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検索魔は悪魔なのか

不妊治療や妊娠、出産期に、検索魔というワードをよく目にした。自分なりに検索魔という言葉を解釈すると、特に不安や心配事等にとりつかれて、ひたすらそれについて検索する状態だと思う。検索魔という言葉を使う時、どちらかというとネガティブな意味合いを含んでいることが多い気がする。

不妊クリニックで釘を刺される

以前通っていた不妊クリニックで言われたことがある。

素人がインターネットでいろいろ調べて、半端な知識を持って来院する人が多い。そういうことをしたいのなら他に行ってほしい。

わざわざそんなこと言う必要ある?とは感じたが、この時はそこまで気に留めていなかった。やはり不妊治療中の人は常に不安やストレスにさらされているケースが多いので、検索魔になり、もしかしたらネットで見たという真偽不明の情報を元にクリニックであれやこれや質問する人も少なくなかったのかもしれない。

マジックワード「個人差。」「人による。」

私も例にもれず、不妊治療中や妊娠期間に検索魔と化した。

年齢ごとの体外受精成功率、胚のグレードと出産に至るまでの確率、胎嚢の大きさと出産に至るまでの確率、自分に似た境遇の方の体験談や医師監修、助産師監修、真偽不明なまとめサイト・・・あらゆる情報をとにかく読んだ。

どれを読んでも結局は「個人差」「人による」が結論だ。逆に断定的な結論を導いているものは信用できなかった。

人による、そんなことは百も承知。それでも私は検索し続けた。あまりにも検索し続け、仕事中も気になって仕方なくなった。仕事の合間にも検索魔は顔を出すようになり、文字通り朝から晩まで検索しまくった。

こんなことではいけない、冷静にならなくては、と他のことに没頭してしばらく検索をやめることにした。

あえて検索魔となることを選ぶ

一見、他のことに没頭して検索魔を抑え込んだように見えていたが、心のどこかにいつも検索したい事柄が引っかかっていた。

ふと、検索魔ってそんなに悪いことではないのでは、と考え始めた。

健康に害を及ぼすほど夜を徹して検索したり、例えば真偽不明の情報に踊らされて間違った行動を起こし、それによって心身を壊してしまっては本当の悪魔だと思う。しかし、節度を持って知りたいことを思う存分調べまくり、どっぷりその時を生きるのも悪くない。正直言うと、少々やりすぎの検索魔も、致命傷にならなければアリなのではと思っている。

全ての疑問を医師にぶつけられる度胸のある人はいいだろう。しかし実際にはそうもいかない些細なこともある。そして何より、知りたいことは医学的なことだけではないし、同じ境遇を経験した人がその時何を感じ、どう乗り切ったか、または乗り切れなかったのかを知るだけでも満たされることもある。

それは不妊や妊娠出産に限ったことではなく、身の回りのあらゆる心配事、特に人に気軽に相談できない事にも当てはまるのかもしれない。

私は堂々と検索魔となった。

必要があれば今すぐにでも検索魔となる。

検索魔仲間のためにも自分の体験や思ったことを書いていく。

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