未だ終わらない終わりに(2021)

こんばんは。

靄篠でございます。2021年の終わりに、本年を振り返って今年最後の文章としたいと思います。

何かが始まった2020年の終わりに続き、いつからか始まりが終わり、新しい終わりを始めるに相応しい2021年の終わりにすることができました。あの日出会ってくれた友人とは相変わらず仲のいいまま、仲間も増えて有難い限りです。これからも一緒に戦おうな。

始まることに縋り、何かに追いかけられた2021年の初頭も今や懐かしく、終わり始めることを春の頃には認めていたような気がします。初めて病院にちゃんと通い、リアルの生き方を見つめ直し、なんだかんだで持ち直したような気がしています。

人生で初めて物語と呼べるものを書きました(正確には、初めて物語を終わらせました)。今まで物語を書くことはあまりしませんでした。楽しかったと思います。評価されたのも嬉しかったです。だからまたやります。というか途中まで書いています。来年は他にもいくつか書いて、ちゃんと終わらせて、まとめたものを発表できたらいいなぁと思います。

なんとなくここに残しておきたいなぁと思ったツイートです。多分今年の最後にふわっと吐き出した中でかなり重要な言葉選びだったと思います。今年言いたいことはこれが一番綺麗に書けている気がします。

この段落を書き始めた今は、2021年の12月31日の、22時24分です。生きているなぁと思います。あるいは今、生きていた。あなたもこれを読んでいるなら、少なくともこれを読んでいる今、あなたは生きている。それが嬉しいなぁと思います。

いつか僕が死んだ後、もしあなたが生きていて今またこれを読んでいるなら、「あぁ、この時はこいつ生きていたんだな」って思っておいてください。ところで、死んでゆくことと生きてゆくことの境界はまだそこにありますか。

もし僕があなたより長く生きて、あるいはあなたが死んだ後に僕があなたを知って、それでも「あぁ、この時こいつ生きていたんだな」って思えるように、これは僕のエゴですが、あなたの残骸をこの世界にできる限り置いていってほしいなぁと、今そんなことを考えています。これは届く人だけに届けばいい。別にそうする必要はないのだから、くだらないことです。

僕の来年からの仕事は今までと変わらず、できれば今まで以上に僕の残骸を、いつか遺書になる言葉を書き続けることです。

そしていつか僕が死んだ後に、あるいはあなたが死んだ後になって、好きだったよとか、頑張れよとか届きもしない言葉を握りしめなくていいように、僕が生きているうちに僕の思うことを書き、あなたが生きているうちに僕の思うことを書き、ただ言葉に変えて、それで何が起こるのかも知りませんが、ただ幸せに死んでゆくことを引き続きやりたいと思います。それはあなた方と生きることで、あなた方と死んでゆくことです。あなたとどこかで出会えることを楽しみにしています。

死ぬために書くことが生きるために書くことに変わり、そして次は、死んでゆくために書くことに変わりました。僕が書くことを愛しています。ただ僕がそうできることが、有難いなぁと思います。

昔から変わらない僕の言葉選びも、だんだんとそうしていた意味が自分でわかってくるのが不思議です。少しだけですが、僕は僕のことがわかってきた気がします。それがなんとなく嬉しくて、悪くない気分です。解釈することが好きです。それが幸せだと思います。

瓶詰めにした夕焼けを、影の差したベランダから投げた。それは遠く歩道橋を越え、割れたガラスの破片はきらきらと輝いて、道にばら撒かれた思いが枯葉と共に風に消えるのだ。その跡を何も知らずに歩く少女の背中を照らす空の色を、僕は愛していたいと思うのだ。赤黒い髪が揺れる。瞳の空が鮮やかに移りゆく。そして呟いた少女の言葉が、世界に溶けて新しい色に変わる。

そういう世界の景色のことを、僕は靄篠と書きたい。そして丸い変な犬が、その後ろを通り過ぎていったことも含めて。

今年もありがとうございました。文章を読んでくれた全ての方、関わってくれた全ての方に、ありがとうと思います。

僕の終わりが終わるまで、来年もまた、お付き合い頂ければ幸いです。

ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
皆さんがいることとその世界を、愛しています。

2021.12.31 靄篠

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