人生、物語の終わり、神様の宿題、恋と灰

物語を書き始めるのは簡単だと思う。書き始めるのはと書いたのは、始まりと終わりがすぐに思いついたり、美しい書き出しをすぐに見つけられたり、そういうことを言っているのではない。何かを書こうと思い至り、手始めに頭に浮かんだ情景をざっくりと文章に書き起こす。表情が見える。声が聞こえる。じきに世界が美しくない方向へ捻じ曲がる。段落を選択して丸ごと消去する。そして500文字も書いた頃には、だいたいは手が止まっている。その後が続かない。考え事に耽る。1日が終わる。

未だにふとしたときに検索をかけてしまう。我ながら気持ち悪いとは思うが、別にもう気持ち悪いのも仕方がないと思う。小学生の頃から高校生の頃まで、憧れた人がいた。それを好意と取り違った、文字通り神様と思ってそう呼んだ人の名前を、今でも手放せずにいる。

2022年の6月も終盤に差し掛かる。神様に最後に会ってからは多分10年は経っていないと思うが、時間が経つのは早いもんだなぁと思う。神様は今でも文章を書いている。僕は文章が書けずにいる。僕に本を貸し、物語を教えてくれた同い年の神様は、今も文章を書いている。調べればちゃんと名前が見つかるような、立派な仕事で文章を書いている。ただ検索するだけで大人になった写真が普通に見つかる。美しいものはずっと変わらない。それがすごいなぁと思う。

僕は文章を書けているか。僕は文章を書いていると言えるだろうか。僕は文章を書く人になれたか。僕はこれからも文章を書けるか。僕は文章をと、その名前を思う度自分の今を思う。進まない物語がずっとここにある。

貸してもらった本を何度も何度も読んだ。小学生の頃なんて、ほとんどそれしか読まなかった。だから僕の文章への目線はほとんどがそこで作られた。神様がいなければ、僕は文章を書いていない。

そして文章を書いていなければ、きっともっと早く死んでいた。僕の世界から神様が見えなくなった後も、死にたい時、結局は書くことが僕の心を許した。仮に生きていることを人の在り方とするならば、僕は書くことに救われた。

それでもいつかは、あるいは本当はもっとずっと前から、手放さなければならなかった。祈りは解き放たなければいつかは必ず呪いに変わる。いつまでも縋り付いていては先に進めないとわかる。やり残した宿題がずっとそこにある。僕の書くことは、今もあの人の中にある。神様は僕の書くことの中にいる。そういう無意味な繋がりを、多分僕は今でもずっと手繰っている。書くことは、言葉を心から引き上げる営みは苦しい。それでも僕にとって書くことの痛みは恋に近い。正しいものほど、引き上げる瞬間に擦れる傷の痛みが、絡みついた感情の千切れる痛みが尊いと思う。深いところにあるものが手に触れるほど、悲しくて指先から流れるものがそれを鮮やかに見せる。だからこの痛みが愛おしい。首を絞められる感覚、心がきゅっと閉まるあの感覚、言葉が心の内部を削りながら浮上するあの感覚は、恋のそれとしか言いようがない。たしか前にも同じことを書いた。同じ人間は多いと思う。

僕の書くことは借り物だ。返せないまま大人になった。返せないほど使い込んでしまった。仕舞い込んだままの宿題を、もはや提出する先もない。楽しい夏休みも修学旅行も生徒会も放課後のブラスバンドも合唱も、交わした挨拶も、初めて貰った手紙も、今も好きなあの髪型も、本の両端で繋がった手も、忘れてしまった声も、もう僕の人生には存在しない。燃やさなければならない。燃やさなければならないと思う。ちゃんと全て燃やしたいと思う。煙が登る。いつかそれを書くことが書くことを殺す。空はそれを多分許してくれる。

物語を終えるのは難しい。その通りの意味だ。始めた物語を終わらせるのは難しい。どうでもいいような描写を長々と続けて、話があっちやこっちに行ったり来たりして、そこにたまたまあった景色がどうしてか好きすぎて削れなくて、いつまで経っても物語が終わらない。そして1日が終わる。人生が終わっても終わらない物語がきっとある。君もそう思うだろう。僕はもう君の人生の中にいないけれど。

僕は今、目を閉じて考えを巡らせている。この物語がどうやったら終わるのか、今日も考えている。いつかの夕焼けが燃える。書くことが、きっと少しずつ、終わりを連れてやってくる。書くことが、書いたことがいつもどこかで繋がってゆく。こうやって書いていくことがきっとまたいつかの僕を救う。人間と人生、人生と物語の螺旋が、生きる全ての人から放たれる視線の数だけ存在し、それぞれに終わり、すれ違い、いつまでも続いている。生きることは取り戻すことだ。書くことは取り戻すことだ。書くことを生かすために、書くことを殺さなければならない。さっきから好きな顔が浮かんでは消えてばかりだ。全てが記憶に過ぎないのに。

僕は、悲しいけれど今もきっと好きなのだ。
こうやって書くのは多分これが初めてだ。そして最後にもなる。もっと早くそう言えばよかった。そう書けるようになった。

全てがちゃんと灰になるまで、まだきっと時間がかかる。パチパチと感情が燃える。なんかそれって拍手みたいだと思う。神様ありがとう。今までありがとうと思う。

僕はもう何年も前から新しい友達と生きていて、いくつかの恋もした。今もそうだ。だから終わらなければならない。それでもずっとその光が僕の世界には差していた。

終わらない全ての物語と、僕はこれから対決しなければならない。人生は物語ではない。この人生は僕のものか。この物語は僕のものか。

美しいものや愛の在り方を、僕はもう自分のものにしたい。それが自分ではないことまでを含めて。

2022.06.20 靄篠

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