惜しいけどしょうがないこと|#祖父母宅にて

祖父母の家にはわりと大きめの柿の木があった。こないだ初めて教わったんだけど、祖母が小学4年生のときに接ぎ木したらしいから、樹齢7〜80年くらいということになる。

秋になると(といっても盛岡は寒いので11月初旬くらい)たわわに実り、親戚一同が招集され、みんなで収穫。

そんな、物心つく頃から参加していた行事だったけど、諸事情により今回で最後の収穫に。木を切ることになった。ものすごい数の実の収穫や、落葉の落ち葉掃きなど、手間がかかることが多い。年寄りの祖父母には負担が大きかった。僕らも手伝うことはできなくもないけど、柿の木を残したい思いは山々だったけど、そういうことになった。

秋の収穫を終え、その翌月に最後の日を迎えた。みんなで集まって、伐採してくれる建設業者の方と柿の木を見守る。チェーンソーを入れると、太い幹だからそれなりに時間はかかった。けれどたった数時間で根元まで完全になくなり、バラバラになってトラックに積まれた。今までそこに大きな存在感を放っていたものが、綺麗さっぱりなくなってしまった。

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最後に、代表して祖父が皆の前で挨拶をする。「惜しいけども、しょうがない。」涙ぐんでいた。

ちなみに、祖父は最近涙もろい(気がする)。孫と電話をしている様子を横から覗くと、うっすら涙ぐんでいる。多分。その瞬間はつい笑ってしまうけど、なんか、素敵なことだ。

大切なもの。続いてきたもの。いつかなくなってしまうけども、思い出として残していかなきゃなと思った。こういう現場にいっしょにいれたこと、貴重な話を聞けたこと、スマホで写真や動画、文字を通して記録できたこと、嬉しかった。

これからきっと、祖父母の身の回りで大小こういうことが増えていくと思う。そういう時間、大切にしていきたい。

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その晩にご馳走してくれた、祖父手作りのさんまのつみれ汁。思い出話とともに。良い時間。


(※昨年12月22日に伐採をした様子を記録に残しました。)

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