断面図(ティニーの話)

朝日が昇るのをティニーは見ていた。稜線の向こうから、木々の影を浮かび上がらせながら太陽が少しだけ姿を表す。春まだ浅く、芽吹きは遠く、そのため裸の木の姿がくっきりと見える。確かにここは山の麓ではあるものの、あの遠い峰の裸形の木々がこんなにもくっきりと逆光にその姿を晒すのが何か得難いことのように彼女には思われていた。朝日は峰と自分の距離を一気に近づける力を持っているような気がした。
「こんな時間から、どうしたんだい」
声をかけられ振り返る。夫が外套に首を埋めながら「ふぅ、それにしても寒いな」と言った。
「急にいなくならないで。隣にいないんだもの、驚いたよ」
「山の端を見ています」と東の空を眺めながらティニーは答えた。
「朝日じゃなくて、山の端?」
「はい」
「……あぁ、確かに……」
そう言って夫が東の峰を目をすがめて見る。先ほどよりも、朝日はその姿を増して、今,峰の梢を頭が超えた。朝の光はその途端に少し力を増したようで、夫の金の髪がその光を浴びて、彼女には太陽より眩しい。
「森の断面図みたいだ」
森の断面図というのは素敵な言葉だと彼女は思った。
「崖の上の木がよく見える。まだ芽吹きてないから、樹形がよくわかるね」
そうなのだった。ここは山の麓ではなく、崖の下なのだ。だから朝日が峰と自分を近づけたのではなく、そもそも峰が近いのである。
このところ一緒に回っている夫の領地の中でも、ここはティニーの気に入った。何もないところだが、
見上げればもう、太陽は梢の上にすっかりと姿を表している。薄闇も消え、太陽は白々と輝く。フリージに昇る太陽は、ここアグストリアの朝日よりも青白かった気がするが、あの青さは夜明け前の青さであり、自分はずっと夜明け前を朝だと勘違いしていたのかもしれない。薄紫の雲が薄く伸びる。あぁ、フリージは夜明け前だった。ここは朝、わたしの朝だ。
「……これが、朝…」
ティニー はつぶやいた。
「寒いなぁ、早くもっとあたたかくならないかな」
夫はティニー の呟きを聞いていないようである。
「デルムッド 、今度あの峰を一緒に歩きましょう」
ティニーは言った。
「大変だよ? 馬では行けない。道が無い。ひどい藪だし、無傷では帰れないな。遠くから見るに限るよ」
「行ったことがあるのですか」
「あるさ。騎馬兵には辛い思い出だよ。でもアレスは守れたし、よかったんだろう」
ティニーの知らないアグストリアの解放戦争の話だ。共に戦えたらよかったのにと彼女は思うが、その頃彼女はフリージで種類の違う戦いをしていたのだが。しかし今は朝だ、春の朝だ。
「ようやく朝ですね」
ここに来るまで時間がかかったと彼女はしみじみ思う。そして彼はよく自分を待ってくれていたものだ。
「まぁ、太陽が昇ったら朝だよね」
どこか呑気な風に夫が言った。
太陽が登り切ってしまえば、さっきはあんなに高く感じた裸形の峰の断面図はひどく遠く感じられた。やはり朝日には何か力があったらしい。彼女の人生の輪郭をはっきりさせるような何か不思議な力が。