書かなくなった話

文章を書かなくなった。書けなくなったともいえるけれど、なんかそれはダサい気がするので、書かなくなったと書くことにしている。とはいえ書けないのは書かないのと同じような気がする。逆に言えば、書けなくても書けば書けるのだ。文章がうまくなくてもみんな書けばいいのにねと言っていたのは、紛れもなく僕自身だ。だから僕は書けなくはない。書いていないだけだ。だから久々に書いてみている。

相変わらず頭の中では世界がずっと動き続けていて、今も知らない美少女が夕方の教室で意味深に喋り倒していて、いぬは駅のホームで踊っていて、僕だけの登場人物は今日も増えていて、お前らはちゃんと創作を続けている。僕は毎日タルコフをやっている。がんばって仕事をしている。心だけが、書くことに動かない。

ヘッドセットを被らなくなってから余裕で半年は過ぎている。バーチャルが行ってきますからただいまになったと思っていたのに、今や行ってきますですらなくなった。それに寂しさを感じない。会えなくなった人も、どこかで普通に生きている。不可視は死かという問いに今は悩みすらしない。生きていることは世界の側にある。僕の視界は世界とは違う。

激務で疲れている先輩や後輩にお菓子を買ってきたり、誰にでもジュースを奢ったり、飲みの席で1人ずつ褒めて回ってみたり、犬を見せて和ませたり、頼られた仕事をがんばってみたり、目の前にいる人がとりあえず幸せに近づくことに越したことないなと思っていろいろしながら生活をしているうち、半年ぐらいが流れるように過ぎて、職場になんかなじんでしまって、上司とも話せるようになって、自分を好きだと言ってくれる人が増えて、割と簡単にありがとうが言えるようになって、なんだかんだで、普通に生きている。そして、書きたいと思うことが減った。

悲しいとか苦しいがなくなって、土砂降りの雨を側溝に流し込むこともなくなって、たまにふと思い立って錆びた蛇口をひねってみてもポタポタと溢れるだけの滴がアスファルトを湿らせては乾くだけで、それが水流を生むこともなければ、頬を濡らすこともないまま、ごみみたいな書き出しのnoteを保存せずに閉じては眠る。こんな感覚を知るのも始めてか、あるいは、久々だと思った。今の僕には書きたいと思うことが微塵もない。

自分のために書いてきた僕が、これ以上僕のために書きたいと思うことが今はもう何もないように思えた。人のために書くことは知らない。

お前らに言いたいことも何もない。生きててえらいは相変わらず言いたくないけど、今の僕は簡単にお前とずっと遊べたらいいなとか、お前が元気でいてくれたらいいよとかあっさり言えてしまいそうな気がして、お前も本当はいつ死ぬかわからないし、お前の苦しみを僕は何も理解できないのに、お前が幸せでいたらいいなって本気で思ってそうな自分が僕は愚かだなぁと思っている。そういうことを言っているうちに誰か死ぬ。その後で多分僕は悲しいと思う。今の僕は苦しい人間に寄り添えないと思う。寄り添いたいと思いながら寄り添ったつもりになって終わるだけな気がするし、それは多分間違っていない。だから別に、書きたくもない気もする。そんな暇があったら、今は周りの人間を見ていたい気がする。そこにお前もいたら嬉しいと思ってしまう。

ぼんやりした頭で、今日も帰ったらタルコフをやる。お前らが創作で輝いていることを、外からぼんやりと見ていられそうな自分が悲しいなぁと思う。悔しくないことは、終わっている。

あんま書きたい文章ではなかった。

僕は今、なんか悲しいなぁと思う。でも死ぬほどではない。久々にお前らと話がしたい。僕はまるで他人事みたいに、頑張ってるねってお前らに言うと思う。

書きたいなぁとは、実は思っている。

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