見出し画像

映画『リトル・ガール』 について

2021/11/24
@新宿武蔵野館
文:wisteria

【イントロダクション】
『 フランス北部、エーヌ県に住む少女・サシャ。
出生時、彼女に割り当てられた性別は“男性”だったが、2歳を過ぎた頃から自分は女の子であると訴えてきた。しかし、学校へスカートを穿いて通うことは認められず、バレエ教室では男の子の衣装を着せられる。男子からは「女っぽい」と言われ、女子からは「男のくせに」と疎外され、社会はサシャを他の子どもと同じように扱わない…。

トランスジェンダーのアイデンティティは、肉体が成長する思春期ではなく幼少期で自覚されることについて取材を始めた監督は、サシャの母親に出会った。長年、彼女は自分たちを救ってくれる人を探し続けて疲弊していたが、ある小児精神科医との出会いによって、それまでの不安や罪悪感から解き放たれる。そして、他の同じ年代の子どもと同様にサシャが送るべき幸せな子供時代を過ごせるよう、彼女の個性を受け入れさせるために学校や周囲へ働きかける。まだ幼く自分の身を守る術を持たないサシャに対する母親と家族の献身、言葉少なに訴えるサシャ本人の真っ直ぐな瞳と強い意志が観る者の心を震わせる。』
(公式HPより)


フランス・エーヌ県に住む性別違和を感じている7歳のサシャと、サシャを支え、闘う家族の日々を追ったドキュメンタリーです。

まず、サシャの通う学校について。
学校の校長や教師はサシャの状況に理解を示してくれず、話し合いの場にも参加してくれないという対応に教育現場の難しさを感じました。最終的には、病院の診断書の提示でサシャが性別違和を抱えていることを認識はしたが、何か変わるということでもなく…。

大人が理解を示してくれなければ一緒に過ごす教室のクラスメイトたちもそれを見習ってしまう可能性があることに少し危機感を覚えました。しかし、その中でもサシャをサシャとして見て一緒に過ごす子たちもおり、お互いの大事な友達になれば良いなと思いました。

また、今作の中でサシャの家族のサシャへの愛情を強く感じました。ありのままのサシャを受け入れてもらいたい一心で学校と闘う母・父の姿はとてもパワフルだったし、「バカとは闘わなきゃ」と言うサシャと同じ学校に通う兄の言葉もとても印象的でした。

逆に一番やりきれない気持ちを持ったのはバレエ教室での一幕。
バレエの先生はサシャを性別という枠でしか捉えておらず、衣装も女の子とは別の色・形のものを用意しており、なんとも言えない感情に苛まれました。
教室の友達もサシャと会話をしようという雰囲気はなく、サシャ一人がその場に浮き、取り残されているような物悲しさを感じました。

進級したのちのバレエ教室において、性別違和であると診断されているサシャが性別上男の子であることから教室を追い出されたこと、先生からの「ロシアではこんな問題はない」という一言は残酷なものでした。いつもは家族に遠慮して性別違和の強い訴えはあるものの、家族の前では全てを言い出せない、胸にしまってしまう一面のあるサシャも、この件を母が医師に話す場面では悔しさと悲しさで涙を流す姿があり、悲しく辛いものでした。


この作品を通して、実生活での不便等を解消することの大変さなどは多々あると思いますが、初めからNOを突きつける世の中はとても生き辛いなと感じました。
今回はサシャ側の視点でしか世界を見ることはできなかったため、こちらよりの意見になってしまいますが、この話は様々な視点から見ることができたら感じることや視界もまた広がるのだろうと思います。

自分の周りにも世間でいうトランスジェンダーの知り合いがいるので人ごとではないと思うし、無責任に誰かを傷付けないためにも知識を得て、学んでいくべきことの一つであるのかもと改めて思いました。

この先、サシャがサシャとしてありのままの自分で生きていくことのできる将来であって欲しいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?