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2024/02/29(木)〜2024/03/01(金)の記録

目の上の痒み

早速21時更新を破った上に、最初の話題として上記謎見出しを書いてしまったわけですが、私・御来光はこの1年ほど、目の上の湿疹に悩まされている。

発端は確か冬場の肌の乾燥、よくティッシュで目の上を擦ってしまったことが原因で、今となっては左目の上半分が常時腫れているような感じになってしまった。
不規則に皮膚科で薬をもらっていたが、この間もらった新薬(塗り薬)が全く効かないどころか、逆に痒みを増しているような気がするほど効かないので、ふとこれまでの食生活や睡眠等、見直してみる気になった。やはり人間、最後というか、基本は、食事睡眠あとは運動、なのだ。
そこでこの2週間ほど、手書きで睡眠と食事の記録をつけはじめた。特に甘いものとかとりすぎないとか、カフェイン抜いてちゃんと寝ようとか自分なりに気をつけていると、痒みがましになったりする、気がしている。
しかし、炊事もしたくなければ、なかなかどうして日付変更線を跨いでしか寝ようとしない自分がいる。寝てくれない。寝る時間が来ると、スマホをより強くつかみ離さない。退屈が怖い、というか退屈になると来るものを恐れている。不安だ。そうか、と思った。そりゃしょうがない、怖いよな。後、炊事というのは基本、「今にいる」ことが出来ないと手が付かない代物なのではないか。心の中の不安に囚われると、そういう自分の世話を、途端にやりたくなくなる。亀のようにその身を踞らせて動きたくなくなる。

睡眠やだ=不安意識したくない

11月の終わりから、会社を休職しており、今月で4ヶ月目に入る。そろそろ、貯金もやばいので、復職して、このマイナス分ぐらいは取り返して、あとは煮るなり焼くなり好きにしたいところなのだが、如何せんこの1ヶ月ほど、睡眠サイクルが完全に夜型に転向してしまっている。
泉谷閑示さんの著作「『うつ』の効用 生まれ直しの哲学」の中で、夜型になってしまう鬱患者の例を、どこか客観的に思い出される。夜は、他の人間の活動を見なくてよい時間、つまり人に害されることもなく自分の表現や行動ができる。自分を取り戻せる。なるほど、と思った。でも、私の場合、それ以上に不安だった。ずっと起きている間不安で、寝るのが怖かったのだ。その日1日満足できずに過ごして、それを終わらせるのも嫌だったんだと思う。

動かなくてはならないのはわかっているが、その考えの圧力にはまるで対向から向かってきた通行人に肩をぶつけられるような感覚を覚える。それがプレゼントとは思えないほどの突飛さとUFOみたいな変な動き。あちらからやってきて、もしそれを掴んだり追ったりしたら、望まない、またよくわからない方向へ連れてかれる・行ってしまうような力。窓の外のそぐわない春というか初夏。ついこの間の、いきなり5月中旬ほどの高気温になった時のよう、とでも言おうか。怒りというか、とまどいというか、「え・・・・」みたいな、悪くも良くもない地縛霊の繰り返し行う行動上に自分が立ってしまった感覚というか・・・。(自身が幼稚園児ぐらいの頃に、ツタヤで借りてきた心霊体験談系のビデオにこんな話があった。真夜中、いつも同じ時間にランナーの幽霊が壁から出てきて、自分の腹を踏んで走っていく、その度に苦しい、というそれ以外のオチも何もない話だ。それが今でも妙に印象的で思い出してしまう。)
ただ、上記と背反するが、もう春がやってきているのも「自然」であり、私の中も以前ほど、周囲に対して、敵愾心を持ってはいない時間も、どこか増えてきたように思う。これはひとえにこの3〜4年の苦しみの放浪と、つい1ヶ月前に出会えたカウンセラーさんとの出会い、そしてギリギリながらもその治療における課題をやっている頑張っている自分のおかげでもあるとどこか感じれた。だから前ほど復職に対して「おえ〜」とはならないで済んでいる。

不安の形は老けない

まだ、転職活動はできていない。サイトで大量に流れている情報を見ただけで、疲れてしまう。
心の中の不安は、その姿が老ない。嫌な言動をしてくる人間の容姿が、ずっと若いままなのだ。現実は見事に老いぼれて、孤独かもしれない、というか事実そうでも、脳内に出てくる姿はもっとも力があったであろう日々の威光の姿なのだ。
なんという呪いだろうと、ここまで来ると感心するが、この間からチョイチョイその今にも死にそうな現実の彼らが、認知としてインサートで入ってくるようになった。今は恐るに足らない存在である、それに、何より私がとても大人になった、ということでもある。しかしまだ、不安に押しつぶされる時間も多い。むしろ、認識したことでさらに不安をも認識して、悪化しているような気にもなる。(カウンセラーさんにこれらの症状を伝えたら、成長痛とのことでした。私はステージ2の後半にいるようです。)

不安に慣れる、

ライターで作家の、土門蘭さん「死ぬまで生きる日記」のなかにて、マザーリングという心理用語が出てくる。傷ついた自分をあやす存在を、自分の中に見出す・作ることで、安心できる内的世界を構築する。これが、現状とても難しいというか、たまにしかすっとできない。しかし前よりはこれもマシになってきた。「あ〜こえ〜な〜〜〜」と言いながら、課題に取り組む。怖いという気持ちは否定しないで取り組む。教科書に載っているように集中できずとも、ブツブツ途切れながらでもやる。より時間はかかるだろうけど、それでいいのだ。そうする理由があるのだ。誰にも自分にも蔑ろにされてきた自分の気持ちをこれから誠心誠意もって慰労するのだ。自分に社を作って差し上げる、というと内在神みたいで面白い。傷ついた自分を神にする、というとちょっと違うし言い過ぎだが、要は、尊重するということだ。社というか部屋、が妥当な表現なんだろうなとやはり思う。これは、作家の安達茉莉子さんのWS (剥き身クラブ)に参加したことで、知り、心の底に落ちてきた言葉でもある。安達さんの友人である、きくちゆみこさんの「だめをだいじょうぶにしていく日々だよ」という、これも素晴らしいエッセイ本があるが、その内容も重奏して私の中に響いている。深いところに潜る作業と、知り合った人とただ場を囲み、表層をボールを投げ合ってすごす時間の両輪が、生きる上でちょうどいいのかもということ。最近会ってない友達ことなどを思い出した。会っても会わなくてもどちらでもいいと今は思っている。

2024/03/01のこれから

  • インナーチャイルドワークをまた1時間でもいいからやる

  • 身だしなみを整える

  • 読書を進める(この間、三浦海岸付近にある素敵な古本屋さんで買った、品々と鎌倉のこれまた素敵な本屋で買った詩集とか。もしくは1ヶ月前に買った、百万年書房さんの「脳のお休み」とか「転職ばっかりうまくなる」とかかなぁ。難しい。ちょっと刺激が強すぎるかも?「うつ」の効用を読み返すのも良さそうですね。)

さぁ、いくぞ〜〜〜🐶

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