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逆さに読んでもトマト;R2- 8-28, Fri.

昨夜、川向こうのドケチ娘が夜行バスでKBに向かった。 その日の夕刻、予めKBの娘に頼まれていたバイク用U字ロック(重テー!)を出発前の荷物に入れてもらった。

さて、 夕飯をどうすんべー、となったが、、、外食だと車の出し入れが 面倒だからと、残り物で何か作ることとした。私は、先日パック入りのカットトマトがあるだろうから、そう提案したところ、「もう使っちゃった、、、、」。あるのは、ミニトマトだけ、、、、。

かくしてして、パスタでなく素麺に決定。冷蔵庫内の残り物を見ると、ナス、小松菜、タマネギないけどネギは半分あり。あと野菜ジュースにケチャップあるが、ケチャップは変な甘みがあるから素麺には使えない。味醂もお酒も切れている。なぜかゴマダレのドレッシングが残っていて、ゴマ油もあるし、ウースターソースもある。

あれこれ、思案しているうちに料理嫌いの娘はさっさとシャワーを浴びるからと自分のことしか考えない。

ともかく、40分で調理と食事・後片付けだから、時間配分を計算する。 鍋をふたつ取り出して、片方に水を入れてすぐに点火する。味付けスパイスは、塩と、ショウガに幸い一味唐辛子あり。野菜を火の通りが均等となるように切り、二枚だけ残っていたロースハムも粗く千切り。ツナ缶もあるようだが、油がくどくなるし、どこにあるのか探すのが面倒で止めた。

左右のガスコンロ、どっちの火力が強いか忘れたけど、浅い鍋にオリーブ油を少し垂らし、面倒だから千切り素材をネギ以外全部入れて、塩と唐辛子をまぶす。ちょうどお湯の温度が上がるころ、麺を順次入れてさっとほぐし、水切り金網と流しのボウルに水を貯めておく。

具の鍋に火が通ったころに、水を少し入れて蓋をして蒸し焼き。ちょうどそのころに、麺がふわーっと浮いてくるので、箸の感触で火を止める。同時に具の味見をして、甘み用に野菜ジュースとウースターソースを入れて味が馴染んだらすぐ切り、蓋を取る。そして水道を全開にして、麺を金網に流しいれ、素早く熱を取る。氷があればいいのだが、そんなシャレたものなさそうだから、さっと水切りしてお皿に分けた。仕上げのゴマ油は香りづけで、全て一発の味付けで、結構美味い。見栄えがちょっと悪いから、ミニトマトを2-3個並べて、私が金網や鍋二つを洗っている頃に、娘がちゃっかりテーブルに座りパクついている。

本当は、普通サイズのトマト、今が旬の冷えたトマトがあれば最高だった。

♬ トマトってカワイイ名前だね
  上から読んでも トマト 下から読んでも トマト


♬ トマトって なかなかオシャレだね
  小さい頃は青(緑)で、大きく育つと赤くなる

童謡の「トマト」。

このところ、昔の記憶が蘇るのは ニンチショウのBPSD(いわゆる、臭変ショージョー)かもしれない。

私がガキの頃のトマトは 臭くてとても食べることなど出来なかった。あんな不味いもの、それを生で食べるなんて信じられなかった。消毒薬みたいな強烈な臭いは、小学生の私が背負い籠を担がされて、宮浦(お宮の裏にあるから)の畑に行くとき、嫌でもトマト路地栽培の脇を通っていたから、「負の記憶」は、ずっと根強く残っていた。

そして、馬齢を重ねて気がついたら、トマト、特に「アメーラ・トマト」は別格だが、普通のスーパーに出回る大玉トマトさえも、美味しく感じるようになった。ドレッシングの如き、野蛮な味付け一切しない。冷えたトマトを食べる、

生は勿論、酸味がもし強ければ、さっとソテー、あるいはシチューやカレーに入れてもいい。つまり、万能の夏の野菜とさえ思へる。

さて、そのTomato について歴史を調べてみると、WiKIはまるで例のごとく役立たない。

あれこれ検索したが、「トマト・ケチャップ」の項で参考にできるもの見つけた;http://kamanasi4321.livedoor.blog/archives/1365376.html

以下、こっそり引用、一部編集。

>>トマトの原産地は南米のアンデス山中のペルーあたりといわれている。インカ帝国を滅したスペイン人はトウモロコシ・トウガラシ・ジャガイモなど南米の重要な産物をヨーロッパに伝えたが(このこと以外にスペイン人は国外でロクなことをしていない、同感、同感!)、トマトはその中でもたいへん大切なものである。


>> しかし、伝来の初期は毒があるといわれて、観賞用としてもてはやされた。 初めてトマトを食べた勇気ある人はオランダのトドエンスという薬草学者で1583年のことだという。

ちなみに、1583年は、本能寺の変の翌年、天正 11 年で、秀吉と勝家の衝突(賤ケ岳の戦い)があった年。https://www.pahoo.org/culture/numbers/year/j1583-jp.shtm

>> トドエンスは塩・コショウ・油で料理したということだ。こんにちこれほど世界的に食べられているトマトも、その食用の歴史はわずか四〇〇年のことなのである。しかも、ヨーロッパで一般に食べられるようになったのは、ずっと時代が降ってからのことだ。

>>
 トマトの食用の普及に功績のあったのはなんといってもイタリア人で、どうしてか知らないが、イタリア人はほとんどすべての料理にトマトを入れるようになった。トマトを使うと必然的に料理はトマトの甘酸っぱい味になる。かくてすべてのイタリア料理がトマトの赤い色に染められることになる。

<中略>

>> トマトが日本の記録に登場するのは
貝原益軒の『大和本草』という本で、宝永五(一七〇八)年の刊だという。しかし、これもたぶん観賞用で、食用としての記載は明治五年の『西洋料理通』(仮名垣魯文編)あたりが最初らしい。この本には「蒸赤茄子(むしあかなす)の製法」が載っている。トマトはナスとの連想から「赤茄子」「赤茄」「蕃茄」などとよばれた。トマトの風味は日本人にはなじみにくかったらしく、なかなか普及せず、大正の初めごろ、農学校の生徒でさえ、トマトを自分で栽培しても、半分食べる人はすくなかったという。

当時、口に合わなかったTomato 「当然のこととして」は品種改良の対象となる。こうして、ヘンクツな私も、生でトマトが食べられる時代となった、ありがたや、ああトメート様 ありがたや

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