の相手ってものに巡りあうかとは思いますが。それでも、自分の100%を常に注ぎ続ける必要はないと思うのです。瞬間的に100%以上を振れればそれでいいんじゃないかと思います。まぁ100%以上に振り切った末の発言なら、その程度ってことで。
とにかく、我々には見ないという選択肢があること。生きる死ぬの二択ではなく、選択肢なんてのは無限にあるんだから好きなのを選んだらいいんです。ネオンジェネシスですよネオンジェネシス。配信に張り付いてアピりたい方は知りません。理解はできても差し伸べる手は持ち合わせていないので。千手観音にでもどうぞ。
おわりに
うっ憤は吐き出すもの。友達のいない社会人はこれだからまったく。
アラサーのおっさんは相応の時を生きてきたのでこんなこと言ってますけどね。でも、配信者とのやりとりに若いもアラサーもない、どんな立場の人間だろうと、誰かを傷つけて良い免罪符にはならない。易いか難しいかの違いだけです。オッサンも色んな人を傷つけながら生きてきたけど、顔も見えない誰かに物を言う環境にはなかったし、ましてや憧れの人に物言うことなんてありえなかっただけって話。時が流れて、今の子は気苦労が多くて大変だなって。
そんなんじゃなくて、僕はヤマアラシなだけなんですけどね。いつだってATフィールド全開で生きてるんで、そういう方々はそっちの方向を上手いこと伸ばして、この世界を愉快に楽しんでいただければと。
それでは今日はこの辺りで。さよならGoodByeAdiosAmigo
PS.IMAGINATION vol.3の詩子さん、メッチャよくない?