ファミレス帰りの土曜の夜に

コモン・センスはどうしたって必要とされる。そしてそれを無垢らに与えるのが教育なんだろう。

海坊主みたいな顔で歩いているが、それでも幸せかと問われればそうと答える他あるまい。

今日はチック症が酷くてつらい、呼吸だけは上手く出来た。いい加減薬を貰いたい。

今日は何が出来た、と寝る前に成果を確認するのは辞めた方がいい。そのうち来る絶望はあまり美味しくない。

世の文章の大半がつらいこと苦しいことなのは、書くとはそれを消費することだからだと思う。喜劇を書く人間は、不幸か、際限の無い幸福者(莫迦かもしれない)だろう。

今日を愛することは正義だし、今日を憎むことは悪ではなかった。最も嫌いな色が灰色になりそうだった。

チックの原因はなんなのだろう。一般にストレスと言われているが心当たりが多すぎて無い。

明日死のうと思った。それは五歳あたりから断続的に続く幸福の連鎖であった。

歳を取ることが本当に怖い。上記の言葉も頷けるものだと思った。

「原因」と「意図」を見間違えた。もう少し目に良い物を食おうと思う。

思ったより外が涼しかった。調子に乗って歩いていたら汗をかいた。春のようだった。

深夜に生きることがあまり悪いことではないように思える。眠気の代替品だ。

Aphoniaにアイノファと名付け、彼に世界を吹き込んだ。世界は、(わたしがそうおもったから?)すぐに割れた。彼は少女ナタナエルと共に歩く。

なにかを慈しむ心は大前提として余裕を持っている。それは油断と酷似している。蜘蛛の糸はやはり「千切れた」のだろう。

僕は、僕にはその糸を千切る資格があったのだろうか?それだけの立場で居られたろうか?居ていいんだろうか?

誰も知らない。知らなくていい。この問いは創作者の内的世界における自己同一性を与える。つまり、これを問うこと自体が一種の安らぎになる。


大丈夫。明日も生きていける。私は彼らに、アイノファとナタナエルにもらった活力を食い体温とすることが出来る。その根源が誰かの生み出したものであっても、それでもたしかに私の被造物からもらった大切な体温だ。

生きようと思った。ファミレス帰りの土曜の夜に、風は冷たく涼しく、月は雲隠れのまま。残念ながら、生きようと思った。

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