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『オールド・ドッグ』 時代の過渡期に消えていくことしかできなかったモノ

ペマツェテン監督『オールド・ドッグ』(2011)

第12回東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した今作。チベット生まれの監督が作った、故郷の映画です。故郷を目的と言うか、テーマとして撮った映画というのはなんか名作が多いような…これも例にもれず、名作でございました。

中国も西欧的な近代化が進む中、チベットという特異な地域において、内地の富豪にバカ高く売れるチベタン・マスティフ泥棒が横行し、盗まれるならとある男がもっているマスティフを売ってしまい、知らずに売られた父親が怒って取り返しに行く…という風に話が進んでいきます。都会田舎の老若男女を代表する人々の、それぞれの生き方がささやかに提示され、チベットという土地と民族と近代化の波というテーマを投げかけます。
チベットの街中は従来の遊牧と新しい近代の匂いが入り混じり、バイクに乗る人、馬に乗る人、牛の大群が道に同居している特殊な空間で、おそらく時代が移り変わっていくのだろうことを感じさせます。息子はバイクで売りに行き、取り返しに行く父は馬。
馬の足音がとても好き!!というかこの映画は効果音に奇妙なところが多々あってそこが結構好きです。

父は非常に頑固な性格で、何か言うなれば、古い誇りのようなものを持ってる人。タバコを勧められ自分のがあると断るシーンは3回現れ、彼を端的に表すシーンにされています。息子は犬を金にしようとする一方で、子が生まれない息子夫婦に病院に診療に行くように父が勧めた時、息子は頑なに受けようとしないと言った場面も。現代的でないならなおさら男性性ってのもありますねえ。

空白の時間にテレビを見る家族。金のショッピング番組はめちゃくちゃ面白かった。普通1万元はするところを本場イタリアの技術で498元!!でも偽物対策として、298元にします!!お得〜!って論理展開が謎過ぎて笑いました。そんなシーンでもテレビという近代がまた、空白の空白性を露呈させ、妻はテレビを大体見ているし夫は大体見てません。分断が描かれて印象的です。

曲げられない遊牧民としての誇り、犬への思いは時代のうねりの前にどうしようもなく。ミヒャエル・ハネケを思い出しました。父の選択の傲慢さを問うこともまた傲慢でしょうか?
最後、あがった息の声が果てながら、自然の音だけは止まないままなことにああ〜…となりました。息は止まり、息子に子は生まれず、血脈が絶える。すなわちチベットが絶えることを暗示しているようで。そうして近代が勝っていって…

チベタン・マスティフはめちゃくちゃに高くて百万、千万、億までいくと聞いたことがあります。 犬を買おうとした人々も、我々から見れば特に悪人ではないはず。しかし、遊牧民族の誇りを持つ彼としては全くの不届き者で、その擦り合わせられなさ、相容れなさがしんどいです。一体どうしたら良いんですかねぇ…わかんないですね…

(文:松澤)

参考:

第12回東京フィルメックス https://filmex.jp/2011/

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