富野由悠季を勧めたい~機動戦士ガンダムF91~
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。私が崇拝する富野由悠季氏の作品を崇め奉り褒めたたえるシリーズ、今回はなんだか無料公開で話題になった「機動戦士ガンダムF91」について紹介します。
数あるガンダムシリーズの中で、劇場オリジナル作品は4つ、1988年公開「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」、1991年公開「機動戦士ガンダムF91」、2010年公開「機動戦士ガンダムOO A wakening of the Trailbazer」、2019年公開「機動戦士ガンダムNT」。劇場版OOの公開の時はおよそ20年ぶりの劇場オリジナル作品ということで話題になりましたね。なかでも「機動戦士ガンダムF91」は監督・富野由悠季、キャラクターデザイン・安彦良和、メカニックデザイン・大河原邦夫、といった「機動戦士ガンダム」の要であった方々が再結集した作品ということで一種の伝説的作品ですよね。
私が特に気に入っているのは、今までのガンダム作品の流れである、連邦とジオンの戦いから完全に切り離されたこと。つまり、どんな人間だろうと初見時の知識レベルが同じなので、古株だろうとご新規さんだろうと簡単に富野作品を味わえることですね。尺も115分とお手軽。劇場作品なのでテレビシリーズのような不安定な作画もなく、90年代前半の作風に理解があれば難なく観れるでしょう。割と敵役もわかりやすく悪いことをしてくれる貴重な作品で、対立構造もわかりやすいでしょう。
ということで、私が初心者に勧める「機動戦士ガンダムF91」ですが、今回はガンダム知識ない方向けにキャラクターの魅力と、ガンダムちょっとわかる方向けに宇宙世紀史におけるF91の立ち位置、を推していこうと思います。
キャラクター編① 二つの家族
まず、クローズアップするのは主人公のシーブック・アノーとヒロインのセシリー・フェアチャイルドについて。そして本作品の主題(だと勝手に考えてる)であるその家族について。二人の家族構成は、両親と兄妹という4人構成なところは同じながら、その立場、性質は大きく変わっていて大いに比較の余地があります。
まずはアノー家の構成説明を、父:レズリー・アノーはコロニー建設に携わる仕事をしており、不在がちな母親の代わりに兄妹の面倒をよくみている、主人公の親のくせにとてもまともです。一方、母:モニカ・アノーは民間の研究員ですが、ぶっちゃけF91の開発に携わっています。初代「機動戦士ガンダム」が父親の作ったガンダムに対し、今作は母親が作ったガンダムに乗るわけですね。実は父レズリーは元々金属材料の研究者でしたが、軍事転用を嫌って今の仕事をしています。なのに、研究を軍事転用されている母:モニカについて、それはそれこれはこれと理解を示し、その不在を埋めるようにし、子からの信頼もかなり厚いです。子の二人もモニカに対して不満はありますが、滅茶苦茶に嫌っているわけでもなく、母親に会えない寂しさの現れぐらいには感じますね。母モニカも二人のことは心配されており、息子がガンダムに乗ることに反対するシーンは母親なのか技術者なのかを問われるシーンでもあり、シーブックの強さを見せる良いシーンですね。
さて、主人公のシーブック君、18歳(だった気がする)の工学部生。正義の熱血漢とかではなく、少し大人びてはいますが学園祭のミスコンの賭けにのっていたり、財布に避妊具を忍ばせるくらいには普通の男の子です。MSの操縦ができるのは工学部生だから(超便利設定)。家族思いで、特に妹には母親のいない寂しさを感じさせないように配慮してる好青年です。対して妹のリィズ・アノーはその心配を跳ねのけるくらいのしっかり者。泣き虫ミゲンの面倒見たり、自分のできる仕事をしっかりこなしたり、何より母親との思い出を大切にしてる。なんていい子......まともな家族がいないガンダム主人公の中でもトップレベルのまともさ。いや、普通に考えればこれが一般的な家族なのだろうな、くらいの普通に幸せそうなご家庭です。
次はドロドロのヒロイン家庭。初めに言っておくと、この母親再婚しています。母:ナディア・ロナはボンボンのとこのお嬢様です。いいとこのお嬢はいいとこの男、カロッゾと結婚、以降カロッゾ・ロナがロナ家の家督を継ぐ形になるわけです。二人の間には兄:ドレルと妹:ベラが生まれますが、父カロッゾはロナ家のやばい思想にそまりちょっとアレな方向に進んでいきます。そんな家に嫌気がさしたナディアは浮気相手のシオ・フェアチャイルドと娘ベラを連れて家出。その後、ベラ・ロナはセシリー・フェアチャイルドを名乗り、パン屋の娘としてそれなりに暮らしていました。その後、作中で母のイヤリングの所為で身バレ、ロナ家に連れ戻されては仮面を被って宇宙空間を移動できるマジモンの化物になった父親に再開、老害爺に偶像に仕立て上げられ、まんま政治の道具扱い。身勝手な母親を当たったり、再開した父にさっそく辛辣な罵倒を浴びせたり、割と擦れてますね。美人薄命とは言いますが、作中でも美人扱いでミスコンでも注目の的でしたが、まぁそれなりに苦労してそうな感じですね。ちなみにドレルは完全に空気。ロナ家のすることに疑いを持たない、おぼっちゃま的武人ポジションですね。人間味ある武人ポジションは完全にザビーネに出番を奪われてますね。
ロナ家という血の呪いはダイクンやザビ家などと同じ匂いを感じますね。その家に生まれてしまったばかりに押し付けられる業。血は水よりも濃いなんて言葉がありますが、じゃあ血のつながりがあれば、それが家族なのか。そこが家なのか。ロナ家にいては道具扱い、一方、義父のシオ・フェアチャイルドはロナ家の圧にまけてセシリー自信を売った男。母ナディアは重責から逃げに逃げる女。彼女が帰る家は何処か。
作品は主にセシリーとシーブックを中心に描かれていきます。どちらの家庭も物理的距離は離れていながらも、心のつながりは圧倒的な差があります。それぞれ父、母、兄、妹がどんな立場で家族のことをどう思っているのか。ご注目です。
キャラクター編② 個性の強いサブキャラ
ここからは簡単に個性あふれるサブキャラを紹介します。誰も彼もが人間味あふれる良キャラです。全員は紹介しきれないので、私のお気に入りを何人か。
ドロシー・ムーア
シーブックの同級生で、金髪にでかでかイヤリング、エメラルドのブルゾンにボディコンといったバブル時代のギャルですが、性格は温厚。赤ん坊に哺乳瓶でミルクを上げるシーンには母性マシマシで感じますね。若者の中でも母親ムーブができるまともな女性。一作品に必ず一人はいるアレですね。
ザビーネ・シャル
敵側のエース軍人。活躍は続編の「機動戦士クロスボーンガンダム」の方が有名ですが、冷静で命令には忠実ながら、非人道的な兵器を扱う自軍に憤慨したり、戦場に現れた赤十字マークの怪しい船を見逃してやったりなど、敵の中にも血の通った人間がしかといることを見せつけてくれる、人間同士の戦争であるガンダムならではのキャラクターですね。
コズモ・エーゲス
必ずいる老害枠。歳とってるだけの無能上官ポジ。でもちょっと憎めない間抜け。あれこれいって若者を戦場に登用しようとするくせに自分は後ろでふんぞりかえってるだけの典型。偉そうに指揮とってるけど、裏で仇名で陰口叩かれてる人。
ビルギット・ピリヨ
兄貴ポジション。主人公グループ唯一の正規軍人パイロット。戦場素人のシーブックにいろはを教えてくれる、時に厳しく、時に優しい。マジでシーブックの周りいい人多くね。登場するパイロットが5人ぐらいなので、戦闘が入ると必ずクローズアップされる。もっと動かないと。
ドワイト・カムリ
父は駐屯軍の副指令、自身は学園の生徒会長。そしてC.V.子安武人。綺麗な子安。最初のセリフはハーイ。
アーサー・ユング
だってこれ、アーサーなんだぜ
ラスト二人はネタ枠ですがね。でも何気に子安さんって最多出演なんじゃないですかね。F91のドワイト、Wのゼクス・マーキス、∀のギム・ギンガナム、種のフラガマン、Gレコのラ・グー。なんにせよ子安さんのガンダムデビューはここですかね。歴史、感じますね。
ドロシーやコズモは富野作品には必ず登場しているであろうキャラクターですね。特にドロシーの見た目とのギャップは覇権とれますよ。
これ以外にもシーブックの同級生、幼少組枠、オタクっぽいメカニック、太鼓持ちの嫌味士官など人間味満載のキャラばかりです。ぜひともお気に入りのキャラクターを見つけて欲しいものです。
宇宙世紀100年代の世界とは
はい、ここからは宇宙世紀という世界を考えるところです。前後の時代の作品の知識をふんだんに使います。わからないところは調べながら行きましょう。
さて、宇宙世紀100年代とは、ずばり地球連連邦府の腐敗と衰退、それにともなうコロニー間での武装蜂起がおこる時代。今までの連邦VSジオンという構図を一新した世界なわけです。
U.C.0079のジオン独立戦争から始まった地球連邦軍とジオン公国との戦争はU.C.0093の第二次ネオ・ジオン戦争、所謂シャアの反乱をもって終戦を迎えます。ラプラス紛争は連邦が隠匿、マフティーの反乱も戦火はアデレード近辺でのテロ活動のみ、火星に逃げ延びたジオンも歴史の表舞台に出ることはありませんでした。つまり、地球圏はやっとこ平穏をとりもどした時代。それが宇宙世紀100年代ですが、ジオンとの度重なる戦争で連邦政府自体はかなり疲弊しています。まぁ地球にコロニー3基、小惑星1つ落ちてますからね。目の上のたんこぶであったジオンがなくなったことで、一仕事終えた連邦軍は休暇をもらってそのまま出勤しなくていいよ状態ですかね。また、連邦政府は腐敗に腐敗しきり、政府の高官たちは地球に閉じこもり宇宙の事には無関心。その結果、割と宇宙ではみんな好き勝手やりだしたのがこの時代ですね。その萌芽こそが「機動戦士ガンダムF91」で描かれたU.C.0123のバビロニア建国戦争なわけですね。戦争なんていってますが、巻き込まれたのはフロンティアコロニーと呼ばれるたった4基のコロニーだけ。実は裏工作済みで、連邦はこれを静観する気まんまん。もはや宇宙で起きるそんな些細なことなんてどうでもいいと。でも結果、クロスボーン・バンガードを率いるカロッゾは戦死、その後ベラ・ロナ自身がコスモ貴族主義を否定したことで、連邦の思惑通りかは知りませんが最終的に何も起こらずに収束してしまいます。
そして、これを皮切りにU.C.0133の木星戦役、U.C.0153のザンスカール戦争と地球圏を巻き込む戦争が起こります。各々は30年近く軍備を蓄える時間がありましたが、ジオンがいなくなり争いのない世界にあった連邦軍は蓄えなし。U.C.0123年では30年前の戦艦やMSが未だに一線で戦っています。一応、木製戦役では量産化されたF91が登場していますが、艦船はいまだにラー・カイラム級でしたね。ザンスカール戦争でも、リガ・ミリティアの旗艦ジャンヌダルクはラー・カイラム級ですし、MSは幾ばくかマシですが、それでも戦力差は圧倒的ですね。
それでもMS事情を見ていけば、「F91」の作中に出てくる連邦軍機はアナハイム系列のジェガン、ジェガンの後継機のヘビーガンとサナリィ系列のGキャノンのF91.アナハイム系列は開発競争に乗り遅れた20m級の大型MS、後者は新進精鋭の機体ですが、配備数は少ないものです。一方、クロスボーン・バンガードはすべて最新の技術を盛り込んだ機体ばかりに。この時代のMSの特徴として、非常に小型であることが挙げられます。
U.C.0087年のグリプス戦役を皮切りに、MSの高出力が求められ、結果ジェネレータの大型化にともなうMSの大型化が進みました。代表例は木星で開発がすすめられたジ・O でしょう。木星は地球よりもはるかに重い星であり、比例して重力も大きく、木星の重力圏を動くには高い推進力が求められます。その結果生まれたのがジ・Oを筆頭にするシロッコが設計したMS郡、メッサーラ、パラス・アテネ、ボリノーク・サマーンのような大型MSたち。大型化の風潮は100年代の頭ごろまで続きましたが、先にも上げたようにジオンのいない世界では軍縮まっしぐら。MSにもあほみたいに燃費の食うモンスターカーではなく、コンパクトで使い勝手の良い軽自動車が求められるわけで、その結果100年代以降のMSは基本15mクラスになります。MSの元祖たるザクやガンダムは18mなので、元々よりもさらに小さくなるわけですね。かつてはデンドロビウムやノイエ・ジールなどの大型機にしか搭載されなかったIフィールドジェネレータもMSの手のひらサイズになってしまうわけですよ。
また、これらのMSは今までと開発元が大きく変わります。連邦とジオンとの戦争には主にアナハイム・エレクトロニクスという、いわば老舗のMS屋さんが開発を携わっていたわけです。それが、クロスボーン・バンガードもザンスカールも連邦の見えないところで隠れて開発していて、結局老舗企業を上回る機体を仕上げてます。連邦軍もアナハイム製から海洋研究所のはずのサナリィ製のMSに切り替わります。まぁ100年代になってアナハイムから技術者が流出した可能性も十二分に考えられますが、組織も兵器も古い時代から一新された、それが宇宙世紀100年代の世界というわけです。
そして、大きく変容したのはその思想でしょうか。かつて、月の裏側で青い星を求めたコロニーからジオンは生まれました。ダイクンの思想はあくまで自治権獲得ですが、ザビ家の思想は優良種たるスペースノイドの地球圏支配です。その後もジオンの名はスペースノイドにとっては地球からの独立解放の大きな旗印となり、生まれ故郷で渡航禁止の地球を神聖視する風潮が高まります。しかし、100年代になるとその考えは大きく変わります。地球で暮らしたことのない世代が大頭するようになり、連邦政府の支配が機能しない現状では、もはや独立なんてものは夢でもなんでもありません。必要なものは資源衛星からの採掘やコロニー内で生産できる、生まれも育ちも宇宙であるこの世では地球はもはや不要。でも、その地球にはわが物面してのうのうと暮らしている連邦政府がいるから、目障りだからこの際駆除してしまおう、というのが戦争の経緯になるわけです。厳密にはまぁ違うのですが、もはや新しい宇宙の民にとって地球はそんなに大切なものではなく、むしろ必要な資源は宇宙に転がっているのだから、そっちを確保するのが先決ですね。
というわけで、世界がまるまるっと変わってしまう。ここから宇宙と地球という対立構造から、新旧の対立構造に移るわけです。すなわち、オールドタイプとニュータイプの対立。もはや100年代ではガンダムという単語もニュータイプという単語も神話の中の存在。現代にとってヘラクレスとかヤマトタケルとか、空想のお話みたいな存在になってるわけですが、その中でもしっかりとこれらを分ける描写はあります。新時代において、宇宙に住むのが当たり前になり、より一層ニュータイプとはなんなのか、ということを深く考えます。というのはどちらかと言えばクロスボーンシリーズで取り上げる機会が多いので、トビア・アロナクスやグレイ・ストークにまつわるお話を読むことをお勧めします。
まとめ
というわけで、「機動戦士ガンダムF91」、富野的なキャラクターのリアリティは健在ながらも、今までとは違う新しい人を描き、さらにジオンのなくなった次の宇宙世紀を描く、This is the only beginingってわけですね。あとはF91のふくらはぎが最高ってところですかね。まじであのふくらはぎ、煽情的にも程がある。目覚めちゃうよ始まっちゃうよ。
これで少しでもF91の好きなところが伝わってくれれば幸いです。続編のクロスボーンガンダムはそれなりに冊数出ていて追っかけるのも大変ですが、新しい人類を考えるという点では大変魅力的です。ニュータイプ論が割と変わると思うので、そっちが気になる人は履修をお勧めします。
それではまたどこかで。そろそろガンダム以外の作品も触れましょうか。というか昔の記憶をたどって書くのも限界があるんで、これを機に再視聴しますかね。ザンボット3とか、見るのつらいんですよね。ではでは~~
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