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東南アジア横断日記③

2020年1月22日(水)

いよいよラオスに向けて出発。少し疲れが出てきている気がしないでもないが宿が非常に快適だったのでよかった。

日本人宿のサニーAホテルは非常に良かった。ベトナム人スタッフに日本語で現地の情報を聞けるのも心強かったし、なによりも宿の居心地が良い。バルコニーで街を眺めながらタバコを吸うのはとても気持ちの良い時間であった。

いよいよラオスに向けて出発。この移動が今回の旅最大の山場というか本当に嫌だ。ろくな情報が出てこない。国境でバスに置いていかれただのバスが途中でぶっ壊れただのもう散々なことが書かれているがそれはもう乗ってみないとわからない話なので諦めてラオスに向けて出発するしかない。

12時半に来いと言われて行くとタクシーが。何故か俺だけ入らないから、とバイタクに乗せられてよくわからない場所に。よく見たら3日前に来たフエ駅近くの音大の敷地だ。ここでバスを待つらしい。

30分ほどでくると言われたがここは東南アジア。もう俺もそんな言葉は信じないでゆったり待っている。実際1時間半ほど待たされた。まあこのくらいでイライラしてたら東南アジアで旅なんかできない。寝台バスがやってきた。

この寝台バス、なかなかに刺激が強い。クラクションを鳴らしまくり、周りの車をどかしまくりバスはひたすら幹線道路を爆走。怖すぎる。途中からベトナムの謎の曲が流れるし前でタバコ吸ってるしすごいバスだ。ただこんなキチガイじみているのに寝台バスなので意外と快適だ。トイレ休憩がいつになるのか。僕はとてもトイレが近い。これは非常に重要な問題だ。実際この文章を書いている間、メチャメチャトイレに行きたい。助けてくれ。頼む。猛烈な尿意とベトナムでも戦う。

今のところ大丈夫だ。(大丈夫ではない)バスはフエの北、ドンハという街で西に進路を切り、ベトナム戦争の激戦地ケサンとその近くにあるラオバオ国境に向かい相変わらず爆走している。俺の膀胱も激闘している。

国境到着。己との戦いも無事に勝利を収めた。結局トイレ休憩はなかった。

バオラオ国境は割とメジャーな国境で、ベトナム側の建物は非常に立派であった。ベトナムのイミグレはスルーしラオス側に行くとベトナムの係員がいるのでスタンプを押してもらうシステムだ。日本人はビザが要らないのでとても早く手続きが終わった。入国カードを出してないのにスタンプもらってしまう(普通はアウト)ハプニングがありつつも本当にすんなりと国境をクリアした。

ただし乗っていたあのヤバ・バスがなかなか来ない。ほかの欧米人やたまたま乗っていた日本人とともに呆然と1時間半くらいは待ちぼうけていた気がする。同じく長いこと国境で足止めされていた牽引トラックのおっさんとタバコの交換をしたりして暇を潰していた。

国境を超えたあたりで運転手がジェスチャー付で飯だ!と叫ぶ。謎のレストランで大量に料理をかき込む運転手一同たち。勝手がよくわからないがフォーくれと頼むとフォーが出てきた。15000キープ。

飯を食いさらに進むとサワンナケートに到着。乗り換えろと言われて深夜の街に放り出されたが周りは野犬が鳴きまくっててマジで怖かった。幸いすぐにバスが来たが……

深夜の3時頃、パクセー南バスターミナル到着。ホテルの前までソンテウ(トラックの荷台を無理やり客席にしたトゥクトゥクのお化けみたいなやつ)に乗り換えて市街地のホテルへ。無理やりフロントのお兄ちゃんを叩き起こしてチェックイン。ついでにシーパンドンまでのチケットを確保してもらった。
書くことが思いの外多くなったので続きはまた明日書こうと思う。

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