言語化が全て気持ちを落ち着けるとは限らない
嫌なことがあると、言語化して気持ちを整理する。
それはこれまでも普通にやってきたことなんだけど、最近はその作業すら怖くなることが多い。
ハッキリと言語化して、気持ちのモヤモヤを失くすことよりも、
曖昧なまま、モヤモヤなままでいいから考えないようにすることの方が
楽な気がして……
それに、これを読み返した時にもう一度同じモヤモヤを味わうのではないかと思って、それが少し怖い
愚痴を話す相手もいないしなあ、と思ってさらに悲しくなったりして、昨日の夜は少し涙を流したりもした(笑)
自分の中では間違ったことはしていない、と思っていた分、まさかそこを指摘されてしまうとはと悲しくなったのかな。
でも、指摘されたことは事実だけど、それが正義・正解ではないと思う
つまり、個人の価値観の違いであって、場面・状況によっては良し悪しが変わる問題であって。
だからそこまでへこむことではないし、引きずることではないと頭では分かっているんだけど、心が追い付かない…
なぜか悲しんでしまう(TT)
そして、こういう風に気持ちの根源を見失って、どう気持ちに整理をつけたらいいのか分からないとき、私はいつも一人の人を頼ろうとしてしまう。
でもその人は、常に傍にいるわけではないし、頼り過ぎてはいけない人。
分かってるからこそ、感情の赴くままに連絡を取ることは控えているのだが、さすがに気持ちを見失いすぎて連絡してしまった。。。
その人がどう言ってくれるかは分からないけど、少しでも気が楽になるといいな。
そして私は、今のコミュニティと距離を置きたいと本気で思うようになってしまった。
会う頻度が少ない分、昨日受けた腹パンが鈍痛として体の中に刻み込まれている。まだ冗談として流す勇気も出ない…
距離置きたいなあ