多分このために生きている。#3「徒花」
注意
この記事内にて、映画「徒花」の内容に触れる部分があります。
ご了承の上、お読みください。
「徒花」を未視聴の方は、情報を入れずすぐに視聴することを強くお勧めします。
大濠公園では一日を全うした学生たちが往来していた。
まだ半分も達成できていない一日の残り時間への執着に気を取られて、ハンドルが10度くらい捻じれた自転車は学生の横をふらふらと通過していた。
こういう日は決まってカフェで書き物をする。
書き物と一言で言うのは、フォーマットの決まりがないから。ルールがあると、そこから外れたときの罪悪感に苛まれ筆を取りづらくなるので、細かいところまでは決まっていない。今日は過去に提案していた戯曲の中身を詰めてみようか。
目的地の近くに無料の駐輪場がないため、ちょっと離れた公園の駐輪場に自転車をおいて歩くことにした。父から貰った黒いスニーカーのソールは固く、かかとに少しずつ疲労を溜めていく様をありありと感じていた。
突飛な予定の不安定さは舐めてはいけない。
通りがかった珈琲豆のお店に入り、給料日にかこつけて買ってしまった。
しかも店主さんが持ち帰りのホットコーヒーまでサービスしてくれた。
手にはホットコーヒー。
もうカフェに行く気は0だ。
となると向かうはKBCシネマ。
福岡の中心都市である天神から少し北にはずれたところにあるミニシアター。シアターが二つあり、カウンターは2人のスタッフで回している。
検索すると、「徒花 17:00」。
ちょうどいい時間で面白そうなのあるじゃん!
時計は16:45。早歩きで向かおう。
シアター2、真ん中の席に座る。
お客さんは自分含め4人、さすがは平日のミニシアター。
あらすじ
恵まれた境遇の人間は産まれたときに自分自身のクローンを作るようになった。
人類はクローンを ”それ” と呼び、”それ” はクローン育成施設で生活をする。人間が死ぬとクローンが施設を飛び出し死んだ本物の人間を引き継いで残りの人生を全うする。
ここからは整理されていない感想を置いていく。
人間性を感じないほど美しい女性(水原希子)は名前をまほろと言い、難病の新次(井浦新)の付き人を行っていた。
あまりに美しく完璧を装ったまほろの姿に息をのんだ。
死神がいるとしたらこんな雰囲気なのだろうと思う。
新次の母親の「道」の付くものしか習わせないという教育方針の浅はかさがSFチックな世界感に人間らしさを引き寄せ、そこに悩まされる新次の姿には現代の我々と同じ人間である証が写されていた。
初めて新次がそれと会うシーンで号泣してしまった。
人間が現代社会で生きていくなかで「成長」という言い訳で捨ててきた純粋性や真の快楽、生物として誰しもが一度は持っていたはずの煌びやかな部分を体現するそれの姿。
ただそれは死のあとに入れ替わる存在であり、死そのものでもある存在。
死の化身があまりにも自由を謳歌している恐怖と興奮。
新次のクローンが自分の心の支配するのはあまりにも容易かったようだ。
完璧を求められ完璧を求めた人間が、クローンという死の化身を目の前にして人間臭さを獲得する独特の切り口のヒューマンドラマは圧巻だった。
シアターを後にする自分の体の中の死の成分は、クローンの形をしていた。
概念を可視化され何にも形容しがたい恐ろしさに襲われたが、直後には沸々と全能感が産声を上げた。
何者かになれたような気がしたあの時間も含め、最高の視聴体験だった。
創作活動に関して、普段はもつ鍋youとして福岡を拠点に音楽活動中。福々亭十として福岡大学落語研究会で落語、漫才、コント。趣味では戯曲の執筆をしています。少しでも気になる方は是非SNS等覗いてください。
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