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Comfortable

心地よい時間・空間って何だろう。

と、ふと考え始めたのはつい最近でした。

友人たちと一緒にビール片手にわいがやしているとき

一人で好きな音楽を聴きながら散歩しているとき

仕事で社内外一体となって何かをやろうとしているとき

家族と猫と一緒にテレビを見ながらああだこうだと話しているとき

気になっている人と数時間ぐらい適当な話をして過ごしているとき


いろいろな時間・空間の使い方があると思います。正直答えはないと思います。ケースバイケースで片付けられる気もします。

最近、怖いなと思うようになりました。だって、居心地がいい部屋でずっと過ごしていて、ふと外に出ると世界が様変わりしている可能性もあるんだって。

小学校のころはその地区の同年代の友人と上下の年代の友人、その親たち、ご近所さん、親戚の人と半径10kmぐらいの空間で過ごし、テレビ越しにいろいろな世界を見られるものの、あまり実感は湧かず。

中学生のころは他の地区も混ざり、電車で行動するようになって、大分遠くまで行けるようにはなるが、関わる人たちはあまり変わらず。

高校生のころは中学生と大差ないけど、大学進学などを考えて、塾に行き始めるなど自主性が芽生え、そこで新たな出会いがあり、徐々に環境と関わる人に変化があることを覚え。

大学生のころは自分の行動次第で一気に環境と関わる人が変わることを体感し、しかも行動すればするほど世界が深くなるので、見えないものが見えてくる。

社会人は言わずもがな。自分次第でなんでも見れる、感じれる、生きれる。


動くことでいろいろな世界が見えてきて、さらなる世界も見えてきて、自分が目指したいところも明確になったり、明確になったと思いきや全然違う世界を見せつけられて、不明確になったり、その中で自分の安らぎの場所と感覚も変わる。

ただ、変わり続けている中でも徐々に良い方向に近づいてきている気がする。それこそ軌道修正して最終的なところに落ち着くのかもしれない。


何れにせよ、Comfortable Zoneにいすぎると自分が自分ではなくなる気もする。自分は行動して変わって、その中で生きている実感を感じてきたのでその心地良さと心地悪さのバランスをとって、うえっ・・・ってなるような体験も通して、昨日を越えていきたいと思います。

引越しでもするか・・・

以上

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