11/8 春の思い出と、日記

半年前くらい前に、じいさんが死んだ。死ぬところには立ち会わなかったが、普通に生きて会話をしてから、2ヶ月か3ヶ月が経った後のことだった。実家からやけに電話が来ていて、仕事終わりに電話をかけ直して、死んだことを知った。なんか人間ってのはついこの間まで普通に生きていたのに、いきなりこうやって死んでいくんだなぁと、改めて思った。最後に会った日は、同じテーブルで料理を食べて、じいさんは酒も飲んでいた。それが次に会ったかと思えば冷たくなって、木の箱に入って、燃えて灰の中に消えた。冷たかったり熱かったり、なんかそれが大変だなと思った。

じいさんが燃える前、親戚や、僕の知らない色々な年寄りが、じいさんに声をかけていた。僕は恥ずかしさもあって、何も言葉にはしなかった。ただ、じいさんの頬には手を添えた。肌が冷たかった。爺さんの周りを、人が順番に入れ替わっていった。ばあちゃんは最初からじいさんの顔の近くに立って、結局最後までずっとそこで話しかけていた。ばあちゃんも人生は結構苦労したはずなんだけど、本当にじいさんが燃やされる直前のところで、ばあちゃんは「じいさんありがとうな」と、2、3回そう繰り返し言った。他にも何かずっと話しかけていたけど、僕にはそのありがとうだけが何故か、よく聞こえた。ばあちゃんは別に泣いてもいなかったけれど、そのありがとうの響きが、僕にはかなりきつかった。僕の人生で聞いたことのあるありがとうの中で、あのありがとうが一番にきつかった。書くまで半年かかったが、今これを書くのでも、かなりきつかった。

少し話の時間が戻るのだけれど、じいさんが燃える前日のことになる。うちの家族と親戚一同は、じいさんが置いてある離れの部屋に集まっていた。なんか空気感がやっぱむずかしくて、僕はほとんど話はできなかった。一通り落ち着いた後、僕はそこにいた葬儀屋の人から、小さなカードを渡された。最後のメッセージを書いて、渡してあげてくださいということだった。みんなは僕が来る前にもう書いたというから、僕は1人でテーブルに向かった。ペンを手に取って、何を書くかじっくりと考えた。じいさんが生きていた頃の思い出とか、そういうことを振り返ることにした。じいさんの畑やトラクターのことを、僕はよく思い出していた。それから色々ありがとうとかとりあえず書けばよかったのだけれど、結局のところ、僕にはそれが書けなかった。ありがとうとか、今書くのはなんかずるいんじゃないかとか、そうやってまとめてしまうことが本当に僕の心にとって正しいのかどうかとか、そういうよくわからないことを考えているうち、なにも言葉を選べなくなってしまった。僕はうまくやるのが嫌だった。じいさんが死んだ今、今更選ぶ言葉の全てが嘘になる気がした。

今考えても、それでよかった気がしている。僕は、ばあちゃんとは違う。ああいう音のありがとうを発することは、いずれにしてもできなかっただろう。

僕は本当に最後までなにも言葉を選べなくて、何も書けないまま、葬儀屋の人に「そろそろ」と声をかけられた。そして僕は、少し急いで、いつものいぬの絵をカードに描いた。これは家族や親戚にも、誰にも言っていない。いぬは、少なくともそのとき僕が選ぶかもしれない全ての言葉よりも、必ず良いと思った。いぬは優しく、いぬは多分じいさんを守るはずだ。だから僕は、じいさんの最後にいぬを描いた。僕にできることはそれだけだった。僕はカードを半分に折って絵を隠し、じいさんの襟の中へ差し込んだ。いぬは、僕の言葉よりも、じいさんにとって良い。それは間違いがなかった。僕がいぬを好きなことを、じいさんは多分知らないからなんのこっちゃだと思うけれど、死んでいるから別にいいだろうと思った。

それから僕は、少しだけ落ち込んだ。言葉を選ぶことは人の生きることに近いと、僕は思っている。だから僕は、1人の人の死を前にして、僕が僕の言葉よりもいぬをそこに選んだことをもって、本当は気づきたくなかったことを、知ってしまったような気がしていた。僕が文章を書くことはもう終わりなのかもしれないなと、それからわりと長い間、僕は思っていた。

このお話に結論はない。今でもじいさんにありがとうとかあんまわからない。ただ半年もたった今、結局ぼろぼろに泣きながらこういうことを書いて、僕はここに今生きているんだなぁということがわかって、なんか優しく生きていられたらいいと思う。

あのとき描いたいぬが、今でも少し気掛かりでいる。いぬ、いきなり送り出してごめんかった。そのじいさんは多分いいやつだったから、これから行く場所へ、誰かが一緒に行ってやって欲しかった。今、どんな感じですか。ありがとうございました。君はきっとやわらかいと思う。君が優しくてありがとうと思う。いぬがそこにいてくれて、僕はありがとうと、思っている。いぬがいさえすれば、多分きっと、寂しくはないと思う。

20221108

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