継続的日和見主義者から抜け出す時が来た
継続的日和見主義者から抜け出す時が来たなと思って、FBのプロフィールから外した。
その経緯の話をしようと思う。
俺は、言霊の力はある。少なくとも自分自身に向けては。って信じてるから、今考えていることを文章にしてみる。
to未来の自分へ: 後で答え合わせしよう。少しはあってるかな。
本題
「継続的日和見主義者でいる」って言葉は、「情熱プログラマー」って書籍にあった、コラムの中から取ったんだけど、
その時にものすごく響いて、衝撃だったんだ。僕と同じことを考え、実際にやっていた人がいたんだ! ってね。
それから、僕は、(その前からかもだけど)世の中の形勢や状況を見て、自由に立場や軸足を変えることで生き残ってきた。七色のカメレオンよろしくね。
だけど今、
やっと登りたい山が見つかった。
道もうっすら見えた。
だから継続的日和見主義はやめる。
今は、全部巻き込んでぶっ壊してやるって気持ちと、全部巻き込んで新しいもの作ってやるって気持ちが同居してるんだよな。なんか不思議だけど。
斜に構えてるのも楽しいけど、僕はもう鎌倉の老人にはならないのだし、
老人じゃなくって友人を手本にしようと思う。
世間様に全力でぶつかって、擦り切れて壊れて、でもまた立ち上がって、明日を作っていく。そんな友人たち。
僕も彼ら彼女らと同じ道を進んでみようと思うんだ。
話を広げるけど、太宰の作品に以下のような詩というか讃美歌があるのよね。
わがあしかよわく けわしき山路
のぼりがたくとも ふもとにありて
たのしきしらべに たえずうたわば
ききていさみたつ ひとこそあらめ
今まではこれでいいと思ってた。
でも、登り難いからって、麓で楽しく歌っていても、勇み立つ人なんて一向に出てきやしない。何で出てこないんだと思ってた。
だけど、コレじゃダメなんだ。そもそも。
自分がまず登り始めないといけないんだって気づいた。
だからこそ、
登る山 それぞれ違えど 道があり
僕がきた道 君がきた道
違う道だが 道なかば。
同じなかなら 泣かぬまで。
なのだと思った。
そんなこんなで、人生をかけて取り組むテーマが見えたよって話でした。
やっぱ物事考えるのには深夜が1番だね。
あの著名で有名な哲学者たちもきっと夜中に名言を残したんだろな。知らんけど。笑
さて、俺はやるぞ。
君は、どうする?