本当に頭の良い人はそうじゃない人に合わせて話をするのは一応可能だが頭の悪い人は往々にして価値が低いため雑に扱われがち

頭が良い人が小難しいことを言っていると、「本当に頭の良い人はそうじゃない人にも合わせて話をできる」勢が湧いてきがちですが、それは事実の一面のみを捉えており、その一言で物事を片付けようとするあたり頭の悪さが滲み出ております。

できるかどうかとやるかどうかは全くの別問題であり、頭の良い人が頭の悪い人に合わせて話をしようとすると無駄な負荷がかかります。

皆さんそれぞれ歩くペースがありますが、そこから逸脱すると早くても遅くても疲れやすくなります。

時速1キロで歩いたとしても疲れが時速4キロと比べて1/4になるわけではなく、合計1キロの距離を歩いた時には時速1キロのほうがはるかに疲れます。

頭の良い人が頭の悪い人に合わせて話をする場合も脳内CPUのクロック数を適正値から落として回していかないといけないので小難しい話をするよりかえって疲れるわけです。

ここまで頭の良い悪いで雑な議論を行ってきましたが、頭のできは同じくらいでも持っている専門知識や情報量に非対称性があるケースも多々あります。

そうなった場合に、劣っている側がどのように扱われるかは相手の問題ではなく自分自身の問題となります。

劣っている側に価値があれば丁寧に説明してもらえるでしょうし、劣っている側に価値がなければ雑に扱われます。

料理や食材のことを全然知らない人がいたとして、一人3万円のコース料理であればお店の人に色々聞いたとしても答えてくれますが、ガストで同じことをやってもググレカスで終わります。

「虹は何で7色なの?」と自分の幼子に聞かれたら丁寧に答えようとする親であっても、そこらへんの通行人に聞かれても知らんがなとなります。

ということで、頭の良い人にまともに取り合ってもらおうとするなら、相手のクロック数についていけるよう自分も努力してコミュニケーションコストを下げるなり、お金や人間的魅力により自分自身の価値を上げていきましょう。

恨み言のように「本当に頭の良い人はそうじゃない人にもわかりやすく話をできる」と主張しちゃうのはクソダサいですよ。

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