クイをうつ;R2-11-27, Fri. free

気の緩み、身体に現われる。モソモソ起きると既に5時半、、ラジオを聞きながらトースト、朝飯の準備

もう6時になった、 ニュースはシュッサン意気地一時金の引き上げ云々から始まる。  暫し沈黙、、、

セージカさんは、人様のカネだから誰それのためと称し、湯水のごとく大判振る舞いを繰り返す。  アホらしくなってコーヒーを淹れる。公費でない、念のため。そして、野菜果物などクイ始める、、、


ショーシカ対策が叫ばれて久しい。 既に40年ほど前から指摘されているのに、烏合の衆は何ら有効な対策をとれなかった 

Stupid,,  トラちゃんならこう呟くだろう。

オエライサンは、自分のことしか考えない。どうやら立場上、それらしきパーフォーマンスとして ”その場しのぎの手段”を繰り返してきた。

つい最近のこと。 我が国にダイホンエーといふ組織があった頃、全国から俊英が弛緩ガッコーで勉学を重ねて、そのトップエリートがサンボーとして取り仕切った。とそのように数多の資料が示している。

そのエリート集団は何をしてきたのか。複数の前線現場からの情報を把握して、”しかるべき”指示を発するのだろうが、どこにもあるセージ的思惑から、軋轢を繰り返し、夥しい犠牲を強いる結果となった。

敗戦を終戦といふ”挿げ替え”は、 「民主主義」と「ポピュラリズム」の区別さえ曖昧化させた。 

そもそも、モソモソ 「民主主義」といふ厄介極まらない手段は 単にalternative が無いからだけであって、極めて不安定であることには変わりない。 されど、実態不明のものは、判らないからこそ崇め奉ることになる。

「ポピュラリズム」は、電気紙芝居たるテレビや悠tubeのごとく、私みたいな愚かなる人々をして、『おだて豚』にしてきた。 福島県オリジンとされる「豚も煽(おだ)てりゃ、、、」は、本来の意味は教育現場などでもかなり有効らしいが、いろーーな人がいることを忘れてはならない。

前置きが長くなったので、本題に戻る; あっといふ間にラジオ体操に時間で、ゴキゴキ誤記誤記の身体を無理やり動かす、、、 そう、笑止? 少子化対策のこと。

私みたいな ス〇ベニンゲンにはどうもよくわからない。ヒトも人も、数十万年を生きながらえた悠久の歴史がある。 平和ボケでヌクヌク生活が長期化すると、直ぐにジョセーキンが登場するようになった。

人として生きるのが人生といふのなら、心と生きる「性」「さが」はコインのようにどちらが表にも裏にもなりうる。ダイバースティといったカタカナ言葉が闊歩し、少数派と呼ばれていた人々の主張もあるかもしれないが、より多くのサイレント・マジョリティーはどう考えているのだろうか。

おカネは 確かに重要なポイントかもしれない。けれども、何故結婚出産子育てといった、いわゆる伝統的基盤が揺らいできたのか、その対策すら蔑(ないがし)ろにする愚策に走ってしるのか? 

多様化し 愚弄バルかしつつある現在、

軟弱な地盤に、もし家を建てるといったなら、先ず何をすべきなのか?  礎石の下に必要な杭を打ち込む。 失われた30年、40年。オエライサンは地面の上しか見てこなかった、今も昔も。 悔いのないように??

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