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そだてくエッセイ6//関心がない⁈関わることの難しさ。

『注目すべきか、注目しないでいいか。お子さんの行動をどちらか見極めて。
注目すべきことには声をかけましょう。注目しないでいいものに対しては、視線をそらして。』

『誰の課題か考えて、子どものものだと判断したら少し離れて様子を見ましょう。助けを求めてきたら関わりましょう。』

言葉にすると簡単でも、それらの塩梅はとても難しい。

気にしないようにしようと思っても、やっぱり視界に入ってしまうと、ついつい注意したり、叱ったりしてしまう。

様子を見ようと思っても、やっぱり子どもだけでは心配で先々声掛けをしてしまう。

頭ではわかっても行動にするのは難しい。

親が自分に関心がないと思っていた話

あるお母さんが自身の子どものころを思い出して、

『母にほとんど怒られた記憶がないんです。
声をかけてほしい時にはスルーされました。
ほめられてもない気がする。かといって放っておかれたというわけではなくて。でも自分への関心がないと思っていた。』

とお話をしてくれました。考えてしまいます。

適度な声かけ、適度な見守り?怒っていいの?ほめなきゃダメ?

大人の愛情表現の違い。子どもの受け取り方や感じ方の違い。

いろいろな親子の関係性があって、要因はそれぞれ違うとは思う。母親は本当に関心がなかったのだろうか。

お母さんと子どもがそれぞれ個として関わり合うとき、何が間違って何が正解かなんて誰がわかるだろう。

ただ毎日精一杯関わろうとしてくれたんだろうな。

自分の育ちから学んだ子どもへの関り

そのお母さんはこう続けられました。

『大人になって結婚して子どもを育てる。その過程の中でようやく少しずつ母への思いが変化して、今では感謝しています。たぶん忙しかったんだと思います。共働きでした。
でも私は母親としてちゃんと子どもに自分の気持ちを表現したいんです。』

そう考えることができたのは、やっぱりよい関りをしてくれてたからではないだろうか。それが記憶のかけらの中になくても。

小さな積み重ねが誰かのために。いただいたサポートは今後の親子支援の助けになります。先ずは、今企画中の「今どう考える?子どもの育ち」で募集した作文の冊子作成のために使います!よろしくお願いします。