年の瀬と死に方、愛すること

今年が終わってゆく。正確には2021年の元旦から2021年は終わり続けていて、別に今になって突然終わり出したわけではない。それをあと1日を残すに至ってやっと、今年が終わるのだなぁと思う。つまり僕は今、人生の話をしている。毎年毎年、それを繰り返していると思う。最後もきっとそうだ。

人間が好きだ。それを思い出した1年だった。恋愛をまたやっている。友達が増えた。仕事の繋がりを大事にした。結果、バーチャルにはあまり時間をかけられなかった。それは仕方がない。僕は正しかったと思っている。

男だろうが女だろうが、好きな人全員と手を繋ぎたい。抱きしめたいと思うし、できる人にはしていると思う。人の言葉に頷きたい。みんなに好きだと伝えていたい。全員にがんばってるねと、かわいいね優しいねと、お前はかっこいいよと、そういうことだけを言っていたかった。一つ一つが嘘ではない。それも伝わっていたら嬉しい。恋でなくても人を愛したいと思う。会社の同僚や後輩もみんな幸せにしたいと頭では願ってしまう。そういうことはできないともうわかっているからしないけれど。

今までやりたい仕事というものが本気で思いつかなかった。なんとなく接客業をしながら、20代も半ばになってしまった。恥ずかしいことに、今になってやっと、人を幸せにしたいということが少しずつ言えるようになった。それがどうやってできるのかは、まだ僕にはわからない。

いつかみんな死ぬ。僕は僕が死ぬことをこれまでのnoteでずっと書いてきた。この年の瀬のように、2021年が終わるように、みんな少しずつ死んでゆき、いつか「あぁ、終わるんだなぁ」とふと思う日が来るのだ。

最後にその横にいるのはきっと僕ではない。あなたは愛する人といればいいし、別に一人で死んでもいいと思う。僕がいるのはその間の世界だ。あなたが少しずつ死んでゆく最中に、あなたの生きている世界のどこかに僕がいる。これを読むあなたが僕と出会っているかは、知らないけれど。

この進み続ける見えない終わりの間に、あなたを幸せにするために僕に何ができるんだろうと考える。なにを伝えられるんだろう。僕が必要かどうかとか、そういうことはもう考えなくてよいのだ。僕が生きていて、あなたが生きているのなら、僕は愛することをやる。

新しい死に方を考えている。それは生き方を決めることと同じだと思う。

2021.12.30 靄篠

追記:明日も多分何か書きますが、来年も書きます。
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