2020年4月13日 雨の日のあいさつ。

はじめてnoteをやります。理由は簡単です。

かねてから、私と関わってくれている、少なくも温かい友人たちに、「りんちゃん、noteとかやれば?」と言われていたこと。

それから、その友人たちのnoteを見て、私もやってみたいなと思ったことの二点からです。

私は1998年に生まれました。多分長野オリンピックの年です。(時々、そのころからスキージャンプでオリンピックに出場していた葛西選手のことを考えて、びっくりすることがあります。)

それから22年経って、私はこの私の22年間をどうにか記録していたいと思うとともに、1998年のミレニアル世代として生まれた利点を多く活用したいと思ったのです。おそらく現代は、昔よりもきっと多くの人がこうやって自分の考えたことや価値観、体験したことを色んな媒体を通して、発信できるようになりました。

ひと昔、といっても千年も前は清少納言や和泉式部と言った身分の高い女しか出来なかったことを、今では誰しもが簡単に筆も、ペンも持たずにすることが出来るのです。

当然、誰かが誰かの内に秘めた価値観や体験、それによって考えたことを発信するときには、賛否や批判が伴います。しかし、私はそれですら、全うで当然な営みであると考えます。元来、人の一生は、その人にしか見えないものでした。(今もそうです。)その人の経験はその人にしか分からないものでした。その時に思ったこと、感情はその人の中にしか渦巻かず、他人にとっては想像を絶するものでした。

100人の人がいるのなら、人生も経験も感情も100通りあり、仮にその100人が全く同じものを見たとしても、その100人のバックグラウンドが違うために、そのものに対する感情や見解は、結局のところ同じくして、100通り存在するのです。

ですから私は、私以外の99人のすべての価値観と考えに興味があります。アフリカに行った友達に「アフリカはどうだった?」と訊くような興味と同様に、「あなたは何を見、聞き、考えた?」ということに興味があります。

それを知ると、私の中に、99人分の価値観の引き出しができます。それは決して、”私の価値観”ではないけれど、それはいわば私の中の感情の教科書のような役割を果たし、「こんな時にこんな感情になる人がいる。」と、想像力を掻き立てます。そして、その引き出しの中にはそれぞれ、99人分の経験と、さらにはその99人と私との思い出が入っていて、それは私の人生の中に末永く息づき、私をより、寛容で知識で溢れた人間にしてくれます。ありがたいことです。

その私がまた別の人と接することで、和が生まれ、それが間接的に、きっと後世に繋がっていきます。

とはいえ、私だけが人の価値観を知りたがってはいけません。人に開示を求める、もしくは期待する人間は、彼らが心を開示する前に、自分の心と価値観を開示しなくてはなりません。

ですので、私は、私の経験や考えをなるべく正直に、でも、多くの人が傷つかないように発信したいと思います。そうすることで、私以外の99人の皆さんと、私の記憶を共有したいと思います。

私も私以外の人々の考えに触れ、私の中の引き出しを増やしたいと思います。私は無力ですが、無力であるが故に、私を開示したいと思います。

興味がある方、是非ご覧ください。

4月13日、雨。





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