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前十字靭帯損傷 (疑惑の)入院手術

どうも。夏休みが終わってしまい放心状態ながら、気を取り直して最近ではわらじを編んで初めての沢デビューなどして、その意外な楽しさに年甲斐もなく一人ではしゃいでるアラフォー山おじさんの山小屋サンです。

 今シーズン、スキーによる前十字靭帯損傷で首尾よく冬シーズンを棒に振った話を今まで書いてきまして、MRI診断まで書きましたが今日もその続きを書こうと思います。

さて、膝になんとなく違和感を感じているけど、結局病院にいかずにだらだらと活動を続けているスノーヤーってけっこういらっしゃるんではないでしょうか。たぶん断裂しているけど手術に踏み切らず温存している人も僕の周りにも実際にいますし。
ACLの再建は確かに、気軽に取り組みづらいものです。実際僕もいま術後4か月を経過したところですが、リハビリで山に登ってはいるものの、しばしば数ピッチのクライミング含めて一日1500メートルとか登ったりしていたのがまだハイキングで1000メートル未満ですし、集中を要するクライミングなどに関してもまだ50%も行かない復帰度ではないでしょうか。自分的にはセーブしているのですがこれでもお医者さん的にはあまり推奨できない攻め方のようにも思われます。
マジメに山に登っているような人ならばだいたいは妙な不快耐性が強いので、「痛いのは嫌だ!」というような人は少ないと思いますが、それよりもなによりも数か月も活動から離れなければならないことのほうが耐えがたくて受診が遅れる、というようなことはあるのではないでしょうか。
また、現実的な問題として仕事を長期に離脱しなければならないとなるとどうしても躊躇してしまう方も多いのではないでしょうか。実際、ACL再建の体験を書いているSNSには、仕事を退職した、なんて話もちらほら・・・

それぞれの置かれた状況で千差万別なので一概には言えませんが、三度の飯より好きな山岳・スキー活動と自分の食い扶持を賭して臨む?となればこれは大事業で、気軽に決められないのがACL再建、ということなのです。

 ただ、僕自身は自分の置かれた状況の幸運もありましたが意外と大きな困難なく手術とその後の回復に向き合うことができていると感じます。今回以降は悩める再建前ニキたちの参考になるように、入院手術の実際について書いていこうと思います。そして、タイトルの「疑惑の」とはいったい?


さあ入院準備だ

 だいたい難しい山スキーに出かけるときもそうですが、行くか行かないか悩んでる時が一番困難で出発さえしてしまえば案外ものごとはサクサク進んでいくもの。
 手術2週間前の事前説明に両親に同席してもらい、着替えなどお買い物をしたりしていきます。

入院着のセットなどは迷いましたが、結局頼まないことにしました。家にある下着や短パンをいっぱい持って、いざとなったら病院で使い捨てにしてしまうつもりでいました。(ちなみに短パンは装具を着けたらどれも入らず後に困ったことになります)

標準的な入院期間は3週間ということで、職場にもお願いをしておきます。詳しいことは伏せますが、僕の仕事は肉体労働ではないものの、自分の担当業務はわりとはっきりしており僕が抜けるとはっきりと穴が開いてしまいます。ただ資料類と業務説明を残しておけば一応の日常業務は他の人でも回せる類のものです。ただ、定期的な企画ものの計画準備などは休んだ分だけ溜まっていくだけで減ることはないので復帰してから頑張らないといけません・・・GWを挟んで勤務日として16日、休日も含めれば27日の休暇を申請しました。(可能ならもう少し早く復帰するつもりでして、実際には勤務日にして11日、休日含め20日の休暇で復帰しました。)

考えてみれば2か月とか3か月とかもっとまとまった休みをとれないか相談してみて代替臨時職員でも雇ってもらう、ということも労働者の権利としては可能だったのかもしれないのですが、当時の僕にはそのような考えは最初から完全に抜け落ちていました。山屋のリスク許容閾値高過ぎ傾向の悪い癖かもしれませんが、「まあダグ・スコットだって両足を折っても自力下山したんだし、車いすで働いてる人もおるもんね・・・」と謎の闘志を見せ、早期復職を試みることに。(だいたいこういう時は後から考えるとあまり深く考えていない)

入院前の最後の週は、草津温泉に旅行に行って温泉まんじゅうとか食べてゴロゴロして過ごし、もうすぐ人生初めての入院が始まるとは思えない穏やかな日々でした。

手術前日 入院


病院に行く荷物は60リットルに達した。どう見てもクライミング遠征である

2024年の4月も下旬に入ったころ、僕は手術入院のため病院の門をくぐりました。手術日は受傷から3か月の前日。ここまであんまりマジメでもなかったものの、術前リハビリで手術に備えてきました。
手術前の説明を聞いて、下肢の筋力測定。下腿の引き出し力がかからないマシーンに乗って、久しぶりに患側脚も全力発揮。伸展力は健患側それぞれ90/70kgf 僕は体重67キロあるのでもうちょっと数値出したかったけれど、おっかなびっくりのリハビリでこのくらいなら御の字でしょう。でもネットの世界ではほとんど健患差のないツワモノもゴロゴロいるのでちょっとへこみます。

 この日までのリハビリは足の曲げ伸ばしの可動域獲得とスクワット/ランジウォークといった素朴な筋トレです。可動域は140°~-ちょっとまで獲得されていたので十分といえば十分でしたが、おしりと踵の間の空間がこぶし一個半ほど残っている状態で止まっていて、それをさらに力を入れて曲げていいものか逡巡しているうちに手術1週間前になってしまい、どこかのネット情報で、「正座できる状態にしておいたほうがいい」と書かれているのを見て、まあやってみるか!と今更ながら思い立ち、少し今までより攻めた強度でまげて見ましたら、たしかにさらに可動域は広がりました。なんだ。もっと早くやっておけば良かった・・・ただ、今まで稼働させてなかった範囲を突然やりだしたせいか、膝の曲げ伸ばしで今までなかったクリックが少し出ました。まあこれも可動域がなじんでくればなくなってくるでしょう。そんなこんなで、手術前日には踵-お尻がこぶし半分くらいにまでなって迎えることができました。

それから、これも手術前の週になって軽くジョグをしてみたところなんだか問題なく走れてしまい、ちょっと疑問がわいたことも覚えています。これって本当に靭帯が切れてるんだろうか? ←この疑念、実はそう的外れでもなかったことがあとあと・・・

お昼は病室で病院食。500キロカロリーの控えめなご飯でちょっと足りなかったので、持ってきた魚肉ソーセージなども食べ、あとはのんびりと過ごしました。ここから手術が終わるまで、とうぶん断食となります。

病室はいちばんエコノミーなタイプにしましたが、カーテンでしっかり仕切られていて、周囲も静かな患者さんたちばかりだったのでまったくストレスなく過ごせました。ふだんテントで泊まったり、家でも寝ている時に犬にイタズラされたりして落ち着かない夜を過ごしているので、むしろ普段より快適かも・・・この後の入院生活も、過ごし心地は極めて良好で楽しくお気楽な入院生活を送らせてもらいました。懸垂バーやワットバイク、自炊キッチンがあればもう少し長く入院していたかったくらいです(笑)
仕事もこれから3週間くらいは忘れていていいかと思うと、明日から運命の大手術(?)だというのに社会人になって初めてと言っていい解放感を味わってさえいました。

さて病室にゴッドハンドが表れ、「では山小屋さん、明日が手術です。ちょっと膝の様子を見ますね」と言っていそいそとラックマンテストを。正直、膝の感覚は受傷後からずっとおかしく、細かい違いのわからない僕は、はいはいどーぞ、とまな板の鯉でいたのですが、なんとゴッド、首をかしげている。「なんだか止まってる気もするけど・・・まあ、日常に支障はあるんですよね?」
な・なにい?いまさら?
たしかにMRIの時も、僕の見る限りではいかにも「切れてる」画像コマが今一つなく、実は僕もあんまりわからずいたのですが・・・
手術前日にしていまさらの「ACLつながってるんじゃないか疑惑」僕もちょっと頭を抱えましたが、まあ常に違和感はあるし、受傷3か月経ってるけどこの足でスキーとかいまだに考えられない。そして何より、僕はけっこうめんどくさがりで流される性格なので、しょせん専門家でもなく考えてもわからない僕が今更、「やっぱりやめときます!セカンドオピニオン!」などと行動を起こすメリットもないような気がして、もう先生にお任せすることにしました。

実際のところ、ACLに限らず整形外科分野ではレントゲンやMRIといった画像所見と実際の症状や本人の不具合感が一致しないことが多々あり、かならずしも客観的な要素だけで治療方針が決められるわけではないようです。手術前にきて不安要素を突き付けられることになりましたが、もともとのちょっといい加減な性格もあり、気が付くと眠りについていました。

さあ手術だよ 詳しくは次回

さて眠れぬ夜を過ごし・・・ということもなく熟睡して、手術の朝を迎えました。あさイチの手術ということで、すぐに手術着に着替えてついでに朝シャワーまで浴び、準備はばっちりです。僕は緊張すると便秘気味のため、朝の定期便はなく・・・術後は案の定強烈な便秘に悩まされたのでせめてこの日お通じがあると良かったのですが。

看護師さんに呼ばれ、やや寒い手術室に運び込まれていきます。あー、いよいよ始まるのだな。「確認です。手術の場所はどこですか?」などと一通りのことを聞かれ、点滴をプスリと。「では眠くなるお薬を入れていきますね」と言われたので何秒耐えられるかなと思った瞬間、なんか鼻の粘膜に甘い香りの錯覚を覚えて・・・意識を失いました。秒です。経験者は皆口をそろえますがそれはもう見事なものです。

さて僕はどうなってしまうのでしょうか。実際には次の瞬間もう手術が終わって目覚めてガラガラと手術室から運び出されているところなのですが、それはまた次回にしときましょう。

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