ティニーの首飾り その1

2017年から書いていたティニーの首飾りにまつわる連作を書ききったので、新しい雑記にて再録します。記事が長くなるので数回に分けます。

まずはクロードジャムカホリンアレクです

クロード父の場合

 この石がなんという石か、ティニーは分からなかった。おそらく誰にも分からないのではないか。透き通っているようで濁り、白いようでいろづく。青空の下ではすみわたるようで、夕日の下では燃え、月の元では青白い。闇の中ではほんのりと光るように、ティニーには思われた。だが人は言うのだ、濁った白いただの石だと。
 兄と出会った時、ティニーはいつもの通りこの首飾りを下げていた。いつも肌身につけているのだが、いつもは肌になじみ人肌にあたたまるその石が、その日の朝は妙に冷たく、彼女は鎖を手繰り寄せ掌に乗せてみた。今日の太陽のように少し乾いた色をしているかと思ったのに、うっすらと虹色に光る。
 「またそんな濁った石ころを見て」
 すれ違いざまにエリウが吐き捨てるように言った。
 肌身に添えるにはあまりに冷たく、ティニーは鎧の上に首飾りを下げた。鎖が心もとなかったが、身に添えぬことは考えられなかったのである。

 さて兄であるアーサーに出会った彼女は解放軍の一員となった。兄はティニーと同じ石のついた首飾りを持っていた。彼女が自分の首元のほかどこでも見たことがなかった石は、兄の目にもティニーと同じに見えているだろうか。それともやはりただの白く濁った石だろうか。
 「石の色? 今日は湿った色をしているかな。朝から雨だから」
 兄は言う。どうやら同じように見えているらしい。そして、石の色なんて気にしたことなかったな、と付け足した。
 兄はこの石を不思議とも思わなかったらしい。シレジアで一人で暮らしていたと言っていたので、汚い石よと罵るものもいなかったのかもしれない。
 「こんな石、見たことなくありませんか」
 ティニーは言った。兄は言う。
 「そうでもないよ。杖にもついてたし」
 兄はなにやらいわくありげな杖を持っていて、どうやらそれは父に関わりのあるものらしい。見せて欲しいと言ったら預かり屋に預けっぱなしだと言う。
 杖にこんな石が付いていたのですか? と尋ねると、杖ではないな、紐にだよ、と言った。ティニーにはよくわからない。今度預かり屋に会ったら見せてあげるよと兄は言った。その兄に、皆には白く濁った石ころと言われていたことを告げると、兄は「そう」と素っ気のない返事である。
 不思議ではありませんか。うん、不思議かもしれないね、今度フィーに見てもらおうか。そうですね、そうしましょう。
 そんな約束をした。フィーの目にはこの石が何色に見えるだろう? それは分からないが、自分と兄のの目にはフィーの瞳の色を映して緑色に見えるだろう。そんなふうにティニーは思った。

2017/10/18

ジャムカ父の場合

 「どうしたの、これ」
 渡された象牙色の小さな牙…もっともその牙には細かい模様が彫り込まれているのだが…を渡されたティルテュは夫であるジャムカに問うた。
 「彫り方を教えてもらった」
 そう言った夫の顔はほんの少しだけ照れているようでもあり、自慢げにも見えた。ほんの少しだけだが。
 それで時々姿が見えなかったのかとティルテュは思う。雪に閉ざされたこのシレジアの冬にどこに出かけているものか、と不思議にも思ったが、弓の鍛錬をしているのだろうと予想していたが、違った(たいてい夫は弓の鍛錬をして過ごしているのである)。
 曰く、この小さな牙の形をしたものに彫り込まれている模様には健やかに育つようにとの意味があると聞いたのだという。シレジアには家族にその模様を自ら彫り込んだセイウチの牙の飾りものを送る風習があるのだとか。つまりこれはセイウチの牙であったようだ。
 「セイウチの牙にしては小さいね」
 いうとジャムカは笑う。
 「元は大きかった。小さく削っただけだ」
 今度、宝飾屋に鎖をつけてもらいにいこうかとジャムカは言う。言った後に、体を冷やすといけないから自分が行ってこようと言い直した。大丈夫よとティルテュは言う。二人で出かけるのは久しぶりであった。

 宝飾屋では、台座に何か宝玉をつけたらと言われたが、断った。ジャムカの彫ってくれた牙があれば十分だった。
 しばしして城に品を納めに来た宝飾屋は二つの牙を持ってきた。
 どうして二つあるの? と問うとジャムカはティルテュに渡したものは実は二作目なのだと言った。最初の一つは出来が悪く渡すのは躊躇われたが、ティルテュと二人で出かけた次の日、こちらにも台座をつけて欲しいと頼んだのだと言う。根付にでもしようと思っていたと言う。
 お揃いだねと言うと、あぁ、そうだなと彼は笑った。彼女の首飾りになったのもの方が少し小さい。そして彼のものになったものの方は、確かに模様が不格好だった。鎖を首に通してみる。
 ティルテュには少し野趣溢れすぎるなとジャムカは言ったのを彼女はよく覚えている。でもジャムカ、健やかに育ちますようにだもの、私じゃなくて、お腹の子供への贈り物でしょ、きっと似合うよと言うと、そうかもしれないなと彼は言った。ジャムカにはとてもよく似合っているよと背伸びして、そして少し身をかがめてもらい、彼の首に鎖をかけた。

 ティルテュはその首飾りをもらったその日のように掌に乗せてみた。傍にもう彼はいない。でも、自分はあの時と同じように彼の子を腹に宿している。そして彼女はもう一つの牙も並べて掌に載せてみた。少し大きくて、不格好な模様の…シレジアで子供達と過ごせと言われた別離の日に彼が彼女に託したのだ。これは不格好だが、新しいのをその子に彫ってやることはしばらくできそうにない。それまでこれを、と。

 健やかに育ちますように。

 アーサーはティルテュによく似た銀色の髪をしていた。首飾りはやはり少し野趣溢れすぎているかもしれないが、いつか彼女の夫のようにこの首飾りが似合うようになるだろう。そしてお腹の子供も、少し大きく不格好な首飾りが似合うようになる、だろうか? でも大丈夫、いつか、ジャムカは必ずシレジアで私たちを見つけてくれる、そうしたら、新しいものをもっと上手に彫ってもらうのだ。そう信じることしか彼女にはできないのだから。

2017/10/19

ホリン父の場合

 「ちょっと、あなた! そこの、赤いリボンの!」
 赤いリボンの、という言葉までティニーは自分が呼び止められているとは思っていなかった。驚き振り返ると、そこには眉を釣り上げた栗毛の少女が肩を怒らせて大股にティニーに向かって突撃してきているのである。
 「な……なんで、しょうか?」
 あまりの剣幕にティニーは気後れして言った。言いつつ、この人とは先ほどすれ違った気がするとティニーは思った。ティニーの胸元にすこし視線を止めたような気もしたが、それはよくあることなので気に留めていなかった。それに、すれ違ったのはすこし前で、息を切らした様子を見ると彼女は随分と行き過ぎてから引き返してきたものらしい。肩を怒らせてというよりも肩で息をして、といってもいいぐらいである。
 「あなた、フリージね、フリージよね」
 「はい…」
 解放軍にはフリージによい思いを持っていないものが多い。面と向かってティニーにお前はフリージかと聞いてくるものもいなかったが。だが、フリージ色をしたこの髪は目立つものだから名乗らずとも指差されずどもそれは知れた。知れるはず、なのだが、栗毛の少女はティニーの髪ではなく胸元を凝視して、さらには首を伸ばして覗き込んで言うのだ。
 「ティラ、じゃない、ト…、テュ……ティルテュ 。ティルテュ ! 読めた! 読めたわ!」
 読めた! というと同時に思い切り顔を上げる。胸元を覗き込んだ状態から顔を上げるものだから、危うくティニーの顔にぶつかりそうになる。実際、彼女の髪のひと房がティニーの頰を鞭のように掠めた。鼻と鼻とがぶつかりそうな距離で彼女は言う。
 「あなた。ティルテュ おばさまの、娘ね」
 ティニーは大きく瞬きし、唾を飲み込んだ。母をおばさまと呼ぶこの人は誰だ。
 女の興奮とティニーの動揺がすこし収まってきて、ようやくまともな意思疏通が始まった。
 彼女の名前はミランダ。アルスターの王女で、母親はティルテュ の妹・エスニャであるという。そして、ティニーは母の形見の首飾りを胸にかけているのだが、この首飾りには横に長い板のような飾り物が付いていて、そこにはいくつかの溝が刻まれていた。ティニーはそれをずっとただの模様だと思っていたが、ミランダによるとこれは暗号なのである。
 「あんごう?」
 「そう、秘密の暗号」
 ティニーには縦線に幾種かの飾りがついたものが並んでいるだけなのだが、ミランダによるとこれはティルテュ とエスニャで昔考えた秘密の暗号をもとにすると読み解けるらしい。ミランダの母は言ったという。「この文字が読める人と出会ったら、それはあたなのきっといい友達になれるから」、と。そう言い彼女にその暗号の法則を教えてくれたのだという。先ほどすれ違いざまにティニーの胸元の首飾りに目が止まった。見逃してはいけないものを見た気がした。しかしすぐには何かわからず考え込んでしまったが、あれは母が死んでからついぞ目にしなかった暗号ではないか? と、思ったのだそうだ。それで慌てて戻ったと。そして、母は暗号が読める人とは友達になれると言ったが、あなたは読めないのねとミランダは落胆していた。
 「かあさまのことはあまり覚えていなくて」
 ごめんなさいと言うと、ミランダははっと顔を上げ、落胆の色を消して、「こっちこそごめんなさい」と言った。
 ティニーはミランダに首飾りの模様を全て読んでもらった。
 「ティルテュ へ、オードの加護を」
 とのことだった。
 暗号を見つけて、本当に読めたんだから感動したわとミランダは言っていた。そんなミランダに、兄も同じ首飾りを持っているから、読んでみてくれないかと頼んだ。
 アーサーの首飾りには、ミランダによるとこう書かれている。
 「ホリンへ、トードの加護を」

2017/10/24

アレク父の場合

 ーーーまたおばあちゃまの話だ。
 そうアレクは思った。またといってもこれは不快ではない。どちらかというと愛しさに近い。
 ティルテュは家を飛び出して、叛徒とされたシグルドのもといまはシレジアにいるのだからこれは家に背いたということだ。気丈に振舞ってはいるが、なんでこんなことにとと思っているのはわかる。家に背いたといっても、家族仲は悪くなかったようで、父のこともきょうだいのことも大好きらしい。それはそうだ。愛し愛され育たねばこんな姫にはなるまいとアレクは思う。家族のことは口に出すのはどうしてもはばかられる。不安にもなる。寂しくもなる。やるせなくもなる。そんな時に彼女が話しだすのは決まって、大好きだったおばあちゃまのことだ。だいぶ聞かされたので、アレクは今ではおばあちゃまが好きな花も食べ物も、鳥の鳴き真似が上手でオタマジャクシが大の苦手なことまで知っていた。カエルになると平気だったそうである。
 ティルテュ はフリージが恋しくなったらおばあちゃまの話をするのだ。当然いるはずの父の影が彼女の語る物語から消えているのがいたましくもある。そして、時々避けきれず父を語ってしまった時、彼女がわずかに怯んだようだ目をするのがアレクにはたまらない。そんな時は思わず抱きしめてしまいたくなる。今日彼女が話しているのは彼女の耳飾りの話。それをもらった時の話は3回は聞いている。だが今日はもらった時の話ではないようだ。無くした時の話、おばあちゃまと庭を散歩していて、気づいたら片方なくて、泣きながら探し回ったこと、おばぁちゃまが胡桃の根元から見つけてくれたこと、もう絶対になくさないって思ったこと…。
 おばぁちゃまの思い出話の間、アレクはひたすら聞き役である。真剣に聞いている。彼女のことがもっと良く知りたかったし、彼女が吐き出すやるせなさは全て受け止めたいと思っていたので、真剣にもなる。
 思い出話が終わるとティルテュ は少し心が落ち着いた様子である。
 「アレクとおばあちゃまは、きっと仲良くなれたよ」
 ティルテュ は言う。
 「俺もお会いしたかったよ」
 もうこの世にはいない方だが。
 「ぜったい、仲良くなれるよ」
 もうこの世にはいない方だが。しかし自分の孫娘が一騎士の妻になっていたらおばあちゃまはきっとひどく落胆するのではないかなどどアレクは思った。今だってアレクは思うのだ。レプトール公に挨拶をすることになったら自分は首をはねられるのではないか、などど。もっともレプトール公とは挨拶することなどないかもしれない。今となっては敵以外の何者でもないのだが、いざ戦うことになればティルテュ は悲しむだろう。手紙は書たと言っていたが。届いているかは知らぬ。もし届いていたとしてシアルフィの騎士の妻になったなどけっして許しはしないだろう。
 そんなことを考えていると、ティルテュ がポンと手を叩いた。
 「そうだ! 首飾りを作ろう!」
 「…は?」
 「おばあちゃまがアレクに会ってすぐわかるようにするにはどうすればいいか考えたの! 首飾りが一番いいと思う。この…」
 そう言って髪をよけて耳たぶを見せる。
 「この耳飾りを首飾りに作り変えるの! おばあちゃまからもらったものだもの、おばあちゃまは一目で分かるわ」
 「待てティルテュ 、おばあちゃまはもう亡くなっているだろ」
 「うん、だからよ」
 だから、会いに行かなくてもいつもどこかで見守ってくれるかもしれないでしょ? でもアレクのことはちゃんと紹介してないから、見つけられないかもしれない。そんな時にも、すぐ見つけてもらうために目印が一番よ。と、そんなことをティルテュは言った。
 「…それはダメだな」
 アレクが言うと、ティルテュ が不満げに、えー、どうして? と言う。
 「その小さな耳飾りを首飾りに作り変えても、小さすぎておばあちゃまは見つけられないと思うぜ。そもそも俺が首からぶら下げたところで鎧の下で意味ないね」
 でも…と言い募ろうとするティルテュ を制するようにアレクはすっとテォルテュの首筋に手を伸ばす。首筋から指を伸ばして耳朶に触れる。彼女の髪のひとふさに隠れて滅多に見えないおばあちゃまの耳飾りが指先に触れた。そのまま手のひらを彼女の頭の後ろに回してぐいと引き寄せる。あっと小さな声を上げてよろめくティルテュ を肩で支えながらアレクはティルテュ の耳元で囁いた。
 「おばあちゃまの耳飾りは俺はおまえにずっとつけていてほしいな。よく似合ってる。かわいいぜ」
 しばらくじっとしていたティルテュは、うん、と言って、ゆっくりと顎を引いた。アレクは嘘は言っていない。本当にその首飾りはティルテュ に似合っている。そして思うのだ。もしもおばあちゃまの加護があるならば、それを受けるべきは
 ティルテュ ひとりだ。

自分はシアルフィの騎士であり彼女の為には死ねないだろうと思う。そんな自分は、孫娘を愛し、孫娘に愛されたおばあちゃまの加護には値しないようにアレクには思われたのである。

2017/10/29

(かんたん表紙メーカーで作った表紙、記事頭に出すとクレジットが切れてしまうことに気づきましたので、下に回しました。note使いこなせてなくてクリックすると全画像出ると思っていた…痛恨のミスでした。申し訳ありません)

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