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周波数と波動

※2月5日 追記更新済み

周波数は好印象と共に悪さをする

You Tube動画で周波数の話を取り上げているのをよく見ます。
で、周波数によっては人間にとってよい影響をもたらすと言われます。

そういう話を聞くと、是非自分も取り入れたいと思いました。

で、実験してみることにしました。

デジタル音より自然由来の方が良いように思いましたので、音叉チューナーのCDを購入しました。結局デジタル処理でしょうが。。。

まず、ボトルの水に、741Hzなるものを聞かせてみました。

結果には驚きました。食べ物や飲み物の味が見事に変わります。
それもいやらしい変わり方はしません。

天ぷらやラーメンや色々なものにスプレーしてみましたが、味の角が取れるので、いくらでも食べられるのと、胃もたれを起こさないことを知りました。

さらに、食べ物や飲み物に直接スプレーせずに、サラダ油のボトルの外側にスプレーしたり、ビールの缶の外側からスプレーするだけで同じ効果を発揮するのを目の当たりにしました。
外食する時もスプレーボトルを持って行ったほどです。

このことは、他の人でも試していただきましたが、やはり同じ驚きを共有することになりました。
液体に周波数を取り込む事が出来るなんて、びっくりしたもんです。
しかも、一瞬で取り込めます。そこに、時間差が無いのも驚きでした。

この件で周波数にはまることになったのですが、世には、ソルフェジオ音階というものがあります。

これに関しては動画にいくつも音源があるほど、有名なようです。
ぼくも期待を込めて、音叉チューナーのCDを購入しました。

うちでは、菌ちゃん水というものを自作して、料理や飲用に使用しています。

菌ちゃん水を作る段階でこの音源を充分聞かせれば、さぞかし身体によい水が出来るんだろうと考えました。
聴かすというより、水への転写作業になります。
そうしてできた水を、うちでは、『波動水』と、その頃は呼ぶようにしていました。
で、その波動水を菌ちゃん水の水槽に投入していました。

水槽では金魚を飼っています。

波動水を入れるようになってから、何故か金魚が泳がないようになっていきました。
飼っているのは、常に1~2匹で、種類としては、長期間丈夫で元気でいてくれる、エサ金(主に小赤)やコメットになります。

それが、エサは食べてくれるものの、いつ見ても、ボーっと水中に漂っていることが増えました。

で、結構短期間で亡くなりました。

金魚を買ってきては、亡くしてしまうということを、何度も繰り返すことになりました。

元気に泳ぎ回り、エサをくれと頭をフリフリするのを見たいのですが、長く、そういう姿を見ることがなくなりました。

一時は水に有害物質が含まれているんじゃないか?と悩みました。
周波数が悪さをするという事は考えもしなかったので、消去法で、水質の悪化を疑っていました。

途中、水の入れ替えをしてはみましたが、波動水を入れたとたんに、ボーっとしだします。

流石に何度も亡くし、入れるたびにボーっとする金魚を見ることを繰り返しますと、『まさかっ、周波数のせいなのか?』
となります。

はたして、実はそのようであったようです。

周波数の取り込みを止めて以降は、亡くすこともなく、本来の元気で、フリフリする姿を、日々見せてくれています。

魚が住めないような水は人も飲まない方がよいというほど、魚は環境のバロメーターの代表です。
『鉱山のカナリア』と同じと思います。
あっという間に死んでいくのを見ると、《周波数は命を削る》と、ぼくは判断するほかないです。

このことを経験してからというもの、現時点では、単純な周波数には全く興味を持たなくなりました。

音叉チューナーの音を直接取り込まずに、デジタル処理したものを使用したというところは、考察する必要があるかもしれませんが、今のところその気が湧いてきません。

というか、魚の実験が無かったら、効果に酔って、今でも恐らく、周波数の信者であったと、正直、恐ろしさの方が勝っています。
素人が手出しできないと思っています。

波動の世界には際限がない

周波数と同時進行で、数値で表わせない波動の探求もしておりました。

この世の全てが波動で出来ていると言いますから、探求すれば終わりが無いとは思いますが、周波数とは似て非なるものと、ぼくは感じています。

波動は、思ったり、想ったり、考えたり、願ったり、言ったり、動いたりとか、書いたり、描いたりとかいった能動的なものから、想われたり、思われたり、描かれたもの、、、、とかの受動的なものを含め、感受の世界で、あらゆるものが複雑に絡み合って、際限がなく、再現が無い無二のように感じています。

五感が鈍いぼくが、頭でそう思ってるのですから、疑わしいですが。。。

再現性が無いのを何度も経験し、それでも、その場によっては再現出来ることも何度も経験しました。

そんな中で、結構再現性のあることを、書いていきたいと思います。
波動の世界を理解するには、目に見えない世界へのアンテナを持っていることが、絶対とは言わないまでも、前提条件になるかもわかりません。

印としては、仏教の梵字や陰陽師の五芒星(セーマン)や六芒星(ドーマン)などが有名です。

書いたものや書かれたものになりますが、これが発展すると、物に指だけで書くことも成立しますし、空中で印を結ぶことも可能になります。
し、印に決まりが無いところまで行きます。全てが印の要素をはらんでいるとも言えます。

対人的に攻撃的要素にもなりますから、要注意ですが。

日本人に馴染みがあるもので、結界として五芒星や六芒星は万能と思います。

五芒星と六芒星を合体させるといった事も出来ますが、ぼくは実際にやって、次元の歪みを感じ、気分が悪くなったこともありました。
合わせる方法を変えることで、望んだ効果になりましたが、単純に考えた方がよいようです。

奥さんを巻き込みながら、色んな所に色んなものを用いて、検証してきました。

印を探求しているうちに、絵画すらも印そのもの(波動を発し、それを感受するという意味で)であることに気づき、絵が大好きな長女(6歳の頃)に、色んな注文を出して、実験をしました。

例えば、『料理がおいしくなる絵を描いて!』とか、『車の調子がよくなる絵を描いて!』とか、『皆が幸せになる絵を描いて!』と注文をしました。

描いてもらったものを、縮小コピーし(画像の質があるので、エクセルに取り込み縮小コピーし、トナーでなく、インクジェッターで印刷)、シール化しました。

料理はコースターに、車は四隅に、幸せは色んな物への万能としてシールを貼る、といった感じです。
絵でなくても、カタカムナやフトマニも超絶な影響を体感することになります。

今は全くしてはいないのですが、例として、

畑の害獣除けに、2反のじゃがいも畑四隅に結界を貼ったり、印に近いものとして、ねじねじを施したりしました。獣害には遭っていません。

車に関しては、知人たちの30台以上の車に貼ってきましたが、ほぼほぼ全員が結果を確認し、喜んでくれ、中には、さらにご自分で発展させている方も出てきています。新車より年式の古いものの方が効果が高いです。
レース経験者や飛ばし屋経験者は特にはまってくれます。

また、効果の違う印シールを使って、サイダーやビールや酎ハイでは、気が抜ける状態にしたり、また元に戻したり、はたまた、離れたところからの手技で同じような事を起こすといったところまでになり、マジックのようなことも出来、とても楽しいことになります。不味くなって、美味さはもどせませんが。。。

印は環境さえ合えば、ものの見事に効果を実感できます。

環境とは、人や物や場になります。
色々なところで試すことで、なるほどそういうことかとなります。

多分、今の科学では証明できないだけで、実体験することで、フリエネともいえる、目に見えない世界を確信することに繋がります。

印の内容との境目がそもそも曖昧ですが、

身近な事として、手のひらの動きがあります。

掌の出来ることとして、混ぜる動作があります。

例えば、ビールを注いだコップ(先に味見をしておきます)の少し上方で、
手のひらを下に向けて、何も思わずに、反時計回りに10~20回、回します。
味に変化が起きているのが分かります。
※ぼくは何度も経験してますが、再現性の有無の世界ですので、変化に大小があり、全く変化を感じない場合もあります。

逆に、時計回りに同じ回数回してみますと、また変化が分かります。

慣れてくれば、部屋の隅の離れたところからでも、変化を起こせるようになります。

手のひらは空間を混ぜているような動作ですから、空間波動を起こしているといえます。

別に手の動きでなくても、波動シールでも同様の変化を、いくらでも経験しようと思えば出来ます。

経験の数が多くなると、猜疑心が無くなり、生活の上での当たり前の一つになってしまいます。

お米を研ぐときに、どちら周りで混ぜるのか?
味噌もそうだし、ぬか床もそうです。

お母さんの味と、この手技は、無関係でないように思います。

また、その手技に、念を載せることも可能かも分かりません。
愛情をもって料理することに、具体的に意味を見出せます。

コーラやビールなど、飲んだ時にいつもと違う味を感じたなら、背景には、自分の心身の状態だけでなく、商品の流通過程で、ひょっとしたら、たまたま好からぬ人の念波動が転写されていたかも分かりません。

思念

昔から、虫の知らせという言葉があります。
似たことで、固定電話だけの時代には、電話が鳴ることが前もって気づくことが誰にでもありました。
しかも、誰からかかってくるのかも分かったものです。

その後、メールの世界でも同じことが起こりました。
恋愛カップルのあるあるでしょうが、相手の事を想いながらメールを開いたら、同時に着信したとか、携帯電話でも電話しようとしたら、かかってきたとか。

偶然の様で偶然で片付けられないものです。結局偶然で流していきますが。

波動に際限なし

波動の事を書こうとしてきましたが、そもそも全てが波動の世界でしょうから、切りが無いように思います。
また、今ぼく自身が他に興味が移っていて、どうも内容も今一つになりそうで申し訳なく思います。

一つ思いが至るのは、自分自身が常に発信機であり、受信機である事です。

自分がいくら発信しても、相手にその波動の受信機なければ届かないように思います。

同じように、自分が信じれてないものは受信が出来ないように思います。

菌ちゃん

今ぼく自身は、菌ちゃんの事しか考えていなくて、『波動=菌ちゃん』くらいの勢いになってます。『菌ちゃん=結界そのもの』みたいな感じにもなってます。

菌ちゃんたちの存在には嘘が通用しないので、こちら側の正直とは何かに向き合う真摯な態度がもろに反映します。

当然、エゴに向き合わないといけなくなりますし、それ以前にエゴが纏っている観念にメスを入れていかなければならなくなります。

しかしながら、その探求は、何処までも解消しないエゴと永遠に格闘にも似た付き合い方をしかねません。

ぼくは、逆手を取って、エゴは意識しながらも、取り合えず横に置いといて、

自分の生活環境を菌ちゃんまみれにする方が手っ取り早いと、今は感じています。

例えば、「感謝しなければならない」という世界は、エゴの最も得意な分野で、観念そのものになりがちです。

言葉に表せてしまう観念は、何処まで行っても、本心ではなくなります。

感謝とは状態の事で、~~しなければならないという観念の世界に持ち込んではいけないように思います。

最近は、奥さんを筆頭に、子供たちにも、世話になってる人たちに対しても、感謝しなければならないとは思わなくなってるのが嬉しくもあり、楽しいです。
ましてや、菌ちゃん達にも、すでに意識に上らせるまでもなく、感謝しちゃってるし。

菌ちゃんまみれになると、菌ちゃんの御業をリアルに体験し、菌ちゃんのお陰であることが、理屈抜きに分かります。

お陰と思うことは感謝そのものでもあり、状態ですから、意識上の観念とは相いれません。

全ては地続き

波動の事を書いてきて、関係のないような菌の事まで書くことになりましたが、

どうも今のぼくの興味を反映してしまうようです。

続けて関係のないようなことを書かしていただくとするならば、日々の生活の中で、菌を追求していくと、味噌づくりや醤油づくり、どぶろく作りにな繋がっていきます。

全ては発酵の世界なのですが、その発酵には元々技術があったわけではなく、自然発生的に生み出されていたと、想像しています。

現代は、細分化されルール化されすぎて、大枠のシンプルなことから遠ざけられてしまっているように思います。
それが意図的か自発的かどうかは分かりませんが、気づけば、自力では何もできない、依存化人類ばかりになってしまったと思います。

味噌も醤油も味醂もお酒も、それぞれが専門化し、一般人にはまるで何の関わりもないようなところに追いやられてしまっています。

細分化され、専門化されて、いい物が出来ているかと言えば、そこは疑問を呈さざるを得ません。
劣化しているように思えてなりません。

それらしき物が作られているだけというと、言いすぎになるでしょうか?

時すでに遅しで、根本の水と空気と人が劣化してしまっていることと、無関係ではないように思います。

おそらくは、現代史以前の人たちは、想像とは逆の、もっと美味しいものを食していたように、ぼくは確信してます。

現時点では、各家庭単位においては、その時代に近いものを、何とか作り出せると思います。
麹菌や乳酸菌や常在菌が自然と存在する家にするところから始まるように思います。

情報やルールに頼ることは、遠ざけられるツールを手に入れることに等しいように思います。

菌ちゃん達への信頼を回復していくことが、カギを握っていると感じています。というか、そう確信する毎日です。

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