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『タルロ』 無垢なおじさんが放り込まれてしまったただならぬ世界は私が生きるここ


ペマツェテン監督『タルロ』(2015)

小学校の時覚えた毛沢東の語録を丸暗記している程に記憶力がとてつもなく良いが、小学校しか卒業しておらず羊飼いをしており才能の無駄遣いと言われる。そんな「三編み」ことタルロが、必要性もわからないままにIDカードの写真を撮りに街に降ったが、成り行きで知り合った理容師によって見知らぬ世界に触れてしまい、と進む映画。
固定の長回しが特徴的で、会話のシーンにおいては明確な境界線が目立つ時が多い。音楽は薄〜く効果的な場面で鳴っていて情緒を引き立てます。めっちゃ下手な歌などちょいちょい笑えるシーンもあってコメディ的です。今の所今回の東京フィルメックスの映画で一番良い!長回しはちょっと長すぎるきらいはありますが、素晴らしい映画です。
いや〜この映画がまた、めっちゃ辛いんです!!悲しいです!!やめろ、やめろ…!という方に方にズンズンと行ってしまうタルロ。変わっていく彼を見事に演じきった役者さんは素晴らしいです。顔が場所、状況でグイグイ変わる。

タルロは長期記憶はすごいんですがワーキングメモリーは低いので妙に間抜けで、めっちゃピュアで、行ったことのないカラオケ、吸ったことのないメンソールタバコ、最初はいいよやんないよと言いながら女の子に押されてなんやかんやと挑戦する。IDがなくて強そうなやつに圧をかけられオロオロしてしまう。本当にその辺の中学生みたいな純朴な男なんですよ。しかし彼は、この世界で生きるには余りにも純粋すぎた…異性は疑わなきゃダメなんて知らんよね…
女の子ごと刺激にハマって頑張ってしまうザマがもう目も当てられない。典型的なアレな人の張り切り過ぎて、もういやだー!やめてくれー!!

恋歌など一曲しか知らず、チベットを離れるなんて考えもしなかった彼が女の子のその場のノリを真に受けて恋歌を習得していく時に色々聞くのですが、チベットの恋歌は鳥とか「飛ぶ」という単語が出てくること多いなぁ。そのウケの良い離れる渇望は、そこが離れない地であることをより如実に表します。それを高い記憶力で覚え歌う彼。離れる渇望というものを当然その記憶力で覚えてしまうでしょう。

ヴェルナ・ヘルツォーク監督『シュトロツェクの不思議な旅』という、これは本当に凄まじい作品なのですが、かなり似ているなと感じました。キャラクター、ストーリー展開はもちろんなのですが、この「ほら、ひどくて面白いだろ、笑えよ。」という笑うに笑えないコメディ的な運びもそっくりです。

彼はほとんど「三編み」と呼ばれていた。タルロと呼ばれると笑いそうになってしまうほどに。それを失ったとき、それ自体がさして何でもなかったはずのIDカードも同時に奪われることで、名実ともに彼の身分が剥奪される皮肉な瞬間がもう凄いんだわ。
民族性、彼たらしめた才能、アイデンティティを根こそぎ削ぎ落とすあの儀式。その時の彼の顔が今までとあまりに違う真剣な表情で、全く笑えないのにとても滑稽で。この滑稽さは正に『シュトロツェクの不思議な旅』で、競りで何もできずウロウロする主人公のそれそのものでした。

彼らに送られる静かなる怒り。彼らを追い立てたこの時代、世界の中に生きる私。こんな五体満足でのうのうと生きられるなんて、いや〜私とっくにイカれてるんでしょうかね。

(文:松澤)

参考:

第16回東京フィルメックス https://filmex.jp/2015/

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