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[日記] 牛めし並を待ちながら

研究室でダラダラしていたら猛烈な空腹に襲われたので松屋に駆け込んだ。
ちょうどピークタイムだったらしく、待てども待てども俺の番号は呼ばれない。この時間で日記でも書こうかなと思う。
呼ばれた。終了。
待てども待てどもとはこれからの待ち時間も見越しての表現だったが、結局のところ全く待たされずに牛めしと対面することが出来た。
松屋の企業努力と優秀な店員と食材たちに手を合わせる。

中途半端に書き始めてしまった日記を完成させるべく下書きを一時保存する。


────「学園アイドルマスター」。


時刻は23時30分。研究室には俺以外は誰も残っていない。
デスクには自前のノートPCと使用していない卓上ディスプレイ、いつ食べたかもわからないカップラーメンのゴミに割り箸が数本刺さっている。
ディスプレイの横に積み上げられた2Lペットボトルの山がこの研究室で過ごした無意義な日々と俺の怠惰を物語っていた。

日記というからには今日起きたことを書かなければいけないのだが、基本的に俺の平日は遅起き、研究室、遅寝の繰り返しでしかないので、バカ正直に書くと三行で事足りる。
あるいはバイトがある日ならアルバイトで起きたみじめなエピソードを悲壮感たっぷりとお届けすることが出来るのだが、流石に擦りすぎてもう味がしないようだ。シフトを二回連続で出し忘れてしまってそもそも今月はほとんど入っていない。
来月は旅行の予定がちらほらあるので、今月は絶対にメイクマネーしなければいけないというのに。


────「ブルーアーカイブ」。


退勤後の友人が「24歳 唐揚げ 滑り込み」というテキストと共に母親とのLINEのスクリーンショットをツイートをしていた。
夕食の希望を訊かれ、少し遅れて“唐揚げで!”と返信する彼を微笑ましく思い強くいいねをタップした。
24歳という世間的に見ると立派な成人男性が母親に唐揚げを要求する可愛らしさ、夕食の献立を早く決めたい母親にギリギリで要望が通った喜びが「24歳 唐揚げ 滑り込み」という三単語に詰まっていて素晴らしいツイートだと感じた。
このキャプションをいいなと思ったのにはもう一つ理由がある。
「涼宮ハルヒ」シリーズに登場する長門有希のキャラクターソング『雪、無音、窓辺にて。』と字面が似ていたからだ。

この友人がかつてMGSメタルギアソリッドと『雪、無音、窓辺にて。』のMAD動画を好んでいたのを思い出し、俺は件のツイートと曲名の類似について指摘したい気分になった。
端的に言えば、センスのあるツッコミをしてウケようと思った。
ので、「そんな『雪、無音、窓辺にて』みたいに」とリプライをしたのだった。

俺は基本的にTwitterでリプライをするのがあまり好きではない。
フォロワーなら誰でもそのリプライが見えるというシステム上、リプライが第三者に評価されている気分になるからだ。
DMでの会話ですら色々無駄なことを考えてしまった結果失敗して落ち込んでしまうことが多いのに、誰でも見られるリプライで失敗してしまったら目も当てられない。
この場合の失敗というのは、相手が上手くリプライできない状況になってしまったりリプライの応酬が自然に終われなかったりしてしまうことを指す。

今回のリプライはただ俺がセンスを示したいがために自分本位に会話を発生させる形となる。
逆の立場だったとして結構返事に困るものかもしれない。
そう考えると一時の自己顕示欲でリプライをしたのを後悔してくる。

どのような返事が返ってくるだろうか。
口の悪い奴なので「キモ」とか「オタクすぎる」などが考えられるかもしれない。
送信してから気が付いたのだが、俺は意図せず曲名の最後の句点を打ち忘れてしまったので、それに対する指摘もありうる。

しばし研究しながら、もといソーシャルゲームのスタミナ消費をしながら待つこと数分、彼からリプライが返ってきた。

そういうツッコミをしてくれる友達、貴重かも
これからは増えないから

感心か、感動か、あるいは寂寥感か、劣等感かもしれない、何かを、確かに感じた。

とにかくわかったことは、俺と彼が好きなニコニコ動画の話をしたあの夏にはもう戻れないという事実だった。

出会った頃の彼だったら「おもんな。」とか、「学生はTwitterのリプライに真剣になれる気力が余っていていいね。」とか、もっと人の尊厳を踏みにじるような返事を寄越したはずだ。
どんな罵倒が返ってくるか楽しみ半分、怖さ半分で身構えていたのにも関わらず、彼は素直な、端的な言葉で俺にリプライを返した。

未だ学生の身分でオタクを真正面からやっている俺に対する皮肉という意味も込められているのかもしれない、しかしそこには露悪はなく、一種の爽快感さえ感じた。

「これからは増えないから」という言葉が内包する、時間の経過と、諦念と、それを当たり前に了解している成熟さになんとも俺は打ちひしがれてしまってしばしTwitterを開いたまま呆然としてしまった。
彼の必要最低限な言葉で現状を突き付けるワードセンスに対して、俺のツイートは、この日記は、なんと冗長なことだろう!

何を返してもこれ以上は出ないなと思い、心からのいいねを捧げてリプライツリーを終わらせた。
冷や汗が背を伝っていた。


────「アイドルマスター シャイニーカラーズ」。


はじめは松屋の食レポでも書こうかと思っていたが、松屋の牛めしが如何に素晴らしいかを語るには俺の舌は貧乏すぎるし、あまり食に関心がない人間が捏造して書いた感想が良いものになるはずがない。
松屋の良さはそこじゃないんだ。

食券システムとお冷のセルフサービス、食券のディスプレイ表示で、一度も誰とも会話することなく食事することが出来る。
俺が一人でイヤホンを付けながら孤独に夕飯を食べていても、提供の待ち時間に日記を書いていても、誰も気にも留めない。
実際はすべての飲食店において、そんな自意識を抱く必要なんてさらさらないのだが、松屋は特に客層からもシステムからも孤独な人間に対する無関心さを感じる。

俺が毎日ぐうたらしても、ダサいツイートをしても、孤独に空腹を訴えても、松屋は変わらず無関心であり続ける。それがなんだか嬉しくて足を運んでしまうのだ。

俺はみんなにどんどん忘れられて、交友関係の最後尾を走って、いつかはTwitterで政治とアニメの批判しか呟かない最悪のジジイになってしまうかもしれないけど。松屋がある限り俺はきっと幸せだから。

たまには一緒に松屋でも食べに行こう。
久しぶりに長門有希の話でもしよう。
牛めし並を待ちながら。

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