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小説を書くのが下手な我々は

(こんなタイトルですけど、しかも画像はだいぶ前の『相棒』のDVDパッケージですけど、内容は大半がガンダムに関する話です。ご注意を)

わたしは、「近ごろの若いもんは」とか、「昔はよかったよな」とか、そんなことを口癖のように言ってもいいような年齢なんだけど。
なるべく新しいものを偏見なく受け入れようと思っている。
近年のドラマもアニメも特撮も、おもしろいと思う。
ただ、『相棒』シリーズとガンダムシリーズに関しては、この限りではなかった。

とはいえ、『相棒』のこの前のシーズンはよかったねえ。
亀山薫が十数年ぶりに復帰。やっぱりこの人が好きだったので、復帰してくれたのもうれしかったし、前のシーズンはとてもおもしろく感じた。
少し飽きがきていた『相棒』に対しても、これで惚れ直したよ。
しかし、登場人物が違うと、画面上の印象だけでなく、物語の展開というか、そういうのがいろいろと変わってくるもんだな。

ガンダムでいうと、やはり『機動戦士ガンダム 水星の魔女』はよかった。
今日は25話が放送されたのを見たという集団幻覚がトレンドに上がっていた。みんな、好きだね。
近年のガンダムはわたしの趣味にあまり合わないものがあって、ちょっと残念だったんだけど、『水星の魔女』はとても好きだった。百合といえば百合だったし。

ところで、『水星の魔女』の主人公が、もしスレッタ・マーキュリーではなく、カミーユ・ビダンだったら……という動画がYouTubeにアップされていた。たぶん、どこかのネット掲示板の書き込みを動画にしたものなんだろうけど。
あの狂犬カミーユである。
そんな大人、修正してやるカミーユである。
動画にはいろんな書き込みが紹介されていたが。
例えば第1話、ミオリネとの出会いのシーン。地球へ行こうとしていたミオリネを救助したつもりが、彼女の邪魔をする結果になって「責任取ってよね」と言われたら。
カミーユのことだ。「こっちは仮にも善意で助けた立場なんだから、言い方ってものがあるでしょう!」と言い返すらしい。ありそうだ。
ほかにも、チュチュ先輩とは殴り合いになるとか、ソフィのことは妹のようにかわいがりつつも戦場では「かわいそうだが直撃させる!」となるとか。なんかいろいろありそうなことがコメントされていて、カミーユを知っていると楽しめる。
極めつけは、母プロスペラから「進めば二つ。逃げれば一つ。カミーユ、貴方はできる子」と言われての反応。
カミーユは、進めば得られる二つについて「誰かから奪った二つじゃないのか?」と指摘。「大人たちがそうやって奪い合ってきたから今みたいな世の中になったんじゃないか。自分もその一人だっていう自覚があるのか?」「だいたい、お袋の言うできる子っていうのは結局お袋が好きにできる子って意味じゃないか。本当に俺のことを思ってるなら、まずそうやって干渉するのをよしてくれ」と述べるらしい。これはすごい。たしかにカミーユが言いそうな内容だし、言い回しも彼の言葉の再現度が高い。スレッタだったら、断じて絶対に言わないセリフばかりだが。
あと、動画の中ではなくて動画に対するコメント欄にあった内容だけど、グエルがミオリネの温室で暴れるシーン。カミーユが止めに入り、ミオリネが「カミーユ!」と名前を呼ぶ。するとグエルに「カミーユ? 女みたいな名前だな」と言われて激怒。それで決闘という流れになるとか。
みんな、しっかりとカミーユ・ビダンというキャラクターを把握しているね。
それにしても、繊細で怒りやすくて反抗期のカミーユと、素直で従順というか洗脳状態ともいえたスレッタは、正反対と言えるくらいに違う人だから、言動もずいぶん違ってくる。
同じ舞台設定でも、主人公が変わったりしたら、全く別の話になりそうだ。

よく小説家や漫画家が言う、「キャラが勝手に動く」というのの一端が、こういうところに表れているのかな、と感じた。
キャラクターがしっかりできていれば、その場その状況でのキャラクターの心情や言動が決まってくる。そうなると、物語の展開に、大きな影響を与えることもあるだろう。
その辺、わたしのような長年小説を書いていても芽が出ない素人には、難しいところだ。ストーリー展開は決まっているから、登場人物にはそれに沿って行動してもらわなければ困ってしまうんだ。
結果、登場人物が作者の操り人形になってしまう。
こういうワナビの人、けっこう多いみたいだね。よかった、おれだけじゃなくて。
われわれは、物語の展開よりも、登場人物の心情や行動原理を大事にしてあげることを心がけよう。
それが、上手に小説を書くための第一歩かもしれないね。

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