希望と身勝手(コープルの話)

「コープル……あなたには大変な思いをさせてしまったわね」
アルテナはそう言うが。
「気遣ってくれてありがとう。私は大丈夫よ」
アルテナはそう言うが。

 コープルはとにかくアルテナのことが好きだった。アルテナは美しい。アルテナは強い、アルテナは優しい。好きにならない要素がない。とにかくコープルはアルテナが好きだった。

 アルテナはトラキアの王女である。いや、王女であった。トラキアは希望を持ちにくい貧しい国だが、アリオーン王子とアルテナ王女が次代を率いていくと思うと未来は明るいと誰もが信じていた。王家はいつでもトラキアの民の希望であった。

 それがどうしたことか。トラバント王とアリオーン王子は戦死し、アルテナ王女はレンスターの王女だったのだという。

 「父さんは知っていたのですか?」

 コープルはハンニバルに尋ねた。

 「なんのことだ」

 「アルテナ様のことです。レンスターの王女様だったって……」

 「……知らなかったといえば嘘になるが、知っていたわけではない」

 「どういうことですか」

 「トラバント王がイードでレンスターの王子とその妃を討った。討伐から戻ってすぐに王に王女ができた。ある日突然、姫が現れたのだ。王とともにイードに行った竜騎士たちは口を閉ざしている。外の女の腹ということになっていた。騎士は皆それを信じると決めたのだ」

 「……」

 アルテナは美しい、アルテナは強い、アルテナは優しい。その優しいアルテナをそんな嘘で取り囲んでいたのかと思うとコープルの心は重くなった。

 「アリオーン様も、知っていたのでしょうか」

 「知らぬと思うか。アルテナ様が現れたときはすでにしっかりとした王子だったのだぞ」

 突然王女が現れることも、その王女がある程度成長していることも、それほど珍しいことではないから誰も問題にはしなかった。外の女とトラバントが関係した結果が数年後に戻ってきたということのだけにしても不自然ではないが、イードから父が妹を連れ帰ったというのは……。

 実の子でもあるまいに、それほどこの子が可愛いか。

 トラバントはハンニバルにそう言っていたが。

 「それではアルテナ様があんまりおかわいそうです」

 コープルが言うとハンニバルは「そうかね」と答えた。「コープルはそう思うか」と言う。

 「……だって、ずっと嘘をついて」

 「そうだな、だがそれは姫がかわいそうなのか」

 「……でも、自分の親を殺した相手に育てられるなんて、そんな」

 「そうだな、だがそれは姫がかわいそうなのか。お前は姫をかわいそうと思うのか」

 「……」

 コープルは言葉に詰まった。

 「嘘をつかれることは、幸せではないと思います」

 「それはそうだな。だが姫はかわいそうなのか」

 父は言う。光り輝いていたトラキアの未来と仰ぎ見ていたトラキアの大切な姫、その存在自体が嘘の上に築かれていたことは苦い。アルテナは事実を知って、いまその日々をどう振り返っているかは、わからない。強くて美しいアルテナ、やさしいアルテナ、凛としたアルテナ。コープルが好きなアルテナは嘘ではない。

 だが、あんまりだ。これはあんまりだ。

 「でも、これはあんまりです」

 コープルは言った。ハンニバルは「そうだな。それはそうだ」と答えた。

 「だからぼくは、アルテナ様の力になりたい、けど」

 コープルはアルテナの力になりたかった。アルテナを支えたかった。だってあんまりだ。トラキアがアルテアにした仕打ちはあんまりなのだ。だが、トラキアの民であるコープルはそれでもアルテナを支えたかった。これから彼女を支えるのはレンスターの面々なのかもしれない。彼女もそれを望むのかもしれない。そのことに軽く抵抗を覚える自分もまた、あんまりな人間なのだろうか。アルテナから親を奪ったのはトラキアなくせに、アルテナがレンスターにとられるようでそれがつらい。アルテナはトラキアの民の未来だから、だからトラキア人である自分が支えたいのだというのはずいぶんと身勝手なのだ。

 「これは身勝手でしょうか、父さん」

 ハンニバルはしばらく考えて、「姫がそれを身勝手と思う人かどうか、よく考えてみればいい」と言った。