ノディオンの花嫁(1)

書きかけです。本編開始前のノディオンの話

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「一度会ったことがある。印象? 礼儀正しく知的で品のある女性だった」

 そう兄は言う。礼儀正しく、知的で、品のある……とラケシスは頭の中で兄の言葉を姿にしようと思ったが、うまく像が結ばれない。

 「髪の色は?」

 「栗色」

 「目の色は?」

 「栗色だったと思う」

 「声はどんな感じ?」

 「落ち着いた感じだな。ラケシスよりは低くて、ラケシスよりゆっくりと話す」

 自分は早口なのだろうか? そんな風に思ってラケシスはとってつけたようなゆっくりさで次の言葉を選ぶ。

 「背は、高いのですか」

 「今のお前よりは高いが、じきにお前が追い抜くだろう」

 ラケシスは最近ずいぶん背が伸びたからな、と言って兄は目を細めて微笑む。兄にそのように微笑まれることがラケシスにはうれしい。

 さて、兄と妹が話しているのは兄の婚約者のことだ。

 兄の結婚がかなりあわただしく決まって、ノディオンはこのところずいぶんと騒がしい。突然の婚姻話にも聞こえるが、いつかは兄が妃をとることはわかっていたので、その時が来ただけだ。そうラケシスは自分に必死に言い聞かせていた。しかし、相手がどんな人なのかは当たり前だが気になる。

 兄は相手の女性と「会ったことはある」らしい。バーハラの士官学校にいた際だというが、彼女は士官学校に籍があったのではない。向こうがバーハラに来たときに立ち寄った、ということだったらしい。そのとき会った。人柄については、「よく知らない」と兄は言う。兄の友たるキュアン王子によると、控えめだが流されるところのない女性とのことらしい。流されるところのない女性とはいったいどういうものだろうか。

 「キュアン様がそのようにおっしゃるのなら、きっとしっかりとした方なのでしょう」

 「そうかな。キュアンの女性評はあまりあてにならん気もするが」

 兄のこの言い分は、「エスリン以外の女性には興味がないから」ということらしかった。

 さて、キュアン王子とエスリン妃のようなケースはあるものの、エルトシャンのように、よく知らない相手と夫婦となるのが、王族の婚姻はよくあることである。

 では、いつか自分も、会ったことがあるのかないのかわからないような相手のもとに嫁ぐ日が来るのだろうか。

 そんなのはいやだ。自分は自分の納得した先に嫁ぎたいとラケシスは思う。

 ではどんな相手なら納得するのだろう。大陸に並ぶことなきような武人で、高潔な騎士で、思慮深く、しかしかしこまっているわけではないざっくばらんなところが見え隠れするような。伏せた顔が彫刻のように美しい、等々。条件を並べれば並べるほど、頭の中に思い浮かべる姿は目の前にいる兄になった。こんな人がこの世に二人といるはずがない。なので、「自分は結婚することはないだろう」とラケシスは思っていた。

 それに、根拠はないのだが、兄が自分の意に反してどこかに自分を嫁がせることはないだろうとも思っていた。父はいざ知らず、兄は自分の意思を尊重してくれるだろう。これは根拠はないが、確信に近い。そして、兄のこの婚儀を決めた父は、そのころにはもうこの世にいないだろう。王の執務の多くはすでに兄が代行している。先が長くないことは誰もが知っていた。

 つまり、自分は結婚せず、ずっとノディオンにいるのだ。

 それはともかく、そんな理想の男性中の理想の男性と言っていいような兄の妃となる人とはどんな人だろう。理想の姫中の理想の姫のような人だろうか。しかし、そもそも兄の横に並んでふさわしいような女性がこの世に存在するのか。いるわけがない。

 だから、どんな女性が来ても何か足りないと感じることだろう。

 ラケシスはそんな風に思っていた。

 

 「レンスター王国トリオレ伯令嬢グラーニェ様、只今お着きにございます」

 美しく磨かれた馬車から彼女が下りてくるのを兄の隣でラケシスは見守る。

 身をかがめて現れたのは、旅装の身軽なドレスをまとったか細い女性だった。軽装であるためにその細さが妙に目につく気がした。言われていた通り、ラケシスより少し背が高く、旅の疲れが顔から血の気を引かせているのだろうか、見るからに青ざめていた。「ずいぶんとお疲れなのではないか」と、ラケシスは思った。思った先で、グラーニェはこちらを向いて、背を伸ばし兄を確認したようだった。彼女が兄の顔を視線でとらえるその瞬間をラケシスは見た。青白い顔に一瞬ぱっと血の気がさしたように見える。そしてまぶしいものを見るように目を細め、一礼する。ラケシスには彼女の気持ちがわかるような気がした。兄を見れば、だれもがそうなる。ラケシスはちらりと横の兄を見る。兄は表情を変えずにいたが、ふと口元と目元を緩めた。正面を見直すと、二人は視線を合わせて微笑みあっているようだった。

 彼女が歩みだし近づく姿をぼんやりとラケシスは見ていた。彼女の視線は兄を中心に細かく周りを見ているように思え、当然、兄の隣にいるラケシスとも視線があった。視線があった瞬間、兄を見たときと同じように、彼女は少しまぶしそうに目を細めた気がした。

 彼女がどんどん近づいてくる。そしてラケシスたちの前で歩みを止めて、礼をとる。

 「グラーニェにございます」

 彼女が発した声は、ラケシスが想像しているよりも、もう少し低かった。

 「この度はこのようにお出迎えいただき、光栄にございます。また、格別のご配慮いただきましたこと、御礼申し上げます」

 後にわかったことだが、この格別の配慮というのは服装のことであったらしい。出迎えは城内ではなく馬車の前まで行くことを兄は事前に伝えていたのだが、できるだけ楽な旅装のままでいるようにと伝えていたとのことである。花嫁の旅路の疲労は逐一花婿に知らせとして入ってきていたのだろう。

 「ノディオン王子エルトシャンだ。遠路はるばるお疲れでしょう。まずはゆっくりと休んでいただきたい」

 「ありがとうございます」

 ここで兄がラケシスに視線を振った。それに合わせてグラーニェの顔が、わずかに顎を動かすようにラケシスに向いた。

 想像していたより濃いゆたかな栗色の髪が顔を縁取り揺れる。目じりがすっとあがっているのが想像していたのとだいぶ違っている。薄い唇が笑みの形を示している。

 「ラケシスです。どうぞよろしく、お願いいたします」

 「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

 首が細い。倒れてしまいそうだ。ラケシスはそんなことを思った。

 

 さて花嫁たるグラーニェなる女性はノディオンの城について王への謁見を果たしてから、既に入っていたいくつかの予定を取り消した。長旅の疲れが出て、ということだったが、要するに伏せってしまったのだ。

 ノディオン城の中はざわざわとしている。「本当にあの姫が妃で大丈夫なのか」というような空気がただよう。健やかな世継ぎを産んでもらわねばならないのにこれでは、とか、ここまできて戻すわけにはいかないのだから妻の席に座らせておいて世継ぎはほかの女性に生んでもらえばいいだろう、とか、とはいえ正妃の座は一つなのに彼女はそれに値する女性なのか、等々の言葉が飛ぶ。そんな声は「我が王がお決めになったことに不平を申すか」の一言で一、瞬しんと静まるのだが、またすぐに同じささやきが物陰でざわめく。

 この婚姻はアグストリア王(つまりラケシスの父)が決めたことに兄が従ったものだ。このところ病がちな父王は目の黒いうちに世継ぎを見たいのだろう。が、そこでなぜレンスターの貴族が選ばれたのかラケシスにはよくわかっていない。ただこの父王の決断にはアグストリアの盟主たるイムカ王の意が働いているだともっぱらの噂で、皆はそれを信じていた

 「アグストリアのシャガール王子の妃よりも良い家柄の姫をもらうわけにはいかないのだ」と噂では言われているが、事の真偽はラケシスにはわからない。

つづく