最近見たアニメで語りたくなった

葬送のフリーレンを見た。

まず話運びが面白い。魔王軍討伐から始まり、祝祭の日から50年後へ続いていく。普通ならエピローグにあたりそうな部分が一話目なのだ。
わたしは日常系アニメが好きだ。並外れた目標に向かって研磨していく話より、日常にフォーカスしたアニメの方が楽しく見れる。なぜなら、単純にド派手なアクションを見るとなんだか疲れてしまうし、マチズモが苦手なのだが「頑張る」「努力する」「立ちはだかる敵」みたいなものにそれを感じ取ってしまう、それに自分が入り込める余地がないからだ。私は困難に立ち向かうより避けたり任せたりすることの方が圧倒的に多い。良くてサポート。コンスタントな努力が不得手で、成長を想定できず、今の自分が戦える土俵にしか立とうと思わない。
ともかく、プロローグの段階でよくあるクライマックスを描いてしまうアニメは信頼できる。もしかしたら今後、弟子か何かが強大な何かに立ち向かうのかもしれないが、この作品が描きたいのはあくまでエルフの時間感覚の深遠さなのだ。という妙な信頼を一瞬で築いてしまった。
しかし、かといって捻くれているわけではない。確かに一話目からラスボスが顔も描かれず倒れ、仲間が老衰死する。いくつかの回想はあれど、10年である。決して一話で済ませていい時間ではない。実際の冒険に対して、我々がアニメを通じて窺い知れる彼らの過去はほんの僅かだ。また、この描写は長寿種の感覚とリンクしている。フリーレンにとってそのくらいあっけないものだったのだ。
だが、それでも伝わるものがある。心優しく飄々とした勇者のヒンメル、寡黙で地に足ついた戦士アイゼン、視野が広いのに酒好きの破戒僧ハイター。絆を結んだ四人。フリーレンへの信頼。短い間でも彼らの成熟した関係性が視聴者に強く伝わってくる。フリーレンも当然、彼らを思っていた。勇者ヒンメルの葬儀の中、フリーレンは涙を流し、「人を知りたい」と後悔しつつ願う。視聴者と同じように、彼女の生涯においてひどく短い期間でも、フリーレンはそこに特別なものを見出したのだ。

以上は演出の妙をフリーレンのキャラ設定も良い。ファンタジーといえば魔法、魔法といえば夢だろうが、フリーレンは魔法は手段であると言い切る。自分はよく分からないが、医療クラスタが共感しているのを見たので、そういうことなのかな?と勝手に思ってる。
彼女の感覚を理解できるとは思わないが、成熟しつつもある部分で未熟なところが愛おしい。書いてて思ったけどなんかASDぽい人を見ているのと同じだ。
知り合いが言ってたけど音楽もめちゃ良いらしい。自分は考察に集中して劇伴を聞き逃すことが多いしそういう耳が無い。ただ、最初の方は意識して聴いてみた。確かに綺麗だった。(見返そう…)
自分は特にEDの曲が好きだ。アニメであまり聴かない感じだし、映像や世界観と合っている。

本当に好きな作品の話を人とするのは難しい、でも共有はしたい。ということで所感だけ置いておく

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