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*h₂melǵ- [milk/emulsion]

うちでは毎日子どもたちが牛乳を大量消費するしチャイも飲むので、毎日牛乳パックを補充するほど、生活になくてはならない飲料になっている。ということで牛乳周りの単語を見てみることにする。

英語で「乳」に関する学術用語の接頭辞と言えば、lacto-で、ラテン語 lac から来ている。ロマンス諸語で、caffè latte, café au lait, café con leche に共通する語だ。古代ギリシャ語の γάλακτος (gálaktos, "milk") と同語根。ガラクトース(galactose)は この語にラテン語由来の語尾 -ose をつけてできている。ラテン語の lac から来たラクトースもある。ラクトースとガラクトースは密接に関係がある上に、同語源で余計に覚えにくい。おまけに音が似たギリシャ語由来語彙グルコースも邪魔して来て混乱する。整理すると、

glucose: 希 glyco- (*dléwkus "sweet") [=dulcet, doux, dolce]
galactose: 希 galakto- (*glakt- "milk")
lactose: 羅 lac (*glakt- "milk")
グルコース(ブドウ糖)+ガラクトース=ラクトース(乳糖)

γάλακτος も lac も 印欧語根 *gláktn̥ / *g(a)lag-, *g(a)lakt- に遡る。英語 Milky Way は ラテン語 Via Lactea をなぞったもので、Via Lactea は古代ギリシャ語 γαλαξίας (galaxías "milky") をなぞったものらしい。galaxy もこの語根から。Milky Way Galaxy は同じ語を2回繰り返しているのだ。Milky Way Milky。でも「天の川銀河」も2回「川」って言って同じことをしている。

では英語本来語 milk は遡ると何か見つかるだろうか。
 ←中英語 milk, mylk, melk, mulc
 ←古英語 meolc, meoluc
 ←西ゲルマン祖語 *meluk
 ←ゲルマン祖語 *meluks
 ←印欧祖語 *h₂melǵ-/*melg

ドイツ語の Milch もこの系統だ。*melg には "to rub off, to milk" と言った、授乳・搾乳の動的イメージがついている気がする。前述の *glakt- には「液体」の乳という静的なイメージがある気がした。ラテン語の lac には動詞 lacto (授乳する) もあるようだが、単に名詞から派生して後からできた動詞のような気がする。印欧祖語で「水」を意味する語が 能動的*wed-と受動的*h₂ep- という2項対立になっているのと関連付けて妄想しそうになる。

では ラテン語に *melg 系の語彙はないのだろうか。乳濁液(エマルジョン)を意味する英語 emulsion はフランス語経由でラテン語の ēmulgeō ("I milk out, extract") [=ex- ("out of") +‎ mulgeō ("milk, extract")]  という語があった。平行して古代ギリシャ語でも ἀμέλγω (amélgō) という授乳・搾乳・吸乳といった意味の動詞があるようだ。やはり動的イメージが付きまとう。地中海沿岸ではあまり牧畜が盛んでなかったために、乳を頑張って搾ったり加工する行為があまり日常的でなくなり、乳飲料を指す語としては *melg系 はあまり発達せず、*glakt系が残ったのだろうか。根拠のない妄想が続く。

酪農まわりでもうひと系統別の語がある。dairyだ。
 ←dey ("dairymaid") +‎ -ery
 ←古英語  dǣġe ("kneader of bread, maid")
 ←印欧語根 *dʰeyǵʰ-/*dheigh- ("to knead, form, build") dough などはここから。もともとは乳と関係ない語から来ているが、汗水垂らして搾乳など、キッチン周りで働く様子とオーバーラップして見える。

料理でヨーグルトやギーなどを大量消費し毎日チャイを飲むインドではどうだろう。古来より牛が神聖視され、ヴェーダや神話(ヒンドゥー教における天地創造神話は乳海攪拌)また祭式でも乳が頻繁に出て来る。サンスクリットでは *glakt- も *melg- も出てこない。サンスクリットで乳は क्षीर (kṣīrá)、対応するペルシャ語はشیر (šir) で、印欧語根は *swēyd- と推定。あれ、また全然違うものが出てきた。

現代ヒンディー語では दूध (dūdh) というが、サンスクリットの दुग्ध (dugdhá)、印欧語根 *dʰewgʰ-/*dheugh- ("to hit, to produce") に関連しているようだ。この語根は 古英語の dohtiġ, dyhtiġ を通して英語の doughty とつながりがあるらしい。 dough の *dʰeyǵʰ- と doughty の *dʰewgʰ-、ほぼ同じようだが、同一ではなかった。だが、やはりここでも汗水垂らして搾乳あるいは、愛おしみながら授乳する動的イメージが共通してあるような感じがしてならない。

印欧語で「牛」に共通した語彙が見られるのは良く知られたところだが、牛の周りの「乳」が意外に印と欧に共通していないようだ。それもそのはず、今では乳飲料と言えば牛乳だが、日本では明治以降に庶民にも広まるようになったが、それまでは一般的なものではなかったように、実はヨーロッパでも近年まで生の牛乳を飲むことは一般的でなく、昔は乳といえば牛ではなく羊や山羊の乳だったようだ。

羊・山羊の乳はチーズに、牛の乳はバターに用いられていたらしい。脂肪の質が違うそうで、牛の脂肪球は羊・山羊のものと違い、簡単に分離して脂肪を取り出しバターにしやすい。なので、バターを作るなら牛乳から。しかし、脂肪を取り出すのが目的なら、牛乳よりもオリーブなどの植物性の方が生産性が高い。なので、地中海沿岸周辺地域で脂肪摂取目的で牛乳からバターを作っていたのは、オリーブなどが育たない地域に住んでいる遊牧民くらいだったようだ。そしてバターはあったが食用ではなく化粧品だったらしい。それで、地中海沿岸およびヨーロッパ方面では、牛乳の産業は規模が小さかったようだ。

一方、北欧ではオリーブが育たなかったため、大事な牛を極力殺さずに脂肪が得られる方法として、乳搾りが盛んに行われていたらしい。また、牛の乳をチーズやヨーグルトにしたりする余裕もなく、生でガンガン毎日直接飲む(チーズなどの乳製品には乳糖成分が少ないが、生乳には乳糖が多く、糖分摂取になる)ことに頼らざるを得ないほど作物が育たない寒い気候だったので、ヨーロッパの他の地域に比べ生の牛乳を飲む習慣が一般的だったらしい。実はこれが北欧人が南欧人に比べて身長が高くなった要因だとする分析もあるようだ。

いずれにしても、基本単語で印欧語全般に共通していそうな単語でも、定住する先の気候環境によって、採れる農作物や畜産物が違い、生活習慣も異なるので、当然語彙も異なっていくのだろう。より理解を深めるために、言葉の字面だけでなく、気候や文化背景も同時に追っていくようにしたいと思った。

にしても、うちのおチビちゃんはご飯より牛乳ばっかり飲んで...。もう少しバランス良く食べて欲しいのだが、なかなか育児は思い通りにいかない。

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