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「反省しなさい」封印の決意

『反省させると犯罪者になります』と言う本を読んでいます。

まだ途中なのは、読みながら中断して考え出してしまうため、なかなか進まないのです。でもしっかり言語化しておきたくてツイートしたのですが、連投しすぎてむしろまとまらなかったので、noteに記録しながら読むことにします。

まだ読書の途中であり、しっかりを読み込んで本の著者が伝えたいことを捉えられたと言う段階ではありません。あくまで、ここに記録したことは私が考えたことです。そのためにも、本からの引用はせず、本の要約的な部分は極力あっさりにとどめましたので、詳細な内容を知りたい方は、本を読んでいただくのがいいと思います。

反省を強要しても人はそう簡単には反省しない

著者は、大学教員をしながら刑務所において更生のためのプログラムを作って授業するなどの受刑者の更生支援を行なっていたと言う経歴の方です。
犯罪者の面接を繰り返しながら、著者は、犯罪者の心理を読み取り、分析し、更生に導いてきたそうです。そのようなご経験の中から、筆者が強く語るのは、

人は、故意であれ過失であれ、悪いことをしてしまった時はまず先に、後悔をするもので、被害者に対する謝罪の気持ちなどの反省は、すぐにはできない

と言うことです。

ところが、犯罪者の逮捕がメディアに取り上げられたとき、裁判のとき、犯罪者はまだ心の整理がついていないにも関わらず、犯罪者に「反省」を求め、「反省」していることが量刑にも影響しています。少年院では、反省の気持ちが生じた段階になる前に、反省文を書かせることが横行している。

その結果、どうなるか?

繰り返し犯罪を犯した犯罪者、少年ほど、反省をしたふりをする「反省の技術」が身につくだけなのです。

と説明されています。

当然、反省の技術だけ身につけても、本当に反省したわけではないので、また同じことを繰り返してしまい、更生されない、と著者自身の経験から衝撃のメッセージを記しています。

「反省しなさい!」と子を怒った心当たりが疼く

ふと自分を振り替えてみるとどうでしょう。

3歳の子供との毎日を振り返ってみると、ダメだと知っているはずのことを子供がしたとき、例えば、お友達を叩くとか、ご飯を粗末に扱うとか、そう言う時に、「なんでそんなことするの!ダメでしょう!反省しなさい!」と口走ったことがある気がします。少なくとも、絶対にないとは言い切れません。

あぁ・・・反省。
(この反省は、心からの反省のつもりだけど、本当に心からの反省なのだろうか?なんてことにも考えが巡る。)

私が、「反省しなさい!」と言うとしたら、悪いことだと知っているはずなのに子供がそれをした時など「反省すべき」と私が思う時なわけですが、この本を読みながら、いきなり「反省しなさい!」と怒ることは全く意味がなかったんだと気づきました。
また、あることを思い出しました。

それは、子供が以前、ご飯を落としてしまった時、
「ごめんね!じぶんでひろうよ!ママおこるからちゃんとひろわないとね!」
と言い、(もしかして私怒ってばかりなのかな・・)とズキっとしたことです。

これは、言葉にするのも苦しいけれど、私のやっていたことは、していいことや悪いことを理解させる「しつけ」ではなく、「怒る」と言う行為で娘を強制的に縛り行動させる悪行だったのかもしれない、と子供に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そう、まさに、「反省しなさい」と言ったところで、真の反省を促せていなかった、と言うことを身をもって実感しました。

「反省の技術」を身につけた先に想像した未来

子が悪いことをした時。
→反射的に、反省しなさい!と反省を強要する
→子が本当は反省していないのに、口先だけで反省の弁を述べる、
→それを見て、私は溜飲を下げる、
→それを見て、反省したふりしとけばいいのねと子が思う
を繰り返した先に想像したのは、親子間の信頼関係が希薄で、子供と心を通わせたコミュニケーションの取れない状態でした。

もちろん、最も身近な親と信頼関係を結べず、素直で正直なコミュニケーションを身につけられなかった子が、親以外となら信頼関係の構築も素直なコミュニケーションもできる、とは思えません。

そんな子供になってほしくない!
そんな親子関係になりたくない!
と強く思いました。

子が悪いことをしても「反省しなさい!」はやめる

とは言え、まだ3歳の娘。
こつこつと何故悪かったのかを説明してすぐに全部を理解できるとも思えませんし、そうたくさん長いことを記憶できていない子供に時間を置いてから「あのとき」の反省を促してもあまり効果がなさそうな気がします。

今後はどうしよう?

うーんうーんと考えて、立てた方針が1つ。

「悪いことをした時には、(声を荒げることなく極力冷静に)守るべきルールを伝える。」

お友達を叩いた時には「お友達は叩きません。あなたの手は、人を叩くためのものではありません」
食べ物を投げた時には「食べ物を投げません。食べ物は、投げるためのものではありません」
と言うように、「こら!反省!」と言うのはやめて、何故それをしてはいけないのか知っておくべきルールを声かけする。
前にも言ったことのあることであっても、繰り返し繰り返し、伝える。

「反省しなさい!」に意味がないのだとしたら、これを伝え続けるしかないよね、と言うのが本を読んだ直後の決意です。

ただ、お友達を叩いてしまった時は、その場で謝らせることはせざるを得ないと思うので、さすがにそう言う時は、その場で、「謝りなさい」と反省の弁を促してしまうと思うけれど。。
(お友達を傷つけた時の対処については、この本から、また別の考察を得たのですがそれはまた別にします)
少なくともそれ以外の場面では、「反省しなさい!」はやめよう。

ま、カッチーン!ときた時に、そんな冷静に対応できるかはわかりませんけど。

でも「その場での反省に意味はない」と言うことを知った今なら、できる、かもしれない。

だって、「反省の技術」だけが上手いような子にはなってほしくないよお母さんは。

どうなるでしょう。乞うご期待です!?


煽るようなタイトルはちょっと・・ですが、子育てするにあたり読んで良かった本の1つです。







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