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言葉の傷は案外治りにくいのかもしれない

目に見える傷とそうでない傷。
26年しか生きていないわたしにはどちらが多かったのだろう。

幸い大きな怪我はしなかったが、
昔から膝小僧には擦りむいた傷や痣が残っていた。
両膝に残ったかさぶたの跡は、タイツを履いて転んだからか、
かさぶたがきれいに剥がれなかったらしい。


未だに残った跡をみても、
思い出すのは自分の泣き声と手当をしてくれた母や幼稚園の先生、小学校の先生の顔である。
痛みの記憶はほとんどなく、跡からは誰かの優しさを感じられる。


しかし、心の傷はどうだろうか。
偏頭痛とうつ傾向のあるわたしは、睡眠時間も安定せず、頭痛により起き上がれないこともしばしばあった。
その状態を「社会人失格」と直接言われた傷は、癒えただろうか。
「あなたのことを思って」という前置きのもと、退職を勧められたあのときの感情は、もう忘れられただろうか。


思い出したくないものばかり思い出してしまう。
必要のないものとして切り捨てられる経験は、自分にどんな成長をもたらしてくれるのだろう。

こうやって振り返ることも自分いじめになってしまうのかもしれないけれど、
どんな事があっても他人にこんな思いをさせる人間にはなりたくないという気持ちだけで生きている。

わたしは、優しい人間になりたい。



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