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「今年は違う」は何が違うのか

 こんばんは、うしーぷです。

 先日、いくつかのゼミが集まって発表し合う、シンポジウムというものがありました。最後に講評された方が、「今年は違う」と言った旨を述べられていました。ありがたいお言葉でした(プラスの意味だと信じています笑)。しかし、こんな疑問が浮かんできました。

「今年が例年と違う訳はなんなんだろう?」

 今年は違うねぇ〜という言葉は、学業のみならず、部活動などでも耳にすることがあるかと思います。今回は、その違いをもたらす原因を考えてみます。

➀全体的にすごい
 前述のシンポジウムに参加した学生のうち、私も含めほとんどがコロナ禍での受験を経験していました。現役生は高3の時期がコロナと被り、部活の大会や学校の行事が中止になりました。不完全燃焼で終わったしまった人も多いと思います。だからこそ、その分を取り返そうという雰囲気があったのかもしれません。それが「今年は違う」という印象を与えた可能性があります。

②すごい人が入ってきた
 能力が高かったり、すごくやる気のある人のおかげで、チームが引き上げられたことも考えられます。

 私はこの2つしか思いつきませんでしたが、では、今年は違うという状況は任意に作り出せるものなのでしょうか?

 天災のような外部要因はどうしようもありませんが、チームを盛り上げている人物が特定できる場合いは、その人をどうやって獲得できたのかを分析することで、優秀な人材を呼び込める確率が高まると思います。

 今年は違う、には何か訳があるはずです。感じたことをなんとなくで済ませず、一歩踏み込んで分析することが大切ではないかと感じました。

P.S.
①の部分を書いて思ったことがあります。一見嫌なことでも、意外と自分の成長のきっかけになるのかもしれません。

『逆境の中には、すべてそれ相応か
それ以上の大きな利益の種子が含まれている』
ナポレオン・ヒル:「思考は現実化する下」(きこ書房、2014)p58


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