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年越し

1月1日は正月めでたいがそれ以上に今年は暦上に吉日サインが3つ重なる大吉日となる模様だ。
一粒万倍日、甲寅、天赦日、元旦、と皆で集まり休めるシチュエーションで心穏やかに皆にとって良い日の要素が四つも重なるとは珍しい星回りであるようだ。
2月は天赦日はなく次は3月15日だ。
気まずい関係に有った人間関係があったら洗いざらい告白して天に赦してもらい、相手に謝って仲直りしたり、自分で、自分に厳しくして許せないと思っていることがあったら今日こそは自分に許可を出して、許してその裏に有る気持ちを自分で認めて気づきをえて修正出来るような日でもある。自分では天赦日って何かは詳しくはわからない。恩赦の赦だから代替わりの天皇が即位なされた際に刑務所に入っていた囚人がレベルに応じて赦されて、社会に解き放たれるという社会事象が起こったので一般庶民かなりの数の人員が赦されたので社会が混乱しやしないかと、気を揉んでいた側面があったようだったが、令和も六年になろうかというところだが、その様な事が、元で大事件に至ったりはしていないようではある。
その赦すという文字なので貴重な赦しの日である気がする。
天が赦すのであればどんな貴人でも天の一部が地球や自然、人間なのだから、自分で此れだけは許せないと思っている内容の事でも、許す外はない。天が許すのに自分は許さないってあるだろうか。自分という小さい存在はどうしたって広大な天には勝てない。天が釈すなら自分も許し許される自分になろうとするのが当然だ。
その様な日だと勝手に解釈しているので、ネクタイはしてないが首元をゆるめて、許し合う言葉をシュミレーションしておくと門が立たずに過ごせるのではないかと思う。言霊とは不思議なもので、許しや赦すのユルと、緩めるのユルは同じ音だ。眼筋も口輪筋も緩めて血流良く過ごした
い。
甲寅は六十日周期の第一日目で始まりの勢い良くスタートダッシュする気運に満ち溢れる日だ。初心に帰って地球上有る事の初志を再確認する日とも言える。これは自分の度を越したした考えかもしれなないが。甲子園球場の語源にもなっていることは有名だ。詳しくないので他にも意味があるかもしれない。
この2つを合わせると、一年間人間関係や自分に許せない不穏な空気が立ち込めた時も、思い出して、天に裁量をお任せすると俯瞰して、思い詰めずに済むかもしれない。本当にしたかった事をしていいと自分の忘れていた希望が蘇って、それをしていいと許可され、許可し、それをし始める事ができる流れに持っていける日で、あるかもしれず、それに対する決意を表明したならば、天からの追い風となる支援を得られる星回りではないのかと余り知らない私は楽天的に考えてよろこんでいる。
一粒万倍日は農事でひと粒の米の種である籾が、撒いて育てれば、やがて実って1万粒の米粒に実って、多くの人々の糧となるという事なので、愛を持って生命を育ててくれる地球の力に、感謝して、自分を成長させるべく善きに歩み続けるという種まき的な行動を取ると良い吉日ですよね。?違うかもしれない。
この3つを合わせると、しはじめようとしていることを、し始めて、良い結果を導き、それがどんな非日常的新しい事であっても天が赦す日、という事だろうか?
それを認めるなら意外に敵は自分かもしれない。皆がそうなった場合、快く受け入れ変化を歓びあえる柔軟性を゙持っていなくてはならない。
何時までも同じということはあり得ない。エネルギーは循環している。そのなかにある生命も変化できる能力を持っている。
それを妨げる意識は外部からくる恐怖や分断、他人の思想の影響にもある。言語や視覚聴覚からくる情報意外に、想像力からくる、現実や、皮膚感覚や、第六感的感覚的をはたらかせて、ネガティブな意識を、捨てて元旦を迎えたい。
人をコントロールしようとしても無理だ。自分でコントロール出来るのは自分の心身だけだ。考えて見ればあたり前だ自分の頭と繫がっているのは見た目には自分の心身だ。
しかしついつい人が自分の思い通りに動いてくれたら、考えてくれたら、と期待するところに無理が生じる。操り人形になるのは誰だって嫌だ。なので人に何かを頼む場所は丁重にしなければならないし、結果に対して十分認証を行いとならない。自分で、行った方が出来ることなら、気楽で早い場合が多い。なのでいつも自分を厳しく見つめて自分を変えていくことにしている。それが平和的方法で早いのだ。この方法で疲れすぎる時もあるが、人間関係に波風立てる事もない。休めば治るので、なかなかしてくれないっぽい人に頼みなかなかしてくれないとイライラするより、良い。気付いた事はできるから無意識的にきづいたのだから自分で行わせて頂く事が出来る事だ。喜んでなんでもないさせていただこうではないか。喜んでしている姿を見て自分してみたいと思ってくれたら、その時は本当の自分願いが叶うということだ。興味対象はそれぞれ違うので、不特定多数の誰かで良いではないか。
しかし例外もある。自分でした方が早くて楽だがそうしない方がいい場合も有るるようだ。
新聞にでていたのだが、認知力が低下ししまうのは歳と共にある程度仕方ないことではあるが、三世代など大家族に住んでいるご老人の方が、夫婦二人暮らしや、少人数の世帯にある場合の方が認知力が衰えにくいらしいという調査結果がでているという記事だった。
何故かというと、家事を自分でするからだ。そうかなるほど。大家族で居ると賑やかかしれないが、誰かが、上げ膳据え膳ゴミ出し掃除、してくれるだろう。最近は少子化だが孫がいればお茶も入れてくれてお風呂も沸かしてくれるかもしれない。そうすると好きな事してればいいが、結構、何を食べたいか、年代に寄って違い、個別の体調に寄って、大きく異なる筈だ。子供は沢山白米が必要だから、それに有った惣菜が必要だが、お年寄りだったら、ご飯はすこしでいい。後は、すきなものや、刺し身の方がいいかもしれない。
そのように買う食品を考えたり、作ったり、食して、結果を体調と共に観察して、つぎのメニュー計画に考慮したり、そういった事を丸投げにしてしまう場合も、やむを得ない場合を除いて、も有るかもしれない。
そうすると、メリットである点数を越して
デメリットが著しく生じてしまうということだとその記事は述べていた。
確かにそれは盲点だった。お互いの幸せの為にお互い出来ることは人にさせずに自分でし続ける行動パターンを何でも出来るうちから培って置くことは思いやりの心がなせる技であるのだ。
何でもしてあげる事がいい事ではない。する機会を適切に創ってあげて、取組むタスクを与える事は真の優しさとなるだろう。正月は準備に忙しく取組む事が多いので、チャレンジ出来る事も多い。
そのためには和食と掃除だ。珪素はじゃが芋、大麦、等に多く含まれている。最近は珪素を多く含んだ水が売り出されているのを見かける。珪素を意識的に取っている人は多いのではなかろうか。いっせつによると、珪素は石灰化した松果体を溶かして眉間にある第三の目を開かせる作用があるそうで分子構造で珪素がいくつか合わさったものがクリスタルだ。
なので白く固まっているというのは水道水の蛇口や温泉何かで良く見かけるが、クリスタルとは透明で光を通す。珪素にいては謎が多いが、研究されている。
このような良いイメージなので無性にじゃが芋や麦茶を飲みたくなるときがある。先日も雪山に見立ててタワーマッシュポテトのディルミックス、ひよこ豆埋めを、出した。天日塩と胡椒、ディルだけで味付けした、それは家族にも好評で勝る売れた。クリスマスケーキも出すので、こういったミネラル豊富で、クリームの吸収を抑えられそうな物品で中和したい考えだが、多分うまくいっていない。
食したものは必ず内部で分別され、善きに悪しきに影響を与えている。フランス人の遺伝子を持った老夫婦でクリームやチーズや肉を日常に沢山食べているのにめちゃ元気で日本にいる子供の家に旅行に来たり出来る人に注目している。
彼らは日本人の私から見れば驚異的だ。
長年牧畜で牛乳からはつくる乳製品やワイン小麦を取ってきた歴史を持つ彼らは生き残る為に代々ある食品から必要な栄養を取って、平気でいられるように、遺伝子が自ら返還したのかそうでないのかわからないが、アルコール不耐症で小麦が合わない私から見れば、違いに愕然とする。
日本人には海苔や若芽などの海藻を分解する酵素を持っているらしいが、驚異的な彼らの得意分野ではなく消化酵素を保っておらず得意ではない食物であるらしい。若芽や海苔の重量の四割はタンパク質である事は成分表示を見るとわかる。
日本人の常食で有ったアサリは縄文時代の貝塚をみれば分かる。国柄人柄によって食する得意も異なるのだから真似するのも程々にしなければ成らない。
じゃが芋は一時ロシアで主食にしようと国策を挙げられた時が有ったらしい。しかし野菜の中では多く農薬を使用しないと作れない野菜である事は知っている。なので食べ過ぎや皮ごと食べるのは選んだ方が良いがじゃが芋にはビタミンCも多くふくまれている。珪素も取れる。
皆さんが心安らかに新年のよろこびを分ち合って居心地良く過ごせることをお祈りします。








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