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突然訪れた温かい気持ちの週末

ようやく金曜日だ。土日は特に予定もない。のんびりと自分の時間を過ごそう、そう思っていたその時、家のドアをノックする音がした。夫がドアを開けると、声が聞こえてきた。向かいに住む、声が大きなマダムだった。リビングにいた私にも丸聞こえだった。

「今日の夜から二日間、留守にしなければならないの。それで、もしよかったらうちのネコの面倒をみてもらえないかしら。それと、イヌを散歩に連れて行ってもらえると嬉しいのだけれど」

「もちろん構いませんよ」

夫は私に相談することなく、快諾していた。

早速マダムの家を訪ねた。玄関から入るとすぐに、イヌのミミーが迎えてくれた。黒い小型犬で、なんとも愛らしい。黒ネコのジャックも部屋にやってきたが、警戒していて近寄ってくれない。

ミミーとジャックのご飯について、話し始めるマダム。これを1日3回、これはカリカリのドッグフードに混ぜてね。お水は水道水で大丈夫。散歩に行くときは、こうやって胴輪をつけて、ここにリードをかけるのよ。ジャックは猫ドアを使って自由に出入りするから心配ないわ。

ふむふむ。一通りの説明を聞いた後で、マダムは言った。

「それで、いくらお支払いしましょうか?」
「お金はいりません」

私たちは即答した。

夕方、マダムは家の鍵を私たちに届けると、出かけていった。マダムの後をネコのジャックが追いかけていく。

「アイ ラブ ユー、ジャック!」

マダムの大きな声がこだましていた。

夜、マダムの家のドアを開けた。ジャックはいないようだ。イヌのミミーは眠たいのか、ちょっと元気がないように見えた。それでも、胴輪をつけると、クウーンと鳴きながら立ち上がり、嬉しそうに外に出たがった。

お散歩コースはどうしようか、そんなことを考えながら外に出たが、ミミーは自分が行きたい方向に足速に進んでいった。どうやら、お散歩に連れて行ってもらうのは私たちのようだ。暗い公園へ入って行ったことはこれまでなかったが、ミミーのはしゃぐ姿に不安はかき消された。30分近く歩いて家の近くまで戻ってくると、ネコの姿があった。ジャックだった。ミミーと一緒にいるのが、マダムではなく私たちだとわかると、ジャックはまたどこかへ行ってしまった。ジャックとは仲良くなれないのだろうか。

特に用事がない週末は、午前中はダラダラと過ごしてしまう私たちだが、この週末は違った。朝から張り切って支度をし、ミミーのところへと急いだ。すると、家にはジャックもお腹を空かせて待っていた。近寄って頭を撫でると、嬉しそうに喉をグルグル鳴らしている。なんだ、ジャックもやっぱり寂しかったのか。ご飯を食べ終わってからも、そのまま近くにいてくれた。久しぶりにネコと一緒に過ごせるなんて、幸せだった。

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ミミーと散歩に出かけようとすると、ジャックも一緒に外に出た。ジャックは遠くまでは行かず、近場で遊んでいるようだ。

土曜日の朝、気温は18度くらいの肌寒さだったが、ミミーと一緒に歩き回っていると、汗ばんでくる。これまで何度も訪れている近所の公園も、ミミーが一緒だと、見えてくる景色が違う。こんなところ歩いたことなかった、というところへもミミーが連れて行ってくれる。

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犬を連れている人たちとすれ違うと、自然と笑顔で挨拶をする。こんなにたくさんの人が犬を飼っているんだなということに、改めて気づく。ほとんどの犬が、リードをつけずに自由に歩いていたが、私たちはよそ様のワンちゃんをお預かりしているので、リードをつけたまま歩いた。ごめんね、ミミー。

あちらこちらを歩き回り、ようやく家の近くに戻ってくると、またジャックがいた。どうやら、散歩に出かけるときには一緒に外に出て、それからミミーが戻ってくるのを待って一緒に部屋に戻る、ということが習慣になっているようだ。

部屋に入り、ミミーとジャックと一緒にくつろぎの時間を過ごす。すると、ミミーは私の膝の上に乗ってきて嬉しそうに座る。私の膝は狭くて、以前飼っていたネコのトトも居心地悪そうにすぐに降りてしまったのに、ミミーはしばらくじっとそこに座っている。いつもこうしてマダムの膝の上に乗り、安心しているのだろうか。

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ミミーとジャックの元気な様子を写真に撮り、メッセージと一緒にマダムに送った。マダムは病院にいたのだ。検査入院なのか、詳しいことはわからないが、突然入院することになったようだった。夜、マダムから返事がきた。

「こうしてあの子達を置いて行かなければいけないことに、ストレスを感じていたけれど、あなたたち二人のおかげでとても気持ちが楽になったわ。本当にありがとう。動物たちは私の人生そのもの、彼らにはこれまで健康上の問題も、精神的な問題もたくさんたくさん助けられてきたの。人間同士では分かり合えないことも、動物となら分かり合えた。私の人生で、どれだけ慰めになっていたかわからない。だから、こんなに大切に面倒を見てくれて、本当に感謝しています。私のベイビーたちと楽しい時間を過ごしてね」

メッセージを読んで、胸の奥が熱くなった。病室で一人心細くミミーとジャックのことを思っているマダム。彼女にとって、2匹の存在がいかに大きな拠り所であるかを思うと、私たちに託してくれたことを心からありがたく思った。

「私たち二人も、動物が大好きです。動物がどれほど大切な存在であるか、わかります。こんなに温かい、愛しい時間を与えていただき、ありがとうございます」

返信をして寝支度をしていると、夫はちょっと様子を見てくる、と言っていそいそとマダムの家へ出かけて行った。ジャックと遊ぶための猫じゃらしを手に持って。

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ミミーと一緒に公園を歩いている写真を、日本の家族へ送った。そのマダムとは、そんなに親しかったの? 母からの鋭い質問。

実際、マダムと私たちはそれまでそれほど親しい間柄ではなかった。向かいに住んでいるので、会えば挨拶をする程度だった。けれど、一度長く会話をしたことがあった。マダムがジャックを探して外に出たとき、黒ネコを見かけなかった? と聞かれたのだ。

うちの近所には、他にも3匹の黒ネコを飼っている家があることは知っていたが、もう1匹黒ネコを飼っている家があったのか、とその時知った。そして、イヌも飼っているのだ、と教えてくれた。話の流れで、私たちもネコを飼っていたが、去年天国へ行ってしまったと告げた。それを聞いて、マダムは、そのことがどれほど悲しいことか、自分も以前犬を亡くしたときは、それはそれは悲しい思いをした、と話してくれた。

その後も、私たちが近所のネコを見かけると嬉しそうに名前を呼んだりしていることをマダムは知っていた。

突然家を空けることになり、最愛のミミーとジャックのことをどうしようか、と考えた時に、私たちに声をかけてくれたこと、私たちにとっては、突然訪れた幸運だった。ネコを飼っていた、という些細な世間話をしたからこそ、こうして助け合うことができたのだ。

最後の散歩を終えた日曜日の夕方、マダムは元気に戻ってきた。鍵を返すと、お礼にと、胡蝶蘭を差し出された。お礼をしたいのはこちらの方なのだが、ありがたく受け取った。

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ゆっくり話をする間もなく、また改めて来るわねと言い、待ちきれない様子で、慌ててミミーとジャックの元へ帰って行った。


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