見出し画像

織姫は絶対に寝取られていない

このあいだ、俺は久しぶりに同人音声を購入した。

たまたまTwitterで回ってきた同人音声がかなり俺の琴線に触れたのだ。
意を決して購入したところ、サンプル音声で得た感動と寸分違わず俺の心を震わせた。

半年はこれだけ聴き続けるぞと思っていたが、ふとDLsiteを眺めていると、ランキング上位に気になるタイトルを見つけた。

「寝取られ報告音声」

「あなたの耳元で初体験の話を聞かせてくれる」

なるほど。
どうやら、主人公である俺はベッドで横になっており、彼女の前で寝たフリをしているらしい。
彼女は寝ているか寝ていないかわからない俺の耳元で、嘘か本当かわからない淫靡な初体験のエピソードを語ってくれる、らしい。

気になる。

俺は「寝取られ」というカテゴリーが嫌いだ。
嫌な気持ちになるからだ。
普段からステディな関係の男女しか興味がなかった。
俺は嫌な気持ちになるのが嫌いだ。
少し嘘だ。最近は「寝取られ」作品を鑑賞してもノーダメージだった。
ノーダメージが故にフックがなく、ならばステディな関係の男女の方が微笑ましくてよいと考えていた。

しかし、安かった。
ワンコインで買えてしまう。

ので、購入した。
安かったからだ。

真っ暗な子供部屋で目を閉じる。
モニターイヤホンをスマートフォンに接続する。
真っ暗な部屋でスマートフォンの画面だけが煌々と光る。
再生する。同人音声が始まる。俺は寝たフリをする。耳元で彼女が初体験の話をする。

俺は拍子抜けした。
あまりにリアリティがなかったからである。

彼女が話すには、どうやら初体験の相手は先生らしい。その先生のことが好きだから、どうにかして仲良くなりたかった。そんな折に先生が女子トイレにカメラを仕掛けているのを目撃し、盗撮行為を胸に秘めている代わりに自分と性行為をして欲しいと迫った。しばし彼女が主導権を握った状態で話は進むが、今度はなんと変態教師から逆に条件を出してきた。同級生の盗撮を5本献上してこい。さすればお前と避妊具無しで性行為をしてやろう、と─────

なんのこっちゃ。
そんなリアリティのない話で悔しくも苦しくもなんともない。
そもそも、寝取られるためだけに存在するヒロインが寝取られたところで、理不尽さを感じるどころかむしろ必然性しか感じられない。
所詮寝取られなんてこんなもの。真の文学とは純愛なのである。純文学の純は純愛の純やね。そう考えていた俺は、次のトラックで評価を大きく覆すこととなった。

そのまま続きを聴くと、作中では次の日の朝になっていた。初体験について問い詰める主人公、どうやら彼女の携帯電話まで覗いてしまったらしい。
荒唐無稽な話を信じてプライバシーの侵害をされたことについて憤慨する彼女。
昨日の語りは全て即興の作り話だったらしい。
彼女は言う。「貴方は私の潔白を確かめたかったのではなくて、私が寝取られている証拠を見たかったのでしょう。私が先生との連絡だけ履歴を削除しているのを見て、その程度のことで貴方は私の浮気を疑ったのでしょう」
つまり、俺の中には寝取られてほしくないという願いの裏に、寝取られていてほしいという薄気味の悪い欲望があることを看破されてしまったのだ。
ここからが白眉だ。
彼女はさらに言う。「貴方を愛している。貴方は世界で一番いい男だ。優しく真面目な男だ。だからこれからもずっと一緒にいたい」
「しかし、貴方が心の底から寝取られを願うと言うなら、私はそれに従おう」

今度同窓会があるという。先生も来るという。

「私は制服を持っていこう。もちろん当時着用していた制服を持っていこう。紙袋に入れて、先生に見せよう。先生の驚愕と恍惚が入り混じる表情がたやすく想像できるだろう。ならば私は後日貴方にその制服をクリーニングに出すよう命ずる。ただし、絶対に紙袋の中身を見てはいけない。精液と愛液に塗れた制服なんて絶対に見てはいけない」

音声が終わる。
目を開ける。電気をつける。
俺はへにょへにょとベッドに倒れ込む。

なるほど。
寝取られるためのヒロインが寝取られても意味がないのなら、“寝取られていなかったかもしれない”という可能性をチラつかせればいい。
荒唐無稽な話が全て本当なわけではない。しかし、全てが嘘なわけでもないだろう。事実その教師は存在し、彼女と連絡を取り、今度の同窓会に現れる。全てが嘘な作り話をそんなにスラスラと即興で語れるだろうか。

この、“どこまでが本当のことなんだ”と苦悩することこそが寝取られの真髄なのだと理解した。
そして、俺が何故寝取られでノーダメージなのかも理解した。

俺はかつて寝取られが本当に苦手だった。
主人公に著しく共感してしまい、劣等感や喪失感がとめどなく溢れた。
現実でもそうだ。
勉強が出来なかった。運動が出来なかった。恋愛が出来なかった。仕事が出来なかった。

そういった苦痛を全て「どうせ」で回避した。

どうせ、あいつの方が頭が良い。
どうせ、あいつがレギュラーになる。
どうせ、あいつと付き合う。

寝取られ作品もそうだった。
はいはい。どうせお前は寝取られるんだろう。
そう切り捨てれば苦悩しなくて済むからだ。

叶うか叶わないかわからないうちは苦しい。叶わないと確定すれば諦めもつく。

負け癖ばかりが染み付いてるから
負けてる方がずっと楽だと記憶をしまい込む
大切にしてた宝物はどこだい?
早過ぎた未来に尻餅をついて声を走らせる

感情七号線/フラワーカンパニーズ

しかし、この作品は違う。
寝取られたのか、寝取られていないのか、最後までわからない。
これから寝取られるのか、寝取られないのか、最後までわからない。
この作品が最も大事にしているのは中庸であると俺は考える。

俺はずっと楽してきた。
人間関係も自分の理想も、全て「どうせ」で諦めてきた。

しかし、叶うかどうかわからない状態こそ、苦しくて辛くて尊いのだと思った。

俺が尊敬してやまないとある女優が「信じる」という概念に対してこのようなことを言っていた。

『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて

だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど

でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。

「星の子」完成報告イベントでの女優 芦田愛菜のコメント


強く信じることは難しいが、楽だ。
一つ決めてしまえば迷わなくて済む。
しかし、揺らいで傾いて震えてしまうふにゃふにゃの意志こそ、大多数の人間が抱くものとして自然なものである。
そのふにゃふにゃの意志を俺は抱きしめていたい。
そして、ふにゃふにゃの意志を少しでも前に向けるために、俺たちは「信じる」のだ。
「信じる」と口に出すのだ。


今日は七夕だった。
一年に一度、彦星と織姫が再開する日だ。

一年に一度しか会わないのだったら、お互い別に所帯を持っていないはずがない。
織姫には織姫のダンナ、彦星には彦星のワイフがいるのだ。
その方が合理的だ。

仮に織姫のダンナがいたとして、嫁が元カレに会いに行く七夕は気が気ではないだろう。

帰りは車で迎えに行こうか?──大丈夫。
なるべく帰りは遅くならないようにね──わかってるって。

毎年そんな態度で出ていく嫁をダンナはどう思っているのだろうか。
自分と出かける時には身につけない煌びやかな着物を纏い、いつもより化粧に時間を掛けて、少し頬を紅潮させながら元カレに会いに行く嫁のことを、彼はどんな表情で見送るのだろうか。

今年の七夕は全国各地で40℃近い猛暑日となった。
七夕に降る雨はうれし涙などという表現をされる。
七夕が猛暑日なら彼女らはどんな顔をしているのだろうか。一体どんなことをしているのだろうか。
昔話に花を咲かせるのだろうか、都知事選で盛り上がるのだろうか、それとも────

織姫のダンナは短冊に祈らない。
短冊の願い事を叶えるのは嫁と嫁の元カレだからだ。

しかし、心の中で言う。
口に出して言う。
「織姫は絶対に寝取られていない」

今はもう0時を回って7月8日になってしまった。
織姫はまだ帰らない。



それでも。

いいなと思ったら応援しよう!