死ぬ権利

人間に生きる権利があるのになぜ死ぬ権利はないのだろうか?

日本では人間に死ぬ権利が認められないのが不思議でならない。私は生命維持装置をつけてまで生き続けたいとは思わないので、その旨尊厳死協会を通じて自分の意思は明確にしている。

最近気になるのは生命維持装置以前の状況である。認知症についていろいろ話題になる事が多くなってきているが、美しい話が多過ぎると思えてならない。認知症は単に物忘れが激しくなるというのとは全く異なり、いろいろなものが認知・認識できなくなる。家族が会いに来ても誰が来ているのかわからない。プレゼントにと良い香りのする石鹸をもらっても、それを石鹸と認識できず空腹であれば食べてしまう。そんな事が起こるようになるのだ。
家族がわからないようでは犬猫にも劣るように思えるがどうだろう。自分がそんな状況になっても生きたいかと問われれば答えは“否”である。

「人間が生きている」とはどう言う意味か? 尊厳とは何か? 幸せとは何か? 私には食事や排泄を世話してもらいながら、ただ生物として生きながらえる事に意味が見出せないし、そういう姿を子供や孫に見せたくないと思う。

植物人間状態や重度の認知症になるもっと手前の段階で、尊厳を持っている間に死ぬ権利が認められる世の中が来ることを切望する。