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暴力と混乱と虚構『ラスト・ムービー』

こんにちは。映画チア部京都支部のダーマエです。今回は先日に引き続きデニス・ホッパー監督作を紹介。映画とは、自由とは何たるかを考えさせるちょっと過激な映画、『ラスト・ムービー』を取り上げます。

配信・レンタル

6月17日よりDVDの発売、レンタルが開始するそうです(嬉しい)

あらすじ

映画撮影のためペルーの村を訪れたスタントマン、カンザス。映画撮影という初めて見る光景に感化された村の人々は「映画」を過剰な形で模倣するようになり、カンザスはその「映画制作」に巻き込まれてしまう。ドラッグに溺れ、映画という暴力に揉まれ、カンザスはやがて現実と虚構の区別がつかなくなってゆき…。

混沌、ぐちゃぐちゃ、暴力的

この映画を表すならこんなところでしょうか…。ジャンプカットの多用、薬物中毒の表現、嘘かホントか分からない演出、「今どういう話?」と混乱してしまうようなストーリー構成…。とにかくめちゃくちゃやっているというか、鑑賞後もフワフワとした感覚にさせられます。特に終盤はもう何が何だかわからない。でもそれがこの作品の魅力です。「映画は暴力だ」「映画をぶっ壊す」という本作のテーマを作品全体で体現しきっていて、それはもう破壊の限りを尽くした映画という感じでした。ア~、説明するのが難しい…。

これが伏線バチバチにしっかり作られていたら、『ラスト・ムービー』にはならなかったでしょう。「支離滅裂」とか「意味不明」という感想を散見しましたが、その滅茶苦茶さが『ラスト・ムービー』を『ラスト・ムービー』たらしめているのだなあと思います。それはもう是非観て感じていただきたいところです…。

いったい何が本当なのか…。

「映画は暴力」、というのでかなり強烈に印象に残っているシーンがあります。映画というものを初めて認知したペルーの村人たちが、映画を儀式とし、それまでの信仰を捨てて映画制作の模倣を始める場面です。映画の中で人が死ぬなどというのは演技なのでもちろん嘘なわけですが、村人たちは「映画を作る」ことも「映画の中で人が死ぬ」ことも虚構として受け取ってはおらず、映画制作を真似する中で本当に人を殴ったりしてしまいます。

「嘘であることを認識できない」ってすごく怖いことじゃないですか?私はこのシーンでかなりゾッとしました。価値観を覆され、果てには「本当」であることを執拗に求めて過激化していく村人たちは見ていて恐ろしかったです。映画が村の信仰や価値観を破壊する「暴力」として作用し、さらに村人たち自身が暴力を行使する側へと回ってしまうという…。この作品、本当に過激で刺激的でツッコみどころが尽きないのですが、私的にはここが一番グワーッときたところでした。


複雑難解ではありますが、あとから色々考えが湧いてきてもう一度見直したくなる作品です。「映画」とはなんぞや、という問題提起をしている点では、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『ホーリー・マウンテン』にも通ずる部分があるのではないかと思います。是非、『ラスト・ムービー』という名のでっかいパンチを食らってください!

拙いですが感想画的なものも描いてみました。

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(ダーマエ)


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