科挙としての医学部入試と徴兵制としての医学部入試

医学部人気が落ちてきたとは言われるものの、依然として他学部と比べると医学部は明らかに偏差値が高く難関と言って良いだろう。

しかしながら、一昔前までと異なる点として、医学部入試の質が変わってきた。

20年前とかだと少なくとも国公立医学部においてはどこの大学も入学には学力が最重要であり、大学の違いにより入る学生の偏差値が輪切りで異なっていたが学生の気質という点ではどこも似たようなものであろう。

最近だと大学により志願者に求められる方向性に違いが出始めており、今回の記事ではそちらについて考察をしていく。

なお、私立医学部については学費の違いにより入学する学生の性質が異なってくると考えられ、話をシンプルに展開していくために、これから先は国公立医学部のみを想定して語っていく。


医師免許獲得のために全国行脚をする受験生たち

少し歴史的な話をしよう。

かつて医学部は全国の都道府県には存在せず、旧帝大や旧六医大などの限られた地域にしか存在しなかった。

その後、新八医大も作られたが、ここにおいて重要なのは、そもそも医療は全国民が等しく受けられるというものではなかったということだ。

戦後、国民皆保険制度ができて高度経済成長期を経ることで、誰しもが安価に医療を受けられるという状況になった。

そうなってくるとかつての医大だけでは全国をカバーしきれず、ほぼ全ての都道府県に国公立大の医学部が作られることとなった。

インフラとしての医療が日本で始めて実現したと言っても良く、この流れは現在の医学部入試に至るまで重要なポイントであるためここはぜひ頭に入れた上で読み進めていってもらいたい。

この頃に医学部に入る学生というと、医者家系出身者や地元の優秀な学生であった。

しかし、バブル崩壊をきっかけに医学部に入学する学生の層も変容していく。

バブル崩壊直後のサラリーマンの待遇が悪化したわけだが、それ以上に悲惨な目に遭ったのはいわゆる氷河期世代であり、彼らはサラリーマンにすらなれなかった者も多い。

日本の解雇規制では、企業の業績が悪化したとしても既存の従業員を解雇したり減給するのは難易度が高く、新規雇用を絞ることをまず要求される。

その煽りを受けたのがまさに氷河期世代であり、当時は転職市場も整備されておらず、新卒チケットを失えば詰みという状況であった。

その大惨事を目撃した下の世代はこぞって医学部に殺到するようになった。

しかし、地方ならともかく首都圏の膨大な数の学生を受け入れるだけのキャパシティを国公立医学部は持たない。

東京都だと、東大と医科歯科のたった2つしか存在しないが人口比からすると明らかに低い。

千葉県や神奈川県は地方と比べると倍以上の人口を持つ他の都道府県と同様に1つの国公立医学部しかない。

こうなると都市部の国公立医学部の難易度はとんでもなく高騰していき、民間就職を狙うよりもどこの都道府県でも良いから国公立医学部に入りたいという受験生が増えていく。

駿台の偏差値表や募集要項に載っている各科目の配点を鉛筆舐め舐めしながらどこか引っかかるところはないかと探すようになったわけである。

東大理一理二と国公立の各大学医学部の偏差値ボーダーでいわば戦闘力を測ろうとする医学部東大換算という最悪のネットミームの原型が作られたのもこの頃であった。

そうなると当然、都心から優秀な学生が地方医学部に流れてきて地元の優秀な学生は医学部に入りにくくなってしまう。

若手医師の流動性に拍車をかけた初期臨床研修制度

医学部東大換算が生まれようとしている頃、研修医に関わる仕組みも大きく変わった。

かつては医学部を卒業すると、ある専門の科に進んでそのことばかりをしていた。

第二内科などのようにある程度大きなくくりは存在して複数の領域を学んでいくということはあったものの、基本的に専門家を養成しようという根っこは変わりない。

ただ、それだと専門家ばかりになって、全体を把握するジェネラリストがいなくなるという問題が指摘され、初期臨床研修制度が始まった。

卒業してすぐ専門の科に進むのではなく、最初に2年間様々な科をローテーションしていき、その後に整形外科や精神科などの専門の科に進んでいくという流れであった。

この時に大学病院の医局が持つ人事権の力が大幅に低下して、医学部を卒業した研修医は自分の働きたい場所を自由に選びやすくなった。

かつては、お上に行けと言われたらそこに行くしかなかったのが選択肢を持てるようになったわけである。

医師偏在とそれに対する対策

都心から地方医学部への学生流入と初期臨床研修の合せ技によって、地方医学部の卒業生が都心の病院に殺到するようになってしまった。

地方出身者でも都会に対する憧れを持つことはあるものの、都心出身者と比べると地元に定着をしやすい。

高齢者の割合は地方ほど高いため医療に対する需要は大きいにも関わらず、そのニーズを満たせるだけの医者を地方は確保できなくなった。

そうなると高給で医者を引き留めようとする動きが起こり、この頃から地方と都心の医者の稼ぎの格差が拡大していった。

それでも都心への流出は止められず、大学側はついに対策として地域枠を導入した。

これは一般の枠とは異なり、例えば9年間を指定した地域で働くことを義務付けられそれに紐づいた奨学金を貰えるというようなものであった。

以前から似たような制度は自治医科大学で存在したが、それを全国の医学部に展開していったわけである。

この地域枠に関しては賛否両論が多く、導入当初は契約内容があやふやだったこともあり、地域枠で入学したにも関わらず脱藩した若手医師が続出した。

さすがにまずいと思ったのかその抜け穴は塞がれたわけだが、それに対して職業選択の自由に反するのではないかと騒ぐ者も現れ始めた。

少し話は脱線するが、特定の地域じゃないと日本で医者をできないというのは職業選択の自由には反しない。

別に海外で医者として働くこともできるし、そもそもとして医学部を卒業したからといって必ずしも臨床医として働く必要はない。

中日ドラゴンズや西武ライオンズで働きたくないと言っているプロ野球選手と同レベルのワガママであろう。

地域枠に話を戻すと、初期は一般枠と地域枠の難易度も多少流動的であったが、2024年現在では評価も定まり地域枠のほうが明らかに学力が低くても入れるようになった。

地域枠を利用すれば旧センター試験で7割程度の学力しか持たない学生が国公立医学部に入れるようになったというのは、氷河期世代の惨状を目の当たりにして2000年代に医学部に入学した者にとっては信じがたいことであろう。

もちろん学力不足ではなく、その地域自体が好きだからとか、奨学金が欲しいからとか、そういった理由で地域枠に入る学生もいるが、ボーダーラインとしては明らかに低下した。

地域枠の定員は大学によっても異なるものの、地域枠は年々拡大していっている。

また、新専門医制度の導入も若手医師の流動性低下に繋がった。

建前としては、各専門領域の学会でバラバラに専門医が評価されており、一定の質を担保するために元締めで管理しましょうということである。

このついでに、若手医師を卒業大学の地域に縛り付けようという動きもあり、専門医資格取得に地域医療従事を義務化しようという議論も行われた。

そもそも専門性と地域医療というのは軸が全く異なるものであるが、そこを紐付けようとしているあたり、権力者の思惑は明白である。

新専門医制度により専門医資格を取ることのできる非大学病院の数は減少していき、大学病院の若手医師の定員もシーリングで厳しく制限されることになった。

医師の偏在は地域だけではなく科目間でも存在していたが、それを是正するためにも新専門医制度は利用された。

身も蓋もないが外科などの労働環境の悪い科が敬遠され、眼科や皮膚科などに若手医師が流れていった。

特に慶應大学など都心に存在してブランド力もある医局は大人気であったが、これも新専門医制度のシーリングで縛られるようになった。

定員が限られた中で誰を採用するかとなると、当然のこととして地方医学部出身者より慶應出身者のほうが優遇されやすい。

初期臨床研修が始まった頃のような自由さはなくなり、その地域で働きたいのならその地域の医学部に入らなければならないというのがこれからのトレンドである。

民間就職の復権と医学部バブルの終焉

バブル崩壊、氷河期、リーマンショック、東日本大震災と民間就職は冬の時代が続いたものの2010年代半ばから景気が良くなり、民間企業での労働環境や給料が改善していった。

新卒の就活もイージーモードになり転職市場も活発となった。

昭和末期から平成初期に生まれた世代は新卒就活はハードモードであり、東大理一など非医学部に入学したが将来を悲観して医学部再受験をする者が数多くいた。

結果として、この世代は医学部に入学しなかったとしても、転職で救われたため新卒の数年間を食いしばれば救われたわけである。

なお、氷河期世代は年齢がネックとなり救いの手を差し伸べる者はいない。

このように氷河期世代以外は民間企業でそれなりの待遇を得られるようになり、バブルのように高騰した医学部の偏差値も多少落ち着きを見せるようになった。

が、本来は医者になりたい者が医学部に入るというのが筋であり、民間就職が悲惨だから仕方なく医学部に入るという2000年代のほうがどう考えても異常である。

医師免許は以前として日本最強の業務独占資格として人気であるが、高偏差値の高校生にとってかつては医学部しか選択肢がなかったのに対して現在では他の選択肢もあると言って良いだろう。

そして、そうなると医学部かそれ以外かよりも「どこで働いてどこで生活をするか」ということのほうが価値を持つようになる。

先述したように、今では地方の医学部を卒業してから東京などの都心で働くことが以前より難しくなった。

そのためか、地域枠の増加により一般枠の定員が減っているにも関わらず、地方医学部のボーダー偏差値が落ちてきている。

都市部の医学部のボーダーも一時期よりは下がっているが地方ほどは落ちておらず依然として難関と言えよう。

医学部以外に目を向けてもこの流れは顕著であり、東大が圧倒的な難易度を誇り他の旧帝大との入学難易度の差が年々拡大していっている。

これは東京で中学受験が過熱して東京の高校生の学力が全体的に底上げされたという面もあるだろうが、いずれにせよ東京一極集中はより顕著になっている。

民間就職の復活に伴い、都会で働けるのなら医師免許は欲しいけど田舎に長い間いないといけないのなら別になくてもいいや、という高偏差値の高校生が増えているのではなかろうか。

都心の国公立医の入試は科挙でしかない

地域枠や推薦など新たな医学部入試制度が出てきたとはいえ、都心の国公立医学部の難易度は一般入試としてはトップクラスの難易度を誇る。

しかし、それだけの難関を突破したからといって臨床医や研究者として優秀かというとまた話が違ってくる。

頭の回転の速さや記憶力の良さは仕事をする上で重要ではあるものの、一部の難関医学部は明らかにオーバースペックである。

2000年代には秀才が医学部に殺到したが、理工系ではなく医学部に秀才が偏ったというのは国家全体として見れば損失でしかない。

無論、医療制度を運用していく上で医師は必須であるが、オーバースペックの学生たちが競争して席取りゲームに励むのは不毛としか表現ができない。

当時は民間就職が悲惨な状況だったため仕方ないと言われればそれまでだが、受験生が医学部に殺到したため科挙のようになってしまった。

地方の国公立医は徴兵制と化していく

地域枠には触れてきたが、医学部の推薦入試も徐々に拡大している傾向にありその点についても語らなければならない。

2024年現在で推薦入試に最も勢力的なのは筑波大学であり、なんと定員の半分をも推薦入試が占めている。

https://ac.tsukuba.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2024/07/e2d2df50108de5c28662011035f7e046.pdf

こちらは2025年度の募集要項であり、医学類(※筑波大学は医学部医学科ではない)のアドミッション・ポリシーをそのままこちらに引用する。

求める人材として「自然科学,語学等の十分な基礎学力と豊かな創造性,探求心を有し,高い倫理観,協調性,コミュニケーション能力を持って,生涯にわたり人類の健康と福祉に貢献する強い意志を持つ人材を求めています。」となっている。

学力一辺倒ではなく、人類の健康と福祉に貢献する強い意志を持つことが重視されているわけである。

国民皆保険の本来の趣旨や医学部が生まれた当初の理念からすると当然のことではあるが、医学部は秀才が科挙で勝ち抜いて待遇を利確するためのものではなく、地域住民のインフラの一種だったわけであり、筑波大学の推薦入試のほうが本来の医学部の目的に適っていると言えよう。

都心の病院では勝手に医師が集まってくるから地域住民のインフラとなる医師を自前で養成する必要がないが、田舎になればなるほど都市部への医師流出は深刻な問題となっていく。

筑波大学のように推薦入試により地域医療に貢献してくれる学生を集めようとする動きは今後他の地域にも広がっていくだろうし、筑波よりもっと過疎化の激しい地域だと医学部入試は選別のために行われるのではなくいわば徴兵制のように適性を測るためのものになるのではなかろうか。

まとめ

依然として医学部は他の学部より難関ではあるが、日本という同じ国でありながら科挙としての医学部入試と徴兵制としての医学部入試の2つに分かれていくのではと予想している。

現状だと、まだ医学部側が学生を選ぶ立場にあるが、他業種と比較して医師の待遇が悪化した場合に、地域医療の志願兵がいなくなった場合に果たしてどうなるのだろうか。

人がそもそもいなければどんな素晴らしい制度があったとしても絵に描いた餅である。

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