前十字靭帯損傷の術後入院生活
どうも。前十字靭帯再建後、最近患側脚で片足スクワットができるようになり、回復も上向きで上機嫌の山小屋サンです。
今日も前回に引き続き、前十字靭帯再建手術についてのその続きを書こうと思います。
さて、点滴で麻酔が入れられた僕は気を失い、次の瞬間「山小屋さーん聞こえますかーー」と言われて「え?終わったの?」ってキョトンとしてしまった手術当日でありました。手術じたいはこのように体感では瞬間で終わったのですが・・・
なんだかめちゃくちゃ気持ちが悪い
僕の病院では朝8時から手術入室して、午後1時くらいに目覚めて部屋に戻るというスケジュールで、まあけっこうしっかり時間をかけて手術するタイプかもしれません。
さて、看護師さんたちに廊下をガラガラと忙しくキャスターベッドで動かされて病室に戻りました。腕には点滴、鼻には酸素チューブ、そして下半身は巨大な装具、そしてお約束のオムツと尿道カテーテルです・・・(入院前の持ち物リストに「おむつ」と書いてあったのでおそるおそる看護師さんに「これは・・・?」と聞いたら、「あー、山小屋さんは普段ご使用でないのでお持ちいただかなくて大丈夫です。ただ、術後はオムツ姿になってると思います」とのことでした)
枕元にビニール袋に入って置かれた自分のパンツを見ながら、あー、とうとう手術されたんだなーと感慨ひとしおでした。
尿道の異物感で尿意みたいなものが常にあるのにオシッコにいかなくていいというこの感覚。どうにも慣れない。聞くところによるとない病院もあるみたい。早く抜けてほしい。
さて手術された膝はとりあえずすごく痛い。まるで寝返りなど無理。でも聞いてたような「地獄の苦しみ」というほどでもなく、まー、こんなもんか・・・と思っていました。
夕ご飯から食事してよいとのことで、よっしゃー回復には飯メシ!とテンションが上がったのですが・・・
さてご飯を前にして、なぜか気持ち悪くて食欲が湧かない。
いつも完食主義の僕が・・・情けない。結局半分しか食べられませんでした。このころから何かおかしい。
食後30分、お腹の奥底からこみ上げる感触・・・これは・・・ヤバいぞ!冷や汗をかきながらどうすればいいか逡巡したのもほんの束の間で、僕は激しく嘔吐していました。足の激痛と巨大な装具で動きが取れず、ナースコールももちろん間に合わず、状態を動かしてベッドの外の床面に吐くのが精一杯でした。こういう時、ベッドの中に吐かれるのと外に吐かれるのでは看護側としてはどっちが楽なもんなの?げろまみれの顔でナースコール。ほんと申し訳ございません・・・
僕はほとんどのACL手術で使われる点滴で入れる痛み止めを投与されてましたが、この点滴はけっこう吐き気が出ることがあります。たぶん、痛みに強い手術怖くない系の人でも、この吐き気が来るとなんともならんと思います。悪いことは言わないから、ACL再建術を受ける人は手の届く範囲にゴミバケツをゲロ用に寄せとくんだぞ。おじさんとの約束だ。
術後
「うーーん、吐き気が強いようですね。ちょっと痛み止め止めましょうか」
え?止めるの?みんな地獄の痛みとか言ってるけど大丈夫なの?
結果、少しは痛みが増したけれど、次の朝からご飯は俄然美味しくなり、トータルはるかにまし。山小屋、痛み止めいらずだったらしい(笑)
さて手術翌日、DRが術後説明に来た。
「山小屋サンの靭帯ね、直前の徒手検査で止まる感覚があったから、念のため関節鏡で良くみたら、やっぱり繋がってる風もありました。しかし損傷したケバケバ感もあって、ダメージで実用に支障を来してるのは確かなので予定通り再建としました」
なーるほど・・・ 疑ってごめんねゴッド。まあめんどくさいから健康な靭帯切られて再建されても許しちゃう気持ちだったけど(笑)
さて、手術直後の自分はこんな感じでした。
・術後2日は38度超えの熱。アイスバッグ必携。
・寝返りが打てず、特に腰が痛い
・便秘がひどい
・足は痛みはひどいもののギプス付きで持ち上げることはできた(翌日)
熱と腰の痛みについては、侵襲的な外科治療の後にはサイトカインの大量分泌で発熱するようで、腰の痛みも単に姿勢を制御されたコリというよりはインフルエンザの時の関節痛などと似た感じがしました。
足元では術後1日、血栓ができないようにストッキングした足を自動モミモミマシーンがずっとマッサージしてくれていました。便利なものがあるんですね。
便秘は大変で、日ごろ近所からいただく野菜を食いまくって便秘しらずの僕が術後5日間ほぼお通じがなく、たいへん苦しい思いをしました。看護師さんが謎の赤い錠剤をくれて、これを飲んだらすべての真実を知る?ということもなく、若干の便意もすぐに引っ込んでしまい、不発。恥を忍んで座薬をもらうも、不発。食物繊維パウダーをもらって食事にふりかけ、謎の赤い錠剤をもう一度飲むと、術後5日にしてようやく、ウサギのもののような栓が取れて(汚)悩みが解決しました。
そうそう、そもそもぜんぜん動かせない足を引っ提げて車いすでのトイレはなかなかの修行でしたよ。トイレも数日は看護師さんがついてきて車いすの操作の様子を確認していましたが、そのあとはフリーになりました。
リハビリのほう
術後一週間は術創の消毒や術後感染がないか調べる血液検査をしたり、DAY4には久しぶりのお風呂に入れてもらったり(シャワーに行けるように足をビニールでくるんでもらって洗うのはセルフです)気づいたとき上半身だけ筋トレしたりしてゴロゴロして過ごしていました。あと、編み物したり(笑)
DAY7
先生がデカい硬式装具を外し、ステープルをいくつか除去。リハビリ開始。この日は5-110°まで可動域獲得。PT氏はけっこうイケイケでぐいぐいとやってくれて痛い。つま先をタッチして松葉杖歩行が許可。
DAY8 可動域5-115°
DAY9 可動域125°まで 残ってたステープルぜんぶ抜く
DAY10 特に記憶なし 外食がしたくてたまらなくなる
DAY11 膝セットの痛みが強まり少し自主リハビリお休み。PT氏もお休み。
DAY12 暑かったので病院内をあちこち遠足してセブンティーンアイスを自販機で買って食べる。後でゴッドから「あまり出歩かないように」と諭される。このあたりから松葉杖でけっこう階段昇降やってた。
DAY13 痛みが出てリハビリちょっと足踏み しかしPT氏から一転、ちょっと頑張りましょう宣言が出て、(伸びが悪い)ゴッドのお言葉にもめげずまた病棟の階段昇降に出かける
DAY14 可動域3度~140°まで 三分の一荷重許可。劇的に歩いてる感が出る。
DAY15 あまり記憶なし 確かリハビリなしで、明日の退院の準備
DAY16 最後のリハビリやって退院。膝の伸びがちょっと遅いらしい
退院には両親に迎えにきてもらいました。三分の一荷重許可されていたのでわりと松葉づえ歩行は自然で体感では自分で運転して帰れるくらいでした。
ちなみに、入院期間中は両親が4回、義父母が1回、姉夫婦が1回、ツッマがいっぱい、とわりとお見舞いがたくさんありまして。僕としては雪山にソロでイグルー泊とか余裕でできちゃう人間なのでもともと寂しいという感覚がかなり欠落していて、入院生活に心細さは全くありませんでした。むしろツッマのほうが家で一人にされたせいか、原因不明の胃痛に苦しめられ、見舞いに来るたびに自分がいかに辛いか恨み言を言う、というどっちが入院患者かわからない状態になっていました。
入院を振り返ってまとめ
・硬式装具はマジでデカい。かなりワイドな短パンを用意せよ
・便秘対策はしっかりしておけ。当日朝しっかり早起きして済ませろ 負債を減らしておけ
・術後数日で病院のコインランドリーで洗濯できるようになる
・病院のご飯はそこそこ美味しい(個人の感想です)
・数日は着替えも介助が必要だが、なんとかなる
・病室Wifiは全然問題ない。Twitter廃人に気を付けよう
・談話室のマンガは読み切って足りなくなる
・しっかり準備すれば補給などサポートなしでも入院生活は可能
・術後はゲロバケツを用意しておけ(再掲)
・自主トレはサボりがちだった(でもそもそも主治医はとにかく安静にしてろ、というスタンスだった)
・仕事はわりと普通に復帰でき、僕がいなくて困ったことは特になかったみたい(笑)
まあ、まとめると、なんとかなるから手術が必要なら躊躇せずに踏み出してね!ということです。もっとも、本当になんとかなってるかどうかは退院後にちゃんとやれるかどうかなんですけれど、その話はまたおいおい。
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