ティニーの首飾り その2
ティニーの父親別 首飾りのお話 その2はアゼル、デュー、アーダン、ミデェールです
アゼル父の場合
ティニーはフリージを、兄はヴェルトマーを継ぎました。久しぶりに兄の元を訪ねたティニーは、城の中の方々に炎の紋章を認めます。それを眺める彼女の胸には痛みが走りますが、それは懐かしい痛みでありました。彼女は胸に手をあてて目を閉じて息を飲み込みます。痛みとともに飲み込んだその息はしかし、どこか甘い味がしました。
ティニー。
名を呼ばれて顔を上げると兄がこちらを見ています。きっちりと襟の詰まった服を着ていますが、ティニーはその服の下に炎の紋章が刻まれた首飾りをしているのを知っています。
ティニーもかつては同じものを持っていました。
いま彼女の首はなににも飾られていません。
白くて長い首が、少し寂しく感じるほどですが、彼女は彼女のかつて持っていた首飾りのほか、どんなものも首に下げる気にはならないのでした。
では、かのじょのくびかざりはいま、どこにあるのでしょうか。
デュー父の場合
「何か贈り物をしたいと思って。何がいいだろうか考えたんだけど、君の首には君の母上の首飾りがあるから…腕輪か、指輪か。髪飾りでもよいけれど」?
デルムッドはティニーに言った。
思いを確かめあい、将来を誓い合っでしばらく、デルムッドはそうティニーに言った。??ティニーとしてはともにいられるだけで十分だったが、戦いはまだ続いている。戦場では騎馬部隊と魔道歩兵と離れているが、いつもともにあればとの思いから何か形のあるものを贈って身につけていてほしい。店を回ってきっとティニーに似合うものを探した。これぞというものを見繕ってはいるが、彼女が気に入ってくれるとは限らない。なら一緒に買いにいけばいいだろうと考えた、という趣旨のことをデルムッドは言った。もちろんティニーに異存はない。
「わかりました、では」
というと、デルムッドが財布を彼女に差し出す。ティニーはそれを慣れた手つきで受け取った。
いつも支払いはティニーなのだ。デルムッドがティニーに財布ごと預ける。支払いはティニーがするというのが二人で出かける時の決まりのようになっていた。理由はティニーが支払いをする方が安いのである。安く買えてしまうのだ。
この軍には父と母のことを知っている人がいる。シャナンが話してくれたことがあった、ティニーの父はどこでも値切るのがうまかったと。父のことは全く覚えていないが、どこか似たところがある、のだろうか?
そしてふと想像したりする。父と母も連れだって買い物に出かけたろうか、この首飾りも父が値切って買ったのかしらん、などと。
アーダン父の場合
オイフェと名乗ったその騎士は目を細めながら言うのだ、「私はその石を知っております」と。そして、しばらく黙ったあとに、小さく「あぁ」と言った、ような気がした。それはほんの小さな呼吸の乱れであったかもしれないが、ティニーには彼の心のかけらが漏れたように思えた。
「オイフェ、調べてくれよ」
「翡翠なんじゃないかな?」
そう言いながらアーダンとティルテュがオイフェの元にやってきたのはシレジアについてすぐのことである。なんでも二人で海岸を散歩してて拾ったとのこと。白っぽく、かすかに翠が見える。
「アーダンはこれが翡翠かどうかはオイフェに聞けばわかるって言うんだけど、いくらオイフェが物知りでも石のことなんてわかんないんじゃない?」
ティルテュがオイフェの顔を覗き込む。そりゃオイフェにもすぐにでも分からんことはあるだろうけど、オイフェはわらかないことの調べ方を知っているから、すぐに分からないことが分かることになるのさ。だろ? オイフェ。そうアーダンが言う。ティルテュに対して何処か自慢げに語られてオイフェはひどく面映ゆい気がしたものだ。たしかにシレジアには翡翠の流れ着く海岸があると聞いたことがある。きっと二人もその噂を聞いて海岸を歩いたのだろう。「アーダンは拾い物をするのが得意なんだって」「得意っていうか、この腕輪を拾っただけだけど」「きっと運がいいのよ! この石だってきっと翡翠。こんなに綺麗なんだもの」「いや、運はあんまり良くないかなぁ」
二人はオイフェの前でそんな掛け合いをしている。オイフェはその石を預かることとなった。
結論を言えば、二人が拾った石は翡翠ではなかった。比重も質感も翡翠とは違ったのだ。軽く、柔らかかった。しかし、石を返しつつそれを告げても二人はがっかりした様子もない。そっか。でも綺麗な石だから磨いてもらおう!とティルテュが言った。二つぐらい山型に切り出せるでしょう? そう言っていた。つぎは本物の翡翠を探そうと言っていた。楽しそうに。
「私はその石を知っています」と言ったオイフェにティニーは答えた。
「はい」
翡翠ではないことなど知っている。何度も「あんな偽物を後生大事にぶら下げて」と嘲られた記憶があるのだ。しかしオイフェは言うのだ。
「いや、あなたはご存じないだろう。それは翡翠ではない」
いや、だから、それは知っているのだ。不審は顔に出たのだろうか、オイフェは表情を改めて言った。
「それは翡翠ではございませんが、翡翠よりも尊い石です」
いつかお話しいたしましょう、その石を私は本当によく知っているのです、と、オイフェは続けた。
ミデェール父の場合
小さな瑪瑙の首飾り、その石の表面に刻まれているのは植物の紋様なのだが、ティニーはそれがどういった植物とも考えたこともなかった。
「これは澤瀉」と教えてくれたのはイシュタルだ。そもそも彫り込みがうっすらすぎてほとんどの人は紋様の存在にすら気づかないのだが。
「おも…だか?」
「そう、澤瀉」
ティニーはそれから澤瀉という草の名を気にかけていたけど、書物を自由に読めず庭師に花の名を聞くことも出来ぬ彼女はずっとほんとうの澤瀉を見ることなく過ごしてきたし、似た文様の描かれたものなども見かけることがない。やがて母の首飾りに刻まれた草の名も日々に埋もれた。
そんな彼女が自分と兄の首飾りのほか初めて澤瀉を見たのはレスターのシャツの袖口だ。
「レスター様、これは」
思わず声をかけた。だいぶ単純な図案化がされているが、袖口に目立たぬ色で施された刺繍は、澤瀉ではないか。
「これ?」
突然、特別親しくもないティニーに話しかけられてレスターは驚いたようだが、すぐに表情を改めて「この刺繍のこと?」と言い手首を上げてみせる。
「この刺繍は、母上が…」
「澤瀉ですか?」
「え? あぁ、これは澤瀉。母上が刺してくれた」
ティニーは小さく唾を飲み込み襟元を掴んだ。服の下には母の首飾りがある。
澤瀉が好きなの? とレスターは言う。いえ、でも、はじめてみて…と、どこかちぐはぐな答えをティニーは返した。あぁ、そうだね、澤瀉の模様はあまり見ないかなぁ。でもユングヴィでは親しまれた図案らしいよ。澤瀉の葉は、ほら、矢尻に似ているから。
確かにそうだ。まるでこの葉は矢尻のよう。トードの家では見なかったのもわかる。これは弓の国の文様なのだろう。