占いで救われた話
「誕生日いつですか?」と食い気味に、目も合わせず右隣りの男の子に尋ねられた。
その日は、その男の子とは初対面で、彼が作ってくれた麻婆豆腐を玄米にかけて食べていた。
「2月7日」と答えると、彼は表情を変えて「僕はこの誕生日の人をよく知っています。」と言った。
しかし、その表情は硬く何か「2月7日」に対してネガティブ感情があるようにも思えた。
そして、彼は淡々と「2月7日」の説明をし始めた。
「まずは見ての通り個性的です。」
「革新的で、改革精神があります。」
「本質数字が7なので、海王星でうお座を支配している星です。」
「その為、旅好きの方が多く、変化を求めて転々とする傾向があります。」
ここまで言われて私は、正直あたっていると思った。実際、占いに行ったのは人生で一度だけだが、ここまで適格に言われたことはなかった。
が、もともと占いや、データ等に頼る性格ではないため、それはそれで、自分の生きている今と、過ごしてきた過去は自分自身で手に入れたものだと信じていた。
結論として、その考えも間違ってはいないと思っている。
しかし、自分が生まれ落ちた瞬間の惑星と星座の位置、その性質等、を知っていくと奥深いものがあった。
例えば私は、2月7日の16時12分に生まれた。
この出生時間によっても、運命が変わってくるということだ。
そしてこの日は、自分の素性を丸裸にされ会話は終了した。唯一自分の記憶に残っていたことは、「僕とライバル関係にある人です」と言われたことだった。
私はというと、彼に対して一ミリもライバル的意識はなかった。
ライバルと言われると、自分と合わないという意味かと思っていたが、数日も経たないうちに私達は仲良くなった。彼曰く、ライバルといってもお互いに高め合える存在であったりするという意味で、喧嘩や、嫌い合うという関係を指しているものではないらしい。
たまに彼から、私の本質についての話をされる。その中で一番印象に残っている話、つまり、占いに救われたと表現している話をしたいと思う。
「あなたは土星がうお座だから、他人の痛みに敏感で自分自身が傷つきやすいんですよ」
「土星というのは試練の星なんです。そこにうお座の性質が入っているので、社会で強く生きられなかったりします。」
こう言われた時に、自分の中の隙間が少し埋められた気がした。自分の弱さと向き合っても分からなかったものが一瞬にして見えたのだ。自分がつまずくキッカケを占いによって知った。
いつも何かを求めている訳ではなかった。「自由」を求めているはずなのに、旅先ではいつも「孤独」を感じていた。
「痛み」を感じることが多く、その要因も分からないまま苦しんでいた。
自分の性質とやらを知った時、今まで見えなかった一本の道が見えた。
毎日のように彼と話すようになり、「社会の矛盾に対して厳しいから、他社への評価が下がりやすいんだよ」と言われたこともあった。
それはまさしく今自分が直面している問題であった。
自分が放つ言葉というのは、常に他者からは「正論」だと言われてきた。しかし、人間はその正論の元では生きられないのだと反論され、分かり合えることはなかった。
そう言われる度に私は、人の取捨選択をしてきた。
組織に入るとその自分の欠点はより浮彫になり、自分が何に対してこんなにも違和感を感じているのかすら分からない状態だった。ただ、自身の意思表示をし、「これは間違っている」と伝えた。言葉と行動が繋がっていないとすぐに不信感を抱いていた。
「そうなんだよね、確かに矛盾が嫌いかも。でも分かり合えない時にどうしたら良いかわからない。」
私は、頭の中で整理しながらそう答えた。
「それを乗り越えるにはどうしたらいいんだろうね」
彼が、何気なく言ったその言葉がとても嬉しかった。
今まで、自分の欠点若しくは、悩む部分の「乗り越え方」について一緒に考えてくれる人などいただろうか。あくまでも彼は、数字に従い答えに導いてくれているだけではあったが、誰しもが抱えている長所と短所に対してとても理解のある人だと思った。
占いと聞けば、どこか偽りっぽいものを想像していたが、自身の本質を知るツールとしてとても興味深いものであると感じた。
そして、自分が救済されたように、
いつか「ライバルに救われた」と言わせたいと、思った。
p.s
同じ96世代に出会えてハッピーです。
文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.