久々に題名に迷うやつだ

平日の夜から早速集まって飲んでいるバカどもを愛している。私がわりと楽しみにしていたコカレロをばちくそ飲みやがってと思いながら騒ぐ声だけを聴いている。まあ、人の酒だから謎の主張なわけだが。その場に居られなかったのは残念だったけれど、画面の前で笑って居られる夜も、それはそれで幸せだと思う。

ずっと何者かになりたいと思っていた。勉強を頑張って大学に入っても、物づくりを頑張ってみても、アバターを纏ってみても、どこまで行っても僕は僕から逃げられなかった。最近はもう逃げることすらも諦めて、ただそこにある風景を眺めている。ずっと信じていた夕焼けのことも、何もわからなくなってきてしまったけど、今までよりはずっといい。

それでも文章を書くのが好きで、年の割には自分の心が少しわかって来たような気がしていて、その割にたいして面白くはなくて、中途半端に趣味が多くて、最近はギターなんかやりだして、パニックで人込みに居られなくなって、何回試してもうまく死ぬことができなくて、やっと病院に通いだしてメンクリで薬を貰っている、ふとしたときに死にたくなって泣いている、一人でいると発狂しがちでうまく眠れなくてベッドの上で転がりまわって叫んで、家族とうまく関わることができなくて、通勤電車で泣くのを我慢しながら文章を書いて、イヤホンから聞こえる音楽に救われて、本当は誰の声も聴きたくなくて、親の前で首を切って死んでやることを想像して怒りを晴らしては、親の顔を想像して悲しくなって、こんな恵まれた人生もこれ以上続くくらいなら早く終わらせてやりたいと、今だってキーボードを叩きながらぼろぼろと落ちる涙をずっと拭いながら、お前らのことを考えて書き出した文章を続けて居るのが、僕の知っている僕だ。別にそれが悲しいとか、わかってほしいとか、そんなことを書きたい時期はもうとっくに過ぎ去って、今は今思うことだけを書きたいと思える。そんな大人になってしまったんだな。悪くないだろ。本気でそう思うよ。

「僕がみんな幸せにするよ」なんて言うお前の意味不明な覚悟も、僕はお前のことを信じるよ。それもパクリなのかもしれないけど。この前の朝二人でぼんやりした頭でおしゃれな食事を取ったとき、多分これでよかったんだなと思った。幸せで居るということはきっと信じることと覚悟のことで、僕はお前が生きていれば、こうやって遊んで居られたら、そのことを幸せだと呼ぼうと、そう定義していいと僕は思ったよ。朝ごはんがおいしいのは、高い金だしゃそりゃそうなのかもしれないけど、でもあれが楽しかったなって今思い出せるのは、あれが一人じゃなかったからだ。お前がこれからみんなのことを幸せにしていくなら、僕はその最初の一人になれる。お前が良い曲を作れば僕はそれを良いと言うし、お前が何もしてなくても僕はお前と酒を飲むのを楽しみにしながら生きていくよ。だからもしお前がいつか全員を幸せにするとき、僕が死んでたらごめん。今もたまにふと死にたくなって、今までのようにずっと僕はなんだかんだと生きていくのかもしれないし、いつかたまたまホームに柵がなかったり、高い屋上に出られてしまうかもしれない。そういうことをずっと病みとか鬱ツイとかって言って笑って居られたらいいけど、万が一ということがあるかもしれないから、こうやって書けるときに書いていくことにした。僕の書くことは全部遺書になる。最悪みんなを幸せにできなくても、お前が幸せで居られたらいいなあと思う。僕らがずっとここに居るうちは、お前はずっとみんなのことを幸せにできるから、安心して自分の課題と戦えばいい。誰もそれを笑わない。

一番歳食ってるくせにバカやってるお兄さん、酔っぱらって自分のバカさを主張したくなって叫んでいたのが面白かったな。いつも車出してくれてありがとう。技術持ってる人間もなんだかんだで悩んでしまうもんなんだね。まあそりゃそうか。でも君は多分、どれだけバカなふるまいをしようとしたって、どうせその生真面目さから逃れられないよ。やばいやつじゃないのにすごいのが君の良いところだから、多分もうじきそのへんのやり方がうまくなる。やっぱり僕らはまだまだ若いから、いろいろなことが諦めきれていないよね。多分あの集まりは今まで僕らが経験してきたどんな集まりよりも、良くも悪くも、すごくもすごくなくてもよくて、だからお兄さんが思っている以上に君は今君の中で少しだけ突っかかっている年齢のこととか、責任感のこととか、もう許してもいい気がする。だんだん許していけばいいと思うよ。そして存分に、力をふるっていただいて。

途中から殺すぞ連呼してたお兄さんはまだあまり話してないから正直よくわかんない。ところで何を期待してるのかわからないけど、君が期待しているような話が僕にできるのか知らないよ。何が本物かなんて僕は知らない。でも酒で全員がおかしくなった後も、ずっと君は自分自身と殴り合っていた気がする。幸せにするよっていう無責任な宣言にもキレ散らかして、なんだかんだ自分の幸せに対する独占欲みたいなものがあって、まだ信用とかわからないままで目の前の人間にそんなこと本当は言われたくなくて、でもそういうことを言う人間が居るという突然の事実にちょっと驚き、ビビり、嬉しさもあるのかな、そこでじゃあやってみろよっていう、そう叫ぶ意味がさ、わかるよとは本当は言いたくないけど、そこに居られたらよかったなって思ったよ。本心そのものの言葉選びではなかっただろう。そのわからなさがわかるよ。だから、もの出してみろよって言われて、最後まで、やるぞって100%言い切れなかった君の自己肯定感の現状も、それに対する君自身の迷いも、僕はそういう人間の思いがそこにあることを守りたいと思う。今僕に言えることは何もないけど、今度オフで飲むときは誘ってくれたらいい。友達になろうね。

あまり書きたくはないんだけど、僕がもう幸せであることはもう隠せないことだと思う。幸せには、もっととか、よりいっそうとか、そういうことはないと思っている。今僕は僕に見えているこれを幸せだと書いている。だから君たちにはありがとうということを言いたい。ここで書いていない、いつもバーチャルで他愛もない話をしてくれる君たちにも。最近あまり行けてなくてごめん。おろそかにしている気持ちがないことをわかってくれればいい。すべての友達のおかげで今これが書けている。幸せな遺書が増えていく。

僕は今幸せで、それでも正直、何かのタイミングで死んでしまうかもしれないし、正直死にたいときは死にたいけど、当分はまだ生きるつもりで最近は人生を考えるようになった。もっと人間と関わって、好きだとか、楽しいとか、守りたいとか、そういう感情のことをもっと知って、言葉にして、時間を作っていければいいと思っている。書けることは全部書いてから死ぬ。それが作品にならなくても、僕が幸せであったかどうかを君たちが迷わなくて済むようにはしておく。

僕にとっての何者かになることは、自分で成るものではなくて、多分してもらうことだったのだと思う。その場に居ないくせに名前を読んでもらえるような、そんな温かさを感じられる君たちが居て、だから僕は不幸のふりはもうできなくなった。彼がみんなを幸せにするまでの間、僕はちゃんと世界を眺め続けるつもりでいる。

それでふとお前らもいつか死ぬって気づいて、なんでだろうなって世界を疑ったけど、その話は今度飲むときにしようか。

何が書きたかったのかわからないけど、愛してるよ。人間を慈しむことが、恋か愛か男か女かなんてどうでもいいことだ。君たちが生きていることが嬉しい。それは、僕が生きていることが嬉しいことと同じだ。そうでなければ出会えなかったから。

2021.06.17 僕



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